考えたこと2

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サンフランシスコ
アイアンサイド、コジャック、ダーティハリー、スタスキー&ハッチ…60年代後半から70年代の刑事たち。

彼らの共通点は、サンフランシスコが舞台だということだ。

坂でのカーチェイスやゴールデンゲートブリッジなど、おなじみの景色が出てくる。

ハードボイルド小説にも、サンフランシスコを舞台としたものがあったはず。
もちろん、ロスやニューヨーク、シカゴなども多いが…。

亡くなったSさんは、エジプトとサンフランシスコだけは一度は行くべきだと言っていた。

エジプトはピラミッドを見るため、サンフランシスコはその景色がキレイだから…とのこと。

サンフランシスコに心を置いてきた…と歌う名曲もあった。

「想い出のサンフランシスコ」、トニー・ベネットだ。

いつか一度行ってみたいと思う。

坂と橋と霧の街。

今日はなぜかSさんを思い出して、サンフランシスコに行きたくなった。



| | 考えたこと | 01:14 | comments(2) | trackbacks(0) |
The West Wing
ザ・ホワイトハウスというドラマ、時々見るが出てくる大統領の側近が面白い。

みんな個性的で、頭の回転が早くて、パッションがある。
ドラマだから、作られた人物像だが、取材もしただろうし少しはホントも入っているだろう。

もちろん大統領のスタッフになっている人たちは、政策を実行するためにやっているのだが、自分自身が「やりたいこと」を持っている。
いや、「やりたいこと」というより「やるべきだと思っていること」だろうか。

時には、大統領に対して自分の考えを述べ、決断を迫る。

彼らは大統領についているのであって、ホワイトハウスについているのではない。
それこそ、「側近」なのだ。

首席補佐官、次席補佐官、広報部長、報道官を中心としたスタッフたち。

大統領がホワイトハウスを去るときは、自分もホワイトハウスを去るときになる。

そんな緊張感の中で、アメリカのとるべき道を考え、秘書たちを使って議会工作をしたり、対立する団体の意見の妥協点を見出したり、大統領の真意を確認したり…。

ドラマの中のバートレット大統領は民主党だが、共和党が好きな減税政策とひきかえに、授業料控除の案件を通したりする。

何より、彼らの政策立案の会話の中に、たくさんのデーターが出てくることが面白い。
大統領が自ら広報部長に「君はアメリカにどれだけの……があるか知っているか?」と聞いたりする。

今のブッシュ大統領を見ていてそんな会話をしているとは思えないが…。

それでも、自分の意見の根拠を明らかにするという文化があると思う。

今日のドラマでは、報道官のC.J.(この人はホントにかっこいい女性だ)が記者会見前に、広報部長と話している中で「私が必要なのはデーターよ」と言っていた。

どこかの辞めた大臣みたいに、「こう思うから言った」などと言うことはない。
「こう思う」のなら、そのデーターを示して、自分の言いたいことをデーターに託して言えばいいのだ。
そんなこともできない人たちが、国会議員になり、大臣になっているかと思うと情けない。

ホワイトハウスの西棟(The West Wing)にいるあの人たちとは大違いだ。

アメリカのやっていることが正しいとは思わないが、それでも本邦の議員やその回りの人たちは、この番組を見ればよいと思う。



| | 考えたこと | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケータリング
ケータリングという英語、 最近は一般的になったと思う。
ぼちぼち、日本語のカタカナ言葉の仲間入りかもしれない。

初めてこの言葉を知ったのは、フレンズというニューヨークが舞台のドラマ。
5人の男女が主人公たちだが、その中の一人が料理で身を立てるという役で、そこでケータリングという言葉が出てきたと思う。

日本でいう「仕出し」。
でも、仕出しというと弁当などの料理を持ってきてもらうという感じだが、ケータリングはもう少し大がかりなものも入る。
料理を持ってくるだけでなく、その場所で料理をするというような仕事も含まれる。

「場所は○○ホールで、料理は××ホテルのケータリングでいこう」などという。

caterというのは、料理を提供するという意味の英語。
英辞郎によると、cateringとは「ケータリング、出前{でまえ}、配膳業、パーティ出張サービス◆食事を出前して給仕もするサービス」と書いてある。

そういうことだ。

gooの国語辞典には、すでに「ケータリング」という日本語が載っている。

たぶん、出前や仕出しより大がかりなものを「ケータリング」ということで意味は定着したのだと思う。

もともと日本にはなかったサービスだから、英語をそのまま使うのはしかたない。

マニフェストとかいう日本語と同じことだ。

でも、新語辞典ではなく、すでに国語辞典に出ているとは思わなかった。

こんなふうに辞書のページは厚くなっていく。

| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
Yob
イギリスの探偵もののドラマを見ていたら、「ヨブ」という言葉が出てきた。
女の子の探偵が、「君たちyobは…」と男の子たちに言う。

聖書にあるヨブが出てくるような場面でもなかったので、”yob”で調べてみたら、そういう言葉があるという。

語源が面白い。
”boy”を逆から読んで、”yob”。
こんな作り方もするのか…とビックリした。
3文字くらいだから、もとの意味をたどりやすいからかもしれない。

意味は、ひっくり返った少年だからか、「不良」という意味になる。

まだオックスフォードディクショナリーに載っていないが、イギリスでは使われているとのこと。
1年前のyohoo answersにアメリカ人らしき人が、yobとは何のこと?と質問していた。

綴りをひっくり返すのは、日本のジャズメンがやっていた。
ジャズはズージャ、マネージャーはジャーマネとかいうやつ。

タネの反対でネタというのもその類だろう。
今ならネタがタネからできたということを知らない人も多いと思う。

抜群をグンバツと言うのは、もうオジサン言葉になってしまったのだろうか?
70年代くらいに出てきたような気がする。

ひっくり返しではないが、「チリツモ」というのはよく使った。
「塵も積もれば山となる」の略だ。

何か問題があったときに、「これさえ抑えたら、解決できる」という要因を探す。
でも、難しい問題ほど、そういう決定的な要因が見つからない。
だからこそ、難しい問題なのだろう。

そんなとき、「これはチリツモやなあ」という。

地道にがんばらないとしかたない、という意味。

これももう若い人には通じないかもしれないなあ。



| | 英語 | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
お駄賃
これも死語になったかな…という言葉の一つが「お駄賃」。

小さい頃、何かを片づけたり、持っていったり、買い物に走ったり、何か親の手伝いをしたら「お駄賃は?」と言った。

goo辞書によると、駄賃の意味は

(1)子供が使いをしたときなどに与えるお金や品物。おだちん。
(2)人にちょっとしたことを頼んだとき、その労力に対する報酬。
(3)駄馬による運賃。すなわち、運送賃。

となっている。
もとの意味は、運送賃らしいが、それはもう使われない言葉になっている。

ぼくらが小学校の頃は、5円のお駄賃が成立した。
5円玉は、それ自体で使えるお金だった。

5円玉を握りしめて、近所のお菓子屋に走る。
小学校の低学年の頃まで(昭和30年代)は、5円で1回くじ引きができた。
たしか、アメを買って、1回引ける。

スルメも一つ5円だったような気がする。

今なら使わないような甘味料や着色剤のオンパレードだったのではないか。
食べたら、舌が真っ赤になるようなアメもあった。

チクロ騒ぎ(40代の人はもう知らないかもしれない)でなくなった、粉末ジュースの粉のようなものも買えた。

5円のお駄賃…今の子どもなら「要らない」と言うだろうなあ。
いくらデフレとはいえ、5円では何も買えない。

小学校の高学年になった頃は、10円が相場だったと思う。
肉屋さんの店先で売っていたコロッケが1個10円だった。
揚げたてを新聞紙で包んでくれた。
たこ焼き(もちろんタコは入っていない)が10円で7個。

家の中の電化が進み、家の用事が減った分だけ、子どもの手伝いが減った。
そして、市場がスーパーになり、冷凍食品ができ、何でも買えるようになったが、子どもが一人でおつかいに行くこともなくなった。

今やお駄賃も死語だろう。

会社で、何か用を頼んだら、「お駄賃は?」と聞かれたことがあるが、そんなふうに大人同士で使う言葉になってしまった。

今でも田舎では使うのだろうか…。
相場は50円かな?いや、100円かもしれないなあ。

お駄賃がなくなったことは、あまりヨクナイことだろうとは思う。

言っても仕方のないことだが…。



| | 考えたこと | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
西の魔女が死んだ
何人かの人に、「この本はいい」という感想を聞いた。

昨日本屋に行ったら、置いてあったので、何となく買ってしまった。

題名からして、ファンタジーだと思っていたら、そうではなかった。

少女の成長の物語。

自分らしく生きるためには、何が必要なんだろう。
どうしてもうまくいかないときには、どうしたらいいのだろう。
生きるための知恵とは何なんだろう。

それは、魔女の修行をすること。

「魔女は自分で決める」

西の魔女は死んでしまったけれど、その清々しさに心を打たれる。

そして、西の魔女は東の魔女の心の中で永遠に生きつづけるだろう。



| | | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
プラスドライバー
ねじ回しには、2つのタイプがある。

ネジを回す部分がまっすぐのミゾ1本のものと、十字型にミゾが入ったものが代表的なものだ。

ミゾが一本のものは、そのカタチからマイナスドライバー、十字型のミゾのものは、プラスドライバーと呼ぶ。
見たままだ。
マイナス(−)とプラス(+)。
ドライバーを上から見れば、すぐにわかるし、ネジを見てもわかる。

名前からして、英語だと思っていた。
Minus driver, Plus driver…それらしいではないか。

でも、これは全く通じない。

”Plus driver please”と言っても、不思議な顔をされるだけだ。

もともと、ねじ回しをdriverとは言わないというのが落とし穴。
これはscrew driverらしい。

こちらが必死になって、プラスはネジのカタチであって、ドライバーのカタチを見たらわかるだろう、と説明しても意味不明な顔をされる。

+とーの絵を描いて、だから呼び名が…と説明してもほとんどムダだ。

プラスとかマイナスとかいう呼び方は、日本人が考えたのだろうか。
できすぎている名前だ。

ちなみに、プラスドライバーはPhillips-head screw driverというらしい。

あの、カセットやCDの規格化をしたオランダのフィリップス社。

ネジまでも規格化していたとは知らなかった。



| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
VHS
記録メディアの進歩はすばらしい。
より小さく、より大量に記録できるようになった。

ベータとVHSの争いは、VHSが勝利した。
家庭用のVTRはVHSテープの時代になった。

一方、家庭用のビデオカメラはVHSのコンパクト版が負けて、8mmビデオが勝った。

しかし、8mmビデオは今やカメラでないと再生できない。
もうデッキは売られていない。

VHSもだんだんと少なくなっていく。
今やハードディスクレコーダーやDVDレコーダーの時代。

DVDがテープに取って代わろうとしている。

永らく続いた磁気の記録から、ビットの記録に変わっていく。

TSUTAYAの新作もDVDばかりだ。

一時的な記録はハードディスクになろうとしている。
コンピューターと同じ記録方式だ。

ついこないだ、うちのVHSデッキが壊れた。

たくさんのVHSテープがある。

録った時は、いつまでも再生できると思っていたが、それは怪しくなってきた。

いったい国内にどれだけのVHSテープがあるのだろう?

もう一度資源として使えないのだろうか。
いずれ、見ることはできなくなるのだから…。

| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
Answering machine
アメリカのドラマを見ていると、留守番電話がよく出てくる。

大きな紙包みを抱えて帰ってきて、留守番電話のスイッチを入れて、メッセージを聞くというのがよくあるシーン。

日本語では留守番電話というが、英語ではAnswering machineという。
電話という言葉は入っていない。

留守番電話というと、不在の時以外はちゃんと電話に出ないといけない、という感じがある。

でも、Answering machineというと、家にいても電話に出たくなければ使っていいよ、というニュアンス。

マイク・ロイコにも、留守番電話の効用のコラムがあった。

実際には、不在時の電話を聞くというよりも、出なくていい電話(出たくない電話)を選ぶために使う方が多いのかもしれない。

そういえば、アメリカのドラマでは、留守番電話に「いるんでしょう、出てよ」という場面もよくある。

やっぱり、日本人は律儀なのだろうか。

留守番電話という名前。

今なら、アンサリングマシンでもいいような気がする。



| | 考えたこと | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポケモン
ポケットモンスターが流行ったのは、長男が小学生の低学年の頃。

そのために、ゲームボーイを買った。

結構むずかしいアドベンチャーゲームで、子どもに頼まれてむずかしいステージをやった覚えがある。

このゲームの成功は、何といってもポケットモンスターというキャラクターの設定。
モンスターボールというボールの中に入っていて、飼い主?がそのボールを投げあってモンスターを出し、対戦するという仕組み。
対戦を積むと、モンスターの経験値が上がり、強くなっていく。
見つけたり、対戦に勝って捕まえたポケモンは、図鑑に載っていく。
その図鑑を完成させるという目的もあり、ステージをクリアするだけでは終わらない…。

モンスターにはカテゴリーがあって、草系、水系、炎系、毒系、飛行系…などというようになっている。
カテゴリーごとに得意技があり、水系は炎系に強いというような相性もある。
そして、経験値が上がると、進化するものもあった。
フシギダネという草系のポケモンは、フシギソウになり、さらにフシギバナになる。
ゼニガメはカメールになって、カメックスになる。
初期は128だったが、今は全部で490あるらしい。

ネーミングもいい。
草系のフシギバナ、水系のカメックス、電気系のコイル、飛行系のピジョン(最初はポッポという)やコウモリのカタチをしたズバット、キックボクサーみたいなサワムラー…。
きっとぼくらの年代に近い人たちがネーミングしたのだと思う。
サワムラーは思わず笑ってしまった。キックの鬼の沢村だ。
さらに、ゲームボーイの通信ケーブルで、友だちとポケモンを交換できるというコミュニケーション機能まであった。
今考えると、すごい先進的なゲームだったと思う。

最初にポケモンの赤と緑とかいうシリーズが出て、その後、ルビーとかサファイアとか、いろいろ出た。
片方のシリーズで足りないポケモンは、違うシリーズを持っている友達と交換するのだ。

そのうち、子どもが自分で全てクリアできるようになったので、ぼくは触ったことはないが、良くできたゲームだった。

ゲームの仕組みとキャラクターの面白さ、いろいろな技(技の名前も凝っていた)、進化するというような概念…大したものだ。

カードもよく売れた。
うちにも山ほどカードがあった。
レアなカードになると、かなりの値段でやり取りされていたはず。

ポケモンで一番有名になったのは、ピカチュウ。
日本人なら、ピカとチュウで電気ネズミだとわかるが、アメリカ人には何のことかわからなかっただろう。
あの黄色と黒のキャラクターは、かわいかった。
だから、ポケモンは男の子だけでなく、女の子にも人気があった。

しかし、ポケモンの映画がディズニーの映画よりも興行収入が多かったというニュースにはびっくりした。
日本のアニメが、アメリカでディズニーを負かすとは…。

ちょうど、全盛期の頃、アメリカに出張したら、たくさんのアメリカ人からポーキマンという言葉を聞いた。
Pokemonはアメリカではポーキマンと発音される。
子どもにポケモンをせがまれて困ったものだ…という大人の声だったなあ。
出張した仲間とアメリカのトイザらスに行って、英語版のポケモンカードを土産に買った。

今、任天堂DSでもう一度ポケモンの宣伝をしている。

あの頃、初代ポケモンに熱中した子どもたちがもう20代になっている。
もう一度…という企画だ。

ぼくでも、あのCMを見て、おお、懐かしいなあと思うのだから、意外とヒットするような気がする。

ちょうど、ぼくらがアトムや鉄人28号、サイボーグ009、スーパージェッターなどを懐かしむのと同じような感覚なのだろう。

十数年を経て、まだまだ生きつづける。

彼らが中年になった頃、リバイバルでピカチュウのぬいぐるみを買ったりすることもあるのだろうか…。
自分の子どもたちに、お父さんが子どもの頃なぁ…と話したりするのだろうか…。

それをこの目で確かめられるかどうか…、微妙なところかな、とCMを見ていて思った。



| | 考えたこと | 14:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
シネマコンプレックス
いつから日本で一般的になったのだろうか。

最近の新設映画館は、シネマコンプレックス…略してシネコンという形式になっている。

従来の映画館と違うのは、スクリーンの数が多いこと。
少人数のシアターも含めて、5つ、6つのシアターがある。

そして、たくさんの映画を平行してやっているということ。
そのために、一つのシアターでも、時間によって異なる映画をやる。
朝から午後は、子供向けの映画、夕方から夜は大人向けの映画を…という具合。
一つの映画で、昼間は吹き替え版、夜は字幕版という場合もある。
また、人気が高い場合は、二つの部屋で同じ映画をやることもある。

だから、いつ自分が見たい映画をやっているのか、その情報はややこしくなっている。
ネットで行く前に調べることができるから、このシステムが成り立っているという面もあるなあ。
座席予約をすることもできるし、カップホルダーも席ごとに付いている。

よくできたシステムだと思う。

バックスクリーンから写すとか、デジタル映写機を使うとか、フィルム映写機の進歩もあって、そんなことが可能になったのだろう。

技術の進歩で、自分の好きな映画を見る機会が増えたということか。

そのうち、映写機もすべてデジタル化する。
そうしたら、もっときれいになって、トラブルも少なくなる。
何万トンもの石油を運ぶタンカーみたいに、制御している人はほんの数人ということも可能になるだろう。
映画館のサーバー室にたくさんの映画があって、プログラムを組んで、どのシアターでは何時からどれを写す…というようなことも可能になる。
すでに、家庭用のビデオカメラは、デジタル化が進んでいるのだから、その日も近いと思う。

そうなったら、映画料金は安くなるのだろうか…。

いや、それよりも、それだけ見たい映画を作る人がいるかどうか…そっちの方が問題かもしれない。







| | 考えたこと | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
イチ−8−200
イチローが8年連続200本安打を達成した。

大リーグタイ記録だというが、前に達成したのは1901年。
なんと107年前だ。

1901年は、佐藤栄作(ずっと前の総理大臣)が生まれた年。
明治34年になる。

あの日の出来事というページによると、1901年にあった出来事は…

ニューヨーク州で自動車の登録制が始まる。初年度登録は954台。
人力車夫が、京浜電鉄に開通延期を申し入れる。

というようなことが書いてあった。

日清戦争が終わって、日露戦争が始まる前。
まだ、日本の道にクルマなど走ってなかった頃だろう。

それ以来、破られなかった記録に並んだのだ。

スポニチニュースによると、当時はファウルボールがストライクにカウントされなかったり、スリーバント失敗がアウトにならなかったといようなルールだったらしい。

そんなことを比べてもしかたないとは思うが、それでも、今のルールで作る記録の方が難しいだろうと思う。

来年も200本安打を打てれば、大リーグ新記録。

きっと新記録ができると思うが、すごいプレッシャーだろうなあ。

とにかく、今日は記念すべき日になった。

めでたい。



| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
スタイル
ブランクはあったが、中学2年の時からギターを続けてきた。

ぼくらの年代は、中学校の頃にフォークブームがあって、みんなフォークギターから入ったはず。

小学校の頃に、すでにビートルズもいたし、グループサウンズもいた。
しかし、70年代前半は、エレキギターは不良が持つものという先入観がまだあった頃。
もちろん、値段も高かった。ギターだけでなく、アンプやシールドも必要だ。

だから、ベルボトムのジーンズにTシャツ、チューリップハット、そしてフォークギターというのが流行だった。

前置きが長くなったが、フォークギターというものは、弦を押さえるのが大変だ。
スチールの弦で、エレキギターに比べると太いし、弦高も高めなので左手の指の力がいる。
そして、右手も、ピックをしっかり持って弾かないときれいな音が出ない。

当時、弦を押さえるのが大変で、フォークギターをあきらめた女性は多かったと思う。
ぼくも中学の頃、何人か、同級生に弾き方を聞かれたことがあるが、Fのコードの音が出ないというのが多かった。
Fというコードは6本とも押さえないといけないコードで、しっかり押さえないと、音が出ないのだ。

最近は、歩いていても女性がギターを持っているのを見かけることが多い。
制服姿で、ギターをランドセルみたいに担いでいる人もいる。
なぜギターが増えたかというと、みんなエレキギターになったからだと思う。
あれなら弦が押さえやすいので、Fのコードの壁を越えられるのだろう。

値段が安くなったということもある。
ギター、ストラップ、シールド、アンプ、チューナーなど、必要なものがセットで2万円以下というような商品もあるから。

またも、前置きが長くなったが、ぼくはフォークギターから始めた。
だから、ピックはしっかり持って、弦をはじくクセがついている。

最近、どうしても速く弾けないので、教則本を買った。
簡単な16分音符で、単音で弾くだけのフレーズがなかなかうまくいかない。
メトロノームについていけないのだ。

本によると、ピックはお尻の方を軽く持つだけでいいと書いてある。
その上で、手を振らず、手首の動きで浅めに弦に当てる…といいらしい。
たしかに、そうしたら、少し速く弾けるようになる。

ふーん…、なるほど。
持ち方が違うのか…。
目からウロコだった。
ピックをしっかり持つといっても、握りしめているわけではないが、それでも力が入っていたのだ。

難しいと言いながら練習をしていたら、子供には、その年ではムリやろ、自分のスタイルでやったらどうか、と言われる始末。

これはスタイルの問題ではなくて、フォークから入ったから、持ち方が違うのだ…と説明した。

ぼくが勝手に思ったリクツだが、ひょっとしたら、単に練習が足りないだけかもしれない。

でも、教本の最初のところに書いてあるくらいだから、ピックの持ち方は大事なのだろう。(当たり前だ)
同じギターでも、フォークギターとエレキギターでは、弾き方のスタイルが違うのだ。

来週、先生に聞いてみよう。



| | 考えたこと | 23:33 | comments(2) | trackbacks(0) |
ダメットさん
テレビ番組で、ダメットさんというのがあるらしい。

なんでも、あることについて、ダメな人が出てきて、そのダメさを披露するというようなことらしい。
ホームページを見ると、美人が条件で、美人なのに、こんなところがダメというのがミソ。

先週、そのダメットさんをネタにして描いたマンガを見せてもらった。
仕事がらみのネタで、すごく面白かった。
簡単な線画なのだが、目の描き方や、コマの中に直接書かれたセリフがすばらしい。

6コマ程度のマンガだが、何とも言えない味がある。

これなら、描けるかも…と思って練習した。

ノートに数ページ描いて、むずかしいということがわかった。
何気なく描いているような線画だが、困った顔、喜んだ顔、希望に燃えている顔、寂しい顔…、目の表情や口の開け方など、ちょっとしたことで感じが全く違う。
さらに、線の太さでも印象が変わる。
0.3mmと0.4mmのボールペン、0.4mmのシャープペンの3種類で描いてみたが、やっぱり違う。
シャープペンが暖かみがあって、ベストだ。

練習を重ねて、コマ割りして描いてみたが、むずかしい…。

それでも、練習の成果があって、ようやく3つほど作品ができた。

小学校の頃、アトムやスーパージェッターを見て、マンガ家になりたいと思った。

当時、自由帳に何冊かマンガを描いたが、それ時以来の作品。

マネして作ったのだが、作品ができてみると、うれしい。
忘れていたマンガ家の夢を思い出した。

もうちょっと描いてみたい。

| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界一有名なネコ
動物のキャラクターはいろいろある。

世界一有名なイヌは、ビーグル犬のスヌーピー。

世界一有名なネズミは、ミッキーマウス。
世界一有名なアヒルは、ドナルドダック。

ところが、世界一有名なネコは、むずかしい。

キティはアジアではかなり有名らしいが…。

アメリカのコミックのフェリックスというネコはかなり有名。
魔法のカバンを持っているクロネコ。なんでもそこから出してきた。
昔よくアニメを見たが、今は日本ではあまり知られていないかもしれない。

童話の中には、長靴をはいたネコというのもいる。
子どもの頃に読んだが、あれは「長靴をはいたネコ」という名前だった。
あのネコには名前がなかったと思う。

そういえば、ドラえもんも有名だ。あれはネコ型ロボットだが…。

トムとジェリーもいた。
どちらがネコでどちらがネズミだか、わからない。

アメリカの漫画で、ネコのガーフィールドというのもいるらしい。
これは日本ではほとんど知られていないと思うが、世界一有名と書いてあるサイトがあった。

ネコのキャラクターは難しいのかな。
どのキャラクターもだいぶカラーが違う。

スヌーピーのネコ版みたいなのがいつか出てくるのだろうか…。

ネコのキャラクターは、スヌーピーがイヌであるのと同じようなカタチでネコであるのはむずかしいだろう。

それが、ネコというものだ。

だから、ネコのキャラクターはむずかしいと思う。

| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
古本市
今年も子どもの文化祭に行ってきた。

毎年恒例になったが、図書館の廃棄本などを売る古本市に顔を出した。

今年も出物を見つけた。
まだ新しい本だ。

前から目をつけていたチョムスキーという人の新書が1冊。
それと、去年も買った佐伯啓思という人の単行本。
定価2000円を超える本が、300円。
ラッキーだった。

出されている本を見ていたら、山本七平、岸田秀、石川達三、田辺聖子…好きな人がたくさんあった。

すでに持っている本もいくつかあった。

しかし、それらが古本で出ているということは、もう読み手がいないということか…。

もったいない。
いい本がたくさんあったのになあ。

500円以上買うと、くじ引きができる。

クジをひいたら、ハズレだった。

しかし…、ハズレは「スカ」だろう。

紙には「カス」と書いてあったが…。

| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
スペリング
Dreams come trueという映画を見た。

カリフォルニアの黒人少女が、スペリングコンテストに出るという映画。
彼女の中学校はダウンタウンの中学校。

スペリングコンテストというのは、日本でいうと漢字検定のコンテストみたいなもの。
学校の代表に選ばれた生徒が、ステージの上で一人ずつ順番に審査員から難しい単語を言われ、そのスペルを答える。
一つ間違えたら、その場で失格。

スペリングが大好きな亡くなった父親に似て、才能のある子だったが、簡単にはいかない。

母親の反対、コーチである近所の大学教授との人間関係、州大会に勝ち、有名になったことで離れていく友だち…。

それでも、それらを乗り越えて、ワシントンDCの全国大会に行く。

DCからのテレビ中継に町中の人たちが歓声を上げる。

厳しいルールだ。一度言ったスペルは言い直せない。
こんな大会があるのかと驚いた。

決勝戦の最後は、残った二人の対決。
超難関のラテン語系の単語、ギリシア語系の単語…信じられないような単語が出てくる。
最後の25問の超難関単語を順番に答えていく。

クライマックスの場面はすばらしい。
映画だからこそ描けるものだ。
安物のドラマみたいに、なんでもセリフだけで説明などしない。

太宰治は、世の中には本人にしかワカラナイ真実があり、それを描くことができるのは小説だけだと書いていた。
それは、映画にも言えると思う。

映画にしか描けない真実がある。

いい場面だった。





| | 映画・舞台 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
29個の音
ギターの先生がメンバーになっているスティールパンのバンドのライブに行ってきた。

前にも書いたが、スティールパンというのは、カリブ海トリニダードトバゴという国で生まれた楽器。

ドラム缶のふたを凹ませてくぼみを作り、そこを裏からたたいて変形させ、そのたたき出した部分をスティックでたたくことで音階を得るという不思議な楽器。

独特の音がする。
パゥンパゥンという倍音がたくさん入った音で、明るい響きの音だ。

先生は、テナーパン2人とベース、ドラムス、ギターという5人組のグループのメンバー。
ガットギター、フォークギター、エレキギター、バンジョーなどを持ち替えて伴奏する。

演奏の間に説明があったが、テナーパンというのは、凹面上にへこんだ部分に29個の大きさが異なるいびつな面がある。

その面の数だけ音が出るのだ。
したがって、29音しか出せない楽器。

外側に並んだ音は、時計回りに、ド・ファ・シ♭・ミ♭・ソ#・ド#・ファ#・シ・ミ・ラ・レ・ソという順序で12音。
これは、五度ずつ離れた音で、時計回りに隣の音に行くのは、すごく安定した音の動きになる。
そのまた内側にも12音が同じ配列で並んでいて、これで合計24音(内側にいくほど1オクターブ高い)。
一番内側に小さくド・ミ♭・ド#・ミ・レという5つの音が並んでいる。
これで合計29音。

これを、割り箸くらいの短いスティック(たたく部分はゴム)でたたいて音を出す。

持ち運びでどこかに当たったりすると、音が狂うらしい。
狂ったら、たたいて直すということになるようだが、大変だろうなあ。

今回はアルバムを出した記念のライブで、オリジナルの曲ばかりだったが、すごくよかった。

沖縄の海をテーマにした曲や、トリニダード・トバゴの夕焼けの中を真っ赤な鳥が森に飛んで帰るという景色を見て作った曲など…、カリブ海とはひと味違った、日本のスティールパン・ミュージックという感じだった。
バンド名がスティーリング・ビート。

よければ、聞いてみてください。

スティーリング・ビートです。

| | 音楽 | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
心肺蘇生講習
心肺蘇生法の講習を受けた。

この救急救命のやり方は、アメリカのガイドラインに沿っているようで、それが5年おきに変わるとのこと。
それに沿って、日本のやり方も変わるらしい。

前回受けたときも、今回ここが変わっています…という説明を消防署の人がしていた。

今回はAED(自動体外式除細動器)を使って実習。
よくできた機械である。
ふたを開けて、胸に当てるパッドを出したら、自動音声ガイダンスが始まる。

心臓が停止した場合、1分ごとに救命率が10%減少するとのこと。
脳に障害を残さないためには、心臓が停止してから5分以内にAEDを使うべき…とのこと。

ERなどの救命ドラマなどを見ていると、心停止したらパッドを出し、電気ショックのレベルを設定して、"Clear!"と叫ぶ。
離れて!という意味だ。
それと同時に、患者の周りにいた人たちが一斉に下がり、胸にパッドを当ててスイッチを入れ、ドン!という音が出て身体が跳ね上がる。
すごい電気を流していることがわかる。
ドラマだからかもしれないが、たいがいショックを与えることで、心臓の筋肉のけいれんが止まり(除細動)、またモニターから「ピ・ピ・ピ…」という音が出る。

しかし、今日聞いたら、一般の人が使う緊急用のAEDはそれほど高い電圧ではないので、あくまで心臓マッサージとセットで効果を発揮するとのこと。

ERに置いてあるようなものとは違うのだ。

講師の話を聞いていてなるほどと思ったが、電源をつなぐわけではないので、あくまで充電電池を使う。
だから、ショックも弱いし、1回使うと2分ほどチャージの時間がかかる。
ドラマのように、うまくいかなかったからといって、すぐにレベルを上げてもう一回…というわけにはいかない。

やっぱり、胸の上に手のひらを当て、体重をかけて押さえるというマッサージが重要とのこと。

次の改訂では、マウス・トゥ・マウスの人工呼吸はガイドラインから外れるだろうとのこと。
失敗が多く、それよりも気道確保した上で、ちゃんと心臓マッサージをしなさい、ということらしい。

今日は上半身だけのダミーを使って実習したが、結構力がいるし、シンドイ。

でも、一度経験しておいてよかったと思う。

ドラマと現実は違うのだ。



| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
長押しボタン
ユニバーサルデザインという言葉がある。

どんな年代の人でも、どんな言葉を話す人でも、すぐに使い方がわかるような製品をデザインするということだ。

たとえば、サインボード。
トイレの男女の別は、文字で書くよりもわかりやすいシンボルにしよう、ということで、赤い色でスカートをはいたシルエットが女性用、青い色でズボンをはいたシルエットが男性用というようなものを使って、誰もが間違わないように…というのはユニバーサルデザインの一つだと思う。

ある敷地内での建物では、右側が必ず男性用のトイレというような設計上のデザインもあるだろう。

別にトイレに限ったことではないのだが…。

でも、必ずしも世の中がユニバーサルデザインになっているかというと、そうでもない。
コストが絡むと、そこが犠牲にされる。

困るのが、ラジカセなどの操作。
今はCD、MD、カセットが合わさったようなものがある。
見たところ、機能の割には押しボタンは少ししかない。
どうやって、操作するかというと、リモコンである。
リモコンには、たくさんのボタンがある。
へたをすると、一つのボタンにいくつもの機能が割り当てられている。
こういうのは、老眼鏡を使っている人には、すごく使いにくい。文字がわからないのだ。
本当は機器のボタンを増やして、リモコンの小さなボタン類に頼らなくても使えるように設計しないといけない。
でも、ボタンやスイッチを増やすとコストが上がる。
だから、リモコンに頼ってしまう。
リモコンにすれば、赤外線で送る信号を書き換えるだけでいいし、コストは安くなるだろう。
親切な製品なら、リモコンも大きめで、よく使う機能のボタンは大きくしてあったり、形や色が変えてあったりする。
安くしようと思うと、同じ大きさのボタンが並び、小さな文字でボタンの機能が書いてあって、どこを押したらどうなるか、字が読めないとわからない。

製品の機能が増えると、ユニバーサルデザインはやりにくくなるということだろう。

携帯電話はそのたぐいの製品。
通話だけでなく、メールやネット接続、音楽を聞いたり、カメラになったり、ファイル整理をしたり…、それを少しのボタンでやる。
液晶も小さいので、表示される文字が小さくなる。

ユニバーサルデザインのために、機能を限定し、文字を大きくしたような携帯電話が出てくるのは仕方ないだろう。
それはそれで、役目を果たしているのだ。

ぼちぼち、そんな電話を持たないといけないかな…と思うが、まだまだ普通の携帯が持ちたいという気持ちもある。

一番困るのが、ボタンの長押しというやつ。

一つのボタンに異なる機能を持たせるときに、2秒以上押したら別の機能が呼び出される。

これは、わからない。
反ユニバーサルデザインだ。

若い頃は、そういう機器を扱うのが得意だったのに、最近はダメになった。

だから、ユニバーサルデザイン賛成だ。

長押しボタンは難しい…。



| | - | 00:38 | comments(4) | trackbacks(0) |
電池
40年間を考えると、電池というのはすごく進歩した。

昔の電池はよく液漏れした。
今のマンガン電池。
長いこと入れっぱなしにしていると、たいがい機器の中で液がもれて、錆びていた。
今でこそ、液漏れなどしないのが当たり前だが、当時は長期間入れておくと液漏れが普通だった。

だから、ナショナルのハイトップという乾電池は、「液漏れしません」という宣伝で画期的だった。
赤白の縞模様の電池。今はもう見ることはないなあ。

それからアルカリ電池が出た。縞模様が黒白になって、ハイトップがネオハイトップになった。
大きな電流を流す機器に使えて、長持ちする。
今やアルカリ電池が普通になった。

最近になって、リチウム電池やニッケル水素電池など、もっとスゴイものができている。
これらは、充電できる電池。
ノートパソコンやハイブリッドカーで使われている。

充電電池というと、ニッカド電池というのがよく使われていたが、これは使い切らないうちに充電すると、すぐにダメになった。
最近のものは、まだ使い切っていなくても、充電して使える。

すごい進歩だと思う。

太陽電池もかなり効率が良くなったらしい。
電卓や腕時計で使われている。

さらに、燃料電池というのが出てくる。

すでに、携帯機器用の燃料電池が試作されているらしい。

そのうち、携帯の電池がなくなったら、薬局でメタノールを買って、注射器で補給…というような時代が来る。

その裏で、いろんなビジネスが動くのだろう。
小型の燃料タンクなど、どんなふうに作るのだろうか。
燃料の注入方式など、どうなるのだろうか。

すでに、競争が始まっているはず。

ひっそりと、毎日考えている人たちがいる。

いいものを作ってほしい。



| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
慣れるより習え
子どもがギターの教室に通いだしたら、急に上手になった。

ギターを触りだしてから、数ヶ月しか経っていないので、どうかな…と思っていたが習えば習うだけ上手になる。
最初が肝心とはよく言ったものだ。

教室に行ったら先生が「習わずにやっていたら、やっている曲だけしか弾けないが、習うことでいろいろ弾けるようになる」と言っていたとのこと。

教科書もよくできている。
どこかで聞いたことがあるような有名なフレーズが並んでいて、それをやっていくようだ。
もちろん、最初はスケール練習からやる。
基本はドレミファソラシドの繰り返しから。

今の若い人たちは、エレキギターの方が馴染みがある。
ケースを持って歩いている学生をよく見るが、アコースティックギターは少ない。
ぼくらの若いころはフォークギターと呼んだ。
70年代には、ギターといえばフォークギターだった。

フォークギターを習ったことはないが、教則本は何冊か買った。
最初は簡単なコードとアルペジオ。
アルペジオというのは、一つの和音を指でポロンポロンと弾く奏法で、本ではジョーン・バエズの「ドナドナ」という曲が最初だった。

アルペジオのあとは、フィンガーピッキングという奏法。
ピーター・ポール・アンド・マリーの「パフ」が教材として使われていた。
こちらも3本または4本の指で、シンコペーションしながら、ポロンポロンと弾く。

でも、エレキギターではこういう弾き方はあまりしない。
ピックを持って弾くのが基本。

こないだ、フィンガーピッキングをやったら、「スゲー」とびっくりされた。

これは基本だったのだが…。



| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
休日出勤
今日は休日出勤。

昔は土曜日も授業があったし、会社にも行った。
もちろん、半日だったが…。
これを半ドンという…というのは前に書いた。

今は土曜日に出勤する時は、たいがい一日出る。

昨日の夜遅くまでかかって、まとめきれず、目をこすりながら帰るハメになった仕事の続きをする。
昼からのイベントが目的で出てきたので、午前中は懸案事項をやってしまうことにした。

朝は頭がすっきりしているので、夜よりもヨロシイ…と有名な人が書いていたが、そうかもしれない。
昨日の夜は目薬をさしながら、ショボショボした目でやっていた仕事がスイスイと終わる。

もう一度見直して、まとめを作り、キーワードをまとめたら、何となく頭に入ってきた。

一晩考えを寝かすといいというのも、たしかどこかに書いていたが、そうだと思う。

寝ている間に、脳が勝手にまとめているのだろう。

もちろん、何でもかんでも寝ている間に進むわけではないが…。

昼から目的のイベントをやって、夕方には帰る。

9月になったとはいえ、まだまだ日が高い。
西日を浴びながら、また目をこすりながら帰る。

それにしても、疲れた…。



| | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
梅酒
会社に入って最初の10年ほどは出張ばかりしていた。

ほとんどがクルマとフェリーの移動。

出張といっても、社内の一つのグループがまとまって移動するようなものだ。
月に一度は大規模な出張になって、その時は十数名で行く。
行った先では、雑魚寝の場合もある。

いくつかの大部屋があって、一つは麻雀の部屋、一つは飲む部屋、一つはテレビを見る部屋…、そんなふうになる。

Yさんは自分で運転して、自分で酔うことがあるというめずらしい人だった。
「どうも体調が悪い…」と言いながら、おもむろに水筒を出してきて、茶色の液体を飲んでいる。

「それなんですか?」と聞くと、漢方薬だという。
いかにも、漢方薬という感じで、苦い顔で飲んでいた。

ほー、調子が悪いから、漢方薬をやっているんや…。

それから、しばらくして、「あれは梅酒やで」と聞いた。

え、そうやったんか…と飲んでいるときにYさんに聞いたら「バレたか」との返事。

それにしても、みごとにだまされたなあ、と感心した。

あれから、梅酒を飲むたびに、Yさんが水筒からふたのコップに注いでいる姿を思い出す。

今夜も思い出してしまった。

しょうもないことが、むしょうに懐かしい。






| | 考えたこと | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
バンドの寿命
会社の寿命は30年というが、バンドもそれくらいが限界なのかもしれない。

先週、サザンオールスターズが活動休止のコンサートをやっていたが…。
彼らが30年。

30年以上活動しているバンドで、知っているのはセンチメンタル・シティ・ロマンスくらい。
彼らは35年だが、他には思い当たらない。

スターダスト・レビューも長いと思っていたが、まだ27年だった。

2人組ならビリーバンバン、ブレッド&バターがいる。どちらも40年選手だが、兄弟でやっている。

チューリップが19年、ドリームズ・カム・トゥルーで20年か…。

デュークエイセスやダークダックスは別格。バンドではないが、50年以上だ。

サザンは休業するが、桑田はソロでやるんだろう…。

チューリップから財津が独立していったように、サザンから桑田が独立するということか。

バンドのリーダーは、どこかで自分の音楽と、バンドの音楽を作り分ける事がしんどくなるのだろう。

リーダーはバンドをやってきて、バンドでやるべき音楽がわかっている。
だからこそ、自分のやりたい音楽とのずれがわかる。
どこかで、そのずれが収拾できなくなる…その限界が30年くらい。

他人から見ていると、桑田のやりたい音楽を、サザンとしてやったらいいのではないかと思うのだが、彼はバンドを知りつくしているから、それがバンドに合うかどうかわかる。
それが、演奏の技量なのか、メンバーの嗜好なのか、何なのかはわからないが…。

そういうことの折り合いがつかなくなるのが、解散の時になる。

でも、30年は長い。

お疲れさまでした。





| | 考えたこと | 23:32 | comments(2) | trackbacks(0) |