考えたこと2

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スカイライン
スカイラインというと、日本のスポーツクーペの名車。
もとはプリンスという会社が作っていて、日産に吸収された。
長いこと日産プリンスという名前が残っていたのは、このクルマのおかげだった。

四角い箱型のスカイラインは「ハコスカ」と呼ばれたし、宣伝で「ケンとメリー」が出ていた頃は「ケンメリ」という愛称があった。
「技術の日産」の頃は、ブルーバードとスカイラインはその象徴だったと思う。

トヨタの「トレノ」「レビン」も走り屋のクルマだったが、やはりスカイラインには名前負けするという印象だ。
「ハコスカ」のあの釣り上がったフロントのヘッドライトが、いかつい感じを出していた。
「ケンメリ」からは、丸いリアランプが特徴。
あそこから、スカイラインの伝統になった。

しかし、新しいスカイラインは、先進の自動運転技術が売りだ。
ドライバーが運転して楽しいクルマだったのだが…。
搭載されているカメラやセンサーは24個もある。
車載カメラで運転者の様子もチェックしていて、自動運転中もよそ見をしたり、すぐにハンドルを持てないような状況なら警告される。
高速道路を同一車線だけでなく、車線変更も自動で行える(ただし、車線変更をするかどうかは人間が決める)。
さらに、ナビと連動して高速を降りるところまで誘導する。
プロパイロット2.0というシステム。

レビュー記事によると、すごく運転がうまいらしい。
ふらつきもなく、安心して乗っていられる。
これからの自動運転は、スカイラインのような「人間らしさ」があるべき、という人もいる。

一方、営業利益が激減で絶不調の日産だ。
人員整理のニュースもあった。

自動運転だけでなく、電気自動車でも技術の日産になっている。
充電のためだけにエンジンを積んで、走るのはモーターというシリーズハイブリッドは日産の技術。

先行き問題は多いが、頑張ってほしいと思う。



| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビッグデーター駆使?
文科省が先月小中高校などの教育に、先進的なIT技術を活用するという計画を出した。
それによると、2025年度までに、児童生徒1人につき1台の教育用のパソコンやタブレットが利用できる環境を整備するらしい。

さらに、全国的に生徒の個人データーを集め、ビッグデーターをAIで解析して、それをもとに子供が自発的な学習をするのに最適な教材を勧めたり、苦手分野を学び直すためのオーダーメードのドリルを作成したりすることを考えているらしい。

また絵に描いた餅になるのではないか。

今の小中学校の教員にどれだけのITリテラシーがあるのか、そういう調査は聞いたことがない。
小学校では、プログラミングの教育をすることになっているが、それをやる教員の訓練などどうなっているのか。
また総合学習のときみたいに、現場に丸投げで結局遊びになって、他の科目の時間を減らしただけという結果になるに決まっている。

英語だって、文科省が教員に望むレベル(中高で英検準1級を望んでいる)に満ちている人は小学校では1%だという。
未だに小学校の教員の資格をとるために、英語は必要とされていない状態。
もう来年から正式教科になるというのに、このていたらく。

文科省という役所はつくづくバカな役所だと思う。
時代時代で問題があれば、付け焼き刃の対策をして、根本は全く変えない。

落ちこぼれが問題になったら、臭いものにはフタで、修得主義をやめて、履修主義に変えた。
追試に合格しなくても、決められた時間補習授業を受けたらいい、ということだ。
補習の時間はとりあえず座って聞いていればOKだ。
これなら落ちこぼれるはずがない。

それでなくても、小学校の割合や分数でつまづいている生徒が多いのに、どうして修得主義にしないのか。
大学を卒業した学生の就職筆記試験の数学の内容が、「小学校から高校1年までの数学」になっていることをオカシイとは思わないのだろうか。

そんな文科省が作った工程表が信じられるだろうか。

これなら、タブレットを与えて、今の教員は何もせず、リクルートがやっているスタディサプリでもやったほうがいいと思う。
プログラミングの授業の開発もリクルートにやってもらえばいい。

そうなったとき、教員は一体何をやるんだろう。

今の小学校の存在意義を考えないといけないぞ。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
衰退産業
大学業界が衰退産業だという記事があった。
『決断』という本の著者、成毛眞氏がその内容を紹介している。

大学産業はお客さん(18歳人口)が減ることは予想できていた。
人口動態というのものは、急に変化するものではないし、18歳人口は少なくとも18年前には決まっているのだから、民間企業の需要予測よりよほど正確だ。

そんな中、平成の30年間で約300校増えたのが大学。2018年で780校ある。
1989年が499校だったから、1年に約10校の割合で増えた。
その間に、18歳人口は193万人から118万人になっている。

ぼくは、大学を新設した学校法人は、少子化によって環境が苦しくなるのはわかっていたと思う。
それでも、バカみたい増えた。
きっと、自分たちだけは大丈夫だと思っていたのだろう。
現状では定員割れが210校もある。

学校法人には国から補助が出ている。
非営利の法人として、少なくなる志願者を取ろうとしたらどうするか。
普通に考えたら、この大学に来たら、いいところに就職できるだけの学力が保証されるというふうに、レベルアップを図る戦略を取ると思う。
しかし、実際にはそういう戦略はとられなかった。

この間に文科省は初等、中等教育で、落ちこぼれ対策で修得主義から履修主義に方針を変更したり、ゆとり教育で時間数を減らしたり、総合学習を入れたり、科目をいじって、社会系の科目を増やしたりいろんな手を打った。
これらが功を奏して、見事に小中高のレベルが下がり、受験生のレベルが下がった。

受験生のレベルが下がったのは、下位の大学が始めた推薦入試の多用化や、入試科目の減少、AO入試の間違った方向での採用などの原因で、入試そのものがなくなったり、簡易化したことも一因だ。
その後、それに輪をかけて、少子化による全入化が進み、入試そのものが選別の役目を果たさなくなった。
極論すれば、落とす入試から、どうやって入れるかという入試になった。

一部の困った大学はアジアからの留学生を増やした。
学生ビザで入った留学生たちが、ほとんど学校に来ず、アルバイトで祖国に送金したりする問題が出たりした。
相対的に海外での日本の人気が下がり、文科省の指導もあって沈静化はしたが、一時はうちの近所でも、お好み焼き屋に行ったら、カタコトの日本語を話すアルバイトばかりになっていた。

そういう道筋を通って、大学は今も衰退の一途を辿っている。
なぜかというと、入れた学生をちゃんと教育して出せればいいのだが、今の下位の大学の体制ではそんなことは難しい。
問題は高等教育の問題ではなく、初等、中等教育の積み残しだからだ。

本来なら人生が長くなって、社会人の学び直し等のニーズはあるはずだが、なかなかそちらにも舵を切れない。
教える先生の側が、社会人に対応できないのも大きいのだろうと思う。

アルバイト漬けで4年間を送っても、卒業できてしまう大学なら、高校を出て働いたほうがよほどいい。
まわりも教育してくれるし、ちゃんと社会人としての自覚もできる。

今のままなら、衰退すべくして衰退したということだ。





| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
暇な時間
仕事や学部を選ぶ時に、キャリアの観点から言うと「何をやりたいのか」「何ができるのか」「何をしている自分なら満足できるのか」の3つを考えなさい、ということになっている(と思う)。
しかし、そもそも何がやりたいかわからない若い人は多い。

その原因の一端は、高校生や大学生がアルバイト労働力として使われるようになったからだと思う。
前にも同じようなことを書いているが、高校や大学で暇な時間がなくなった。
その原因がアルバイト。
最低賃金を上げることを検討したりしているが、それよりも高校生や大学生のアルバイトを禁止したほうがいいと思う。
彼らを使うのは、未来を潰しているのと同じことだからだ。

アルバイトをする一つの原因は、日本が貧しくなったことだろう。
やっぱり国が貧すれば、鈍するのだ。
子供の数が少なくなって、大切に育てないといけないのに、早くから安い労働力として使われる。
でも、大方の学生はそもそも暇だから働くのだと思う。

ぼくらの高校時代はわりと暇だった。
部活をやっている人たちは忙しくしていたが、ぼくは行っていた高校に落研がなかったので、部活はやらなかった。
この辺の経緯についてはここに書いた。

いわゆる帰宅部というやつで、帰ってから近くの大学のグラウンドに行って、中学の時の同級生とボールを蹴ったりするくらいだった。
本はわりと読んだ。太宰治や石川達三など。太宰は文庫はほとんど読んだはず。
当時は太宰もたくさん文庫で並んでいた。
受験対策で夏目漱石や森鴎外なども読まされた。
ギターもよく弾いた。今は流行らないフィンガーピッキングでポール・サイモンやピーター・ポール&マリーなど練習したものだ。

高校1年や2年の時は、本当に暇だった。
よく近所の同級生とダベった。
前に書いたこれなどがその頃の記憶。

くだらない事を話していたのだが、考える暇は十分あった。
将来何がやりたいかなど全く考えてなかった。
だから、それを今の若い人たちに求めるのは酷だと思う。

でも、自分はどんな人間なのか、どんな人間になりたいのかというようなことは、考えたと思う。
思春期というのは、そういうものだ。
何かの思想にかぶれたりもするが、それを通じて自分というものを考える時期。

今は高校大学を通じて、そういう暇な時間が減っているのではないか。

今の就活で試されるのは大人度だと思う。
ちゃんと目を見て話せるか、敬語が使えるかで始まって、世の中のことを考えているか、自分のことをどれだけ語れるかなどの事は、結局は学生がどれだけ大人になっているかを確かめているのだと思う。

学生時代に勉強をするのも大事だが、友達とダベったり、本を読んだり、いろんなことで悩んだりできる、暇な時間が必要なのだと思う。
卒業後すぐに進学しないとか、就職しないで自由に過ごすギャップイヤーというのも、そういう目的のものだ。

ぼくにとっては、大学など、そういう時間そのものだった。
若い人はある程度暇でなければならないと思う。

年をとったら、いやでも働かなくてはならないのだから。

| | 考えたこと | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
XAI
こないだの日経を見ていたら、XAIという文字があった。
これは何かというと、Explainable AIのこと。
AIは何かを学んで賢くなっていくが、その結果を見ただけでは、どういう判断でその結果を出したのかわからない。
それを説明可能にするということだ。

AIを使うことに逡巡する企業の大きな理由は、AIが答えを出した「理由がわからない」ということ。
後付けで人間が考えても、なぜぞうなるのかわからない、ということだろう。

AIの将棋でも、従来なら考えられないような棋譜になるものがあるらしい。
定石ではなく、AIが作り出した新手だ。
AIは従来の対戦や自らちょっとチューニングを変えたAI同士で対戦し、それを編み出す。
しかし、あくまでAIはコードで書かれたプログラムだから、なぜその手を指したのかは聞くことはできない。
「勝つ」という目的があるだけだ。
将棋の場合は明確な目的があって、勝てばいいのだから思考過程はブラックボックスでもかまわない。

しかし、企業でAIを取り入れるところは、将棋のようにはいかないと思う。
いろんなケースがあって、その中からどれを選ぶかという場合など、判断理由は大事だ。
決定者には責任があるから困る。
AIは失敗したときの責任を取ってくれない。
そもそも、責任という概念がわからない。

結局、最後は人間が判断しないといけないのだ。
だから、経営に関することなど、AIを参考意見で聞く程度にしかならないのだろう。
突拍子もない意見をAIが出したときに、理由もわからずそれを採用する、というのには十分勇気がいる。

人間の脳を模して、考えさせているのに、理由がわからないというのもなあ。

人間自身だって、結局は理由をつけていても、こじつけの場合も多い。
人間のつけた理由は、よく考えたら理由になっていない、というようなこともあり得る。
直感を信じるというような人もいる。
所詮結果オーライなのだ。

しかし、それでも人間が判断したら、その決定について責任が発生する。
そういう仕組で、おおかたの世の中は成り立っている。

さらに、世の中の出来事は、起こってしまったらもう時間は戻れない。
いくら過去の事象を学習して、この時はきっとこうした方がよかったなどと実績を積んでも、実際にはそれが正しいかどうかはわからない。
やってみることができないからだ。

それに、大多数の人間はAIほど賢くない。
だからこそポピュリズムなどということが起こる。

AIと人間の関係は難しい。



| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方の人手不足
地方の有効求人倍率はほとんどの都道府県で1.2を超えているという。
1を超えたら、求人の方が求職者の数より多いということだから、文字通り人手不足だ。

それでも、地方の学生は都会で働きたい人が多い。
地方出身者のUターンの相談を受ける頻度は、とても少ない。
そういう人たちは「地元には、仕事がないから」という。
しかし、実際には仕事はあるということだ。

それは結局、若い人たちが「やりたくない仕事」しかないということだ。
そういう記事があった。

記事によると、地方は生産年齢人口が大きく減っており、それに加えて「働き手が寄り付かない組織」になっている。
ネットが普及する以前は、地方と都市で情報格差があったが、今は若者がスマホであらゆる情報にアクセスすることができる時代。
ハローワークのサイトで検索すれば、簡単に全国の求人票を見ることができる。
条件をつけて、それに合致するものだけを表示させることも可能だ。

一方、地方の人手不足を嘆いている人たちは、従来の雇用条件を変えようとしない。
要するに、若い人は地方と都市の労働条件を見比べて、より良い方を選んでいるだけなのだ。

地方の求人者の出す労働条件は、

1. いい人材がほしいけど、給料はあまりあげたくない
2. 終身雇用はしないけど、会社には忠実でいてほしい
3. 即戦力になってほしいけど、教育投資はやりたくない
4. 積極性がほしいけど、自分には従順に従ってほしい

の4つだそうだ。

今どき、こんな条件で働く若い人はほとんどいない。
つまり、地方の経営者の頭が時代についていっていない、ということなのだ。

記事を書いた「まちビジネス事業家」の木下氏はこう書く。

「冗談のようではありますが、実際に起きていることです。地方に人が来ないのは、確かに生産年齢人口の減少のようなマクロ要因もありますが、私に言わせれば、当事者側の組織問題のほうが大きいのでは、と思うところです。
その結果として、市役所などの行政側からは、仕事のできる若手公務員ほど、独立したり転職する人が増加していたり、都市部へより条件のいい教育や就労機会を目指して出ていったりするわけです。そのほうが合理的だから当然のことでもあります。
以前から地方の会議や、国の経営者が集まる会議で「もっと若者や女性の視点で改善しないと、ますます人が来なくなりますよ」と言っても、「そもそも最近の若い世代は苦労をしようとしない」といったような話で経営者たちが盛り上がってしまい、「ウチなんかこんなに人が来なくて大変なんだ」といった、訳のわからない苦労話に花が咲いて終わってしまいます。
しかも、最後は「外国人労働者を入れていこう」と安い労働力を導入することで、問題を先送りするということも少なくありません。抜本的に仕事を変えたり、人事制度を変更するよりも、はるかに簡単だからです。しかし、これまでやってきた仕組みをまったく変えずに温存しながら、仕事の引き受け手を探し続ける企業の将来の将来性はあるのか、甚だ疑問です。」

このあと、地方でも若手を集めているところとして、熱海や四條畷の例が挙げられている。
うまく行っているところは、従来の慣行をやめて、新たな雇用形態や募集方法をとっている、ということらしい。

「結局、「人が来ない、若者が悪い」などと文句を言っているだけで、過去のやり方を変えようとしない組織や地域からは人が去り、今の時代に合わせ、働く側に沿った採用・雇用を推進すれば人は集まります。」

そうなんだろう。
高度成長の時代は労働人口も増えたし、何も変えず、新しいことをしなくても、なんとかなった。
その時代を楽に過ごしてきた人たちが、結局地方の人手不足の原因を作っているのだ。
特に役所など、何十年と採用方針を変えず、毎年決まった「公務員試験」をやってきて、今に至っている。
採用面接で「安定しているから公務員」と言えば落ちるが、採用試験は何も変えずに何十年と「安定」しているのだから、ちゃんちゃらオカシイ。
結局、安定を目指した人しか集まらない。
まれに変えていこうと思った人も、結局は辞めていくのだろう。

大阪から始まった公務員試験改革は大きかったと思う。
橋下さんの力だ。
今や追随する所が増えている。

採用の形態を変えずに、従来と違う人材は採れない。
教員養成課程も同じこと。
大阪維新の会が実際に大阪市政や府政を変えたように、まずは上が変わらないといけないが、下も変えないといけない。
やる気のある若手を採るには、まず上の考え方を変え、やる気のある若手を採り、実際に制度を変えていくしかないのだと思う。

もうあまり時間は残されていないと思う。

まず地方の年寄りの考え方を変えないと、いけない。

| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
よしもと問題
芸人の闇営業の問題で、問題の芸人や吉本興業の社長が会見をしている。
最初から、なんとなく違和感があったのだが、この記事がちゃんと書いてくれた。

元山口組経済ヤクザで作家の猫組長、という人がいるらしい。
その人がこの問題に対してコメントしている。

この記者の書き出しが素晴らしい。

「発端は宮迫博之氏、田村亮氏ら芸人が、反社会的勢力から金銭を受領したことだ。素性を事前に知っていようといまいと、結果として犯罪集団から大金を得る副業をしたなら、普通の会社員であれば懲戒解雇にもなりかねない。吉本は芸人を社員として雇用してはいないが、社会的責任を負う大企業として、関係者の不正行為に厳正に対処する義務がある。それが涙混じりの感情論にすり替わっているとは、議論の逸脱も甚だしい。」

まさにその通りだと思う。

猫組長は、社長の会見で契約解除など芸人への処分を撤回したことを「非常にまずい」と指摘している。
これで、芸人たちは結局のところ何でもありと勘違いしてしまって、ガバナンスが潰れるという。
社会の常識にしたがって、処分は厳正にするべきだと思う。
「嘘をついた」などというのは、全く言い訳にもならない。
まだまだ駆け出しの若手ならともかく、ベテランの芸人が涙ながらに「嘘をついてしまった」というのは情けないとしか言いようがない。
本来なら懲戒解雇であり、それを撤回するというのは禍根を残すと思う。

さらに、反社会的勢力について、こう書く。

「それから今回の事態は、反社がじっと見ていることを忘れてはいけない。当事者の詐欺集団だけじゃないですよ。芸人やタレントと付き合いのある奴らはみんな、「こういうふうに劇場型にすれば、世論を誘導できるのか。企業を思う通りに動かせるのか」と学習しています。芸能と関係がなくても、世論を誘導すれば金儲けに繋がることは多いしね。吉本の経営は、絶対に毅然とした態度をとらなあかんのです。」

まっとうな意見だと思う。
たとえ、裏で反社会的勢力とナアナアでやってきたとしても、そういう態度をとらないといけないのだ。
実際、猫組長は吉本の大物芸人を宴会があるごとに呼んでいたという。

ただ、今回のオレオレ詐欺の集団はかなりいい加減だという。
写真や動画が出てくる事自体、得体の知れない集団だという証拠。
要するにまっとうなヤクザなら、こんなことにはなっていないということだ。
もちろん、まっとうだから、いいというわけでない。
しかし、ランクで言えばもっといい加減なヤクザということであり、それはそれで大きな問題だろう。

今回の経緯は、あまりにも反社の問題を軽視しているという指摘。
これも全くそのとおりだと思う。

「国内においてはここ10年、暴力団排除条例(暴排条例)が全都道府県にでき、あらゆるビジネスや付き合いが封じられてきました。この流れの中で、芸人やタレントとも昔ほど深く付き合わなくなりました。宴会を開こうにも店も借りにくいようなご時世で、ヤクザにとっては派手な宴会を開いて目立つこと自体がリスク。いかに目立たないかが非常に大事になっているんです。

 そして国際的には、AML/CFT(マネーローンダリング・テロ資金供与対策)ほどシビアなものはありません。IMF(国際通貨基金)などあらゆる国際機関は、テロ組織やマフィア、ヤクザだけでなく、振り込め詐欺みたいな犯罪行為に絡む金融取引を、極めて強い意思のもとに排除しています。日本はそういう国際機関から、「対策が手ぬるい」と度々言われてきた国なんです。

 吉本は教育事業など行政案件に進出しているでしょう。あまつさえ、安倍晋三首相を新喜劇の舞台に立たせて、政府との関係が深い。そういう影響力の大きい企業が、反社リスクを抱えているわけです。今回の吉本の問題も、国際問題に発展するリスクがあると思いませんか。」

猫組長の言っていることは、語弊があるかもしれないが、さすが元山口組経済ヤクザだと思う。

普段は舌鋒鋭いマスコミも、自分たちが吉本興業に依存しているせいで、追求が甘い。
ジャニーズ事務所と同じで、特に関西では地上波は今や吉本に頼らずに番組を作るのが難しくなっているということだ。
新喜劇と漫才・落語の番組だけやっている頃ならよかったのだが、今や関西ローカルではテレビをつけたら吉本の「タレント」が出ている。
お笑い以外に何の専門性もない「タレント」だからこそ、ギャラは安い。
その「タレント」たちが、井戸端会議のような話をする。
それが今の関西のワイドショーやバラエティだ。

「そしてもっと深刻なのは、これほどのグレーさを露呈した吉本とテレビ局との関係が、相変わらず密接なままという点です。テレビ局は吉本にとって株主であり、芸人を番組に出してくれる顧客でもある。一方でテレビ局は上場企業で、何よりも総務省の許認可を受けて事業を行う公器であり、社会的責任は極めて大きい。一般企業の感覚なら今回の問題を受けて、「吉本の芸人である以上、反社リスクが存在する。この恐れが拭えない限り、吉本の芸人は使えない。吉本との資本関係も見直す余地がある」と判断するのが普通。さもなくば他の取引先と自社の株主が許さない。

 にもかかわらずテレビ局は現時点でも、吉本の芸人を番組に起用し続けているばかりか、闇営業問題を取り上げた番組でコメントまでさせている。芸人やキャスターが反社の問題に切り込むことはなく、「パワハラ体質の吉本と芸人との間の感情的な内輪もめ」に議論を終始させています。これは恣意的なストーリー作りとちゃうのん、と僕は思う。」

拍手を送りたいほど、まともな意見だと思う。
なぜこういう意見が出てこないのか、不思議だ。

最後にテレビ局に対してこう言う。

「そしてテレビ局は、株主として吉本の行動をきちんと監視し、議決権行使などの形で是正を求めるべき。「明確な対策を講じない限り、おたくの芸人・タレントは起用しません」と通告し、さもなくば資本提携を解消すると言うべき。銀行や一般企業など、吉本の他の株主は早晩そういう行動を取るでしょうね。そういう中で、テレビ局だけが厳正に対処せず、番組でも芸人を起用し続けたなら、それはもう彼らも問題の共犯者としてアウトやね。」

ぼくもアウトだと思う。
元山口組の人が言うことが、一番まっとうだということが、何となく情けないが、そうなんだから仕方がない。
どうしてこういう意見がマスコミから出てこないのか…。
そこまで劣化してしまったということか。

ちゃんと全ての関係者が責任を果たしてくれることを願う。

| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
民主主義の欠点
ニューズウィーク日本版に、「本来的にどうしようもなく偏っている我々の一票がなす民主主義の意味」という記事があった。
この事は、知らず知らずの間に、現代の人たちを侵食していると思う。
トランプ大統領以降、このことがあらわになってきた。

記事の中では、自分が裁判にかけられたとして、その裁判官が適当に気分で判決を下したり、客観的な証拠に従わなかったり、偏見に満ちた判決を下したら、その判決は「まとも」ではないと判断するはず、という。
それは当然だ。

しかし、民主主義の世の中では、自分に直接関係がない政治や政策について学んでいるほどヒマな人は少ない。
現代は政治に関する情報はどんどん手に入れやすくなっているが、この40年間で、人々の政治リテラシーは大して上がってはいないらしい。

というより、ネットの影響で、人々はどんどん自分が偏っている方向にずれていく。
さらに、ネット上のSNSやニュースサイトがそれを強化している。
自分の意見と同じものだけを読み、バイアスを強くしているのだ。

ネットが既存のジャーナリズムの力を弱め、その結果マスコミが劣化したということもある。
海外はわからないが、日本のマスコミはひどいと思う。
新聞やテレビを見るのは、ほとんど高齢者だから、その人達におもねった記事になる。
所詮、購読数や視聴率の問題だ。
マスコミに科学の知識や良識などないことは、はっきりわかった。

原発事故の報道を何度もセンセーショナルに行い、風評被害を大きくしたのも、マスコミの役割が大きい。
福島には人が住めないとか、未だに線量が多く被爆が心配だとか、甲状腺がんについての報道など、ちゃんと訂正の記事を出して、謝罪すべきだと思う。
避難しなくてもいい人まで避難させたのも、自己責任とはいえ、マスコミの報道によるところも大きい。
そのうえ、自分たちが福島の人たちの被害を大きくした張本人だという意識もない。(気づいているかもしれないが)

一般の人々も結局いい加減である上に、ネットのおかげで偏っていくし、それを食い止める良識あるマスコミも存在しなくなる。
これで民主主義は成り立つのだろうか、ということだ。

ぼくは戦後の民主主義教育を受けて、民主主義こそ正しいものだと教えられた。
でも、それは国民一人ひとりに教育が行き渡り、自分で正邪を判断できる国民がいての話だ。
だからこそ、教育は大事なのだ。
生まれ落ちたまま放置されたら、まともな判断などできない。

どうやったら、この民主主義の欠点が小さくなるのだろうか。

インターネットで情報が過多になる現在、これはとても難しい問題だと思う。



| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
食えない仕事
こないだ見に行ったライブで、20代、30代のシンガーが歌っていたが、きっと歌だけでは食えてないと思う。
それでも、数十人の観客の前で歌って踊っている時は、とても楽しそうだった。
好きなことをやりつづけるのは、経済的には苦しいが、生きている充実度は大きい。
それをいつまで続けるのかという問題もある。
この選択は難しい。

経済的に十分な仕事を持っていて、副業で好きなことをやるという手もある。
それなら、リスクは小さいし、安全だ。
しかし、そういう人は少ないだろう。
だんだんと緩和されつつあるが、今の日本で二足のわらじを履くのはまだしんどい。

いきおい、副業の方に重点をおくと、本業が圧迫されるし、続けにくくなる。
それに、本来の好きなことをやる時間が減るから、不満もある。
趣味ならかまわないが、本当に好きなことをやりたいと思ったら、どうしてもフルタイムにしたいものだ。
家でできる物書きみたいな仕事なら別だが、食うことが前提なら、フルタイムでやらざるを得ないからなあ。

学生の相談で、そういうのがあったら「時間を決めてやってみろ」という。
全くの夢物語なら、食える仕事につくことを勧めるが、ある程度本気の時はそういうこともできない。
だから、「時間を決めること」が大事になる。
半年なり、1年なり、2年なり、とにかくやってみるのだ。

ダラダラやるのはダメ。
やるなら、本気でやる。
それで目標を立てて、期限までに達成できなければ、辞めるということだ。
何にせよ、今を一生懸命生きていることが大事になる。

就職の面接に行ったとき、ちゃんとブランクの時間を説明できることが大事。
何事も本気で取り組んだら、得るものがある。
それがハンデになるかもしれないが、それは自分が決めたこと。
食える仕事について、そこからもう一度考えればいい。

しかし、親の立場に立つと、微妙だろう。
絶対無理とも言えない。
声優になりたいとか、アニメをやりたいとか、ミュージシャンになりたいとか、いろいろある。
どれも、専門学校があるくらいだ。

プロサッカーの専門学校があって、そこの元教員と話をしたが、一番困るのはサッカーを諦めさせることだと言っていた。
学校は商売だから、一応定員までは、来るものは拒まない。
テストをして、明らかにJリーグは無理、という人も入れてしまう。
入ったときから、サッカーで食えないとわかっていても、入れてしまうのだ。
小学校からサッカーをやってきた人たちに、サッカーで食うことを諦めさせることは大変だろうと思う。
その構造は、入学試験が機能していない下位の大学も同じようなものだが…。

だいたい、その手の仕事には「才能」が絡む。
ほんの一握りの成功者を夢見て、トライする若い人たちがいる。

夢は大事だが、罪作りだ。




| | 考えたこと | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
J-Popナイト
土曜日は大阪のイタメシ屋のライブに行った。
会員になって、招待状が来たので学生時代の友人を誘って「J-Popナイト」。
この歳になると、馴染みのある日本語の歌が聞きたくなる。

リーダーが中年の女性で、芸大で歌を教えていた藤村麻紀という先生。
普段はジャズを歌っているという。
慶応の出身でアメリカ留学もしている。
この人はもちろんプロだ。

20代から30代の弟子たちも一緒に歌う。男性4人、女性2人。
まあ、半分は弟子の発表会といった雰囲気だった。
弟子たちは、食えているかどうかはわからないが、ロックやゴスペルをやっているシンガー。
たぶん、歌だけで食えてはいないと思う。アルバイトもしているのだろう。

藤村麻紀のブログを見ると、いろんなところで一緒に歌っているようだったが…。
ホームページを見ると、「Authentic Artist Academy」を2017年からやっているということだ。

J-Popといっても、90年代の後半あたりからはそんなに知らない。
小室ファミリーやB'zの歌など、ちょっと年代が新しかったのが残念。
知っているのはサザンの昔の曲や、ユーミンの曲。

でも、一番よかったのは、研ナオコが歌った「夏をあきらめて」。
桑田佳祐の曲だった。
この歌が流行った頃は、毎週フェリーに乗って宮崎に行っていた。
そのフェリーの中で「ザ・ベストテン」をみんなで見たのを覚えている。
まだカラオケボックスなどなくて、スナックに行ってカラオケを歌っていた時期。
そんな時代が思い出された。

今回のライブは曲がちょっと新しすぎたという感じ。
もうちょっと年代が上だとよかったのだが…。

ちょうどぼくの前の席の家族が、弟子の男性の身内だったらしく、ずっと動画を撮って、彼が歌うと手を振っていた。
彼が出るから家族で来たのだろう。
もう80歳かという腰の曲がったおばあさんが、手拍子をして孫の応援をしていた姿がほほえましかった。

藤村麻紀は弟子たちにいろいろと仕事を世話しているのだ。

本人の歌も上手だったし、なかなかいいライブだった。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年も第九
「一万人の第九」にまた当選した。
3年連続。ありがたいことだ。

今年もコダマ先生の12回コースで練習する。
骨盤底筋を意識しないといけない。

奇しくも大学時代の友人が手術をして、リハビリで骨盤底筋体操をしているとのこと。
骨盤底筋は鍛えておかないといけないらしい。

一昨年はテナー、昨年はバスでエントリーした。
今年はテナーでエントリーしたが、どうしようか迷い中。
もう声が出ないような気がする。
あの、フーガの出だしの上のラはしんどい。
個人的には、アルトのパートが一番おもしろいメロディーでやってみたいのだが…。

8月からの長丁場。
11月の終わりには佐渡裕の練習もある。
3回目ともなると、ぼちぼちベテランの域。
楽譜本もいろいろ書き込みがあって、年季が入ってきた。

しかし、あの交響曲を聞いて待っているのがつらい。
またあのガマンの時間が来るのか。
だいたいは寝るのだが、それでもリハーサルと本番の2回ある。

まあ、あの時間があるから、第九のコーラスは一気にクライマックスへといけるのかもしれない。
たしかに、最初からコーラスで始まったら、重みがないとも思う。
歌い終わった時の爽快感は、あの待ち時間があればこそ。

ちょっと不謹慎だが、正直な気持ち。

今年も大阪城ホールまで頑張ろう。




| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロボットセラピー
アメリカでは、会話できるロボットが自閉症の子供たちの治療に役立っているとのこと。
役に立たないロボットを作っている会社が倒産するというニュースがあったが、会話ができるロボットはこういうニーズがある。

自閉症セラピー改善のためのロボットは60センチほどの人間型のもので、表情が変わったり、視線を合わせたりすることもできる。
自閉症で、コミュニケーションスキルが低い子どもたちの治療をするのだ。
もちろん、言語療法士が立ち会いのもとで、このロボットと話をするのだが、まだまだ研究途上とのこと。

それでも、37の州で約400校が使っている。
値段は132万円。ソフトとカリキュラムの更新に毎年40万ほどかかる。
個人ではとても買えない。

週に15分〜20分の会話を2回か3回やるだけ。
それでも、効果があるという。

日本でも老人ホーム向けのロボットは現役だ。
一人ひとりの顔と名前を覚え、簡単な会話ができる。
それだけでも、ボケ予防になる。

毛むくじゃらのペットのようなロボットもあって、そちらも社会的スキルの向上に効果があるということだ。
自閉症の患者の子どもたちは、人間よりもロボットの方が練習しやすいということだ。
そういうメリットもある。
社交的すぎず、何にでも反応しないのがかえっていい、ということもある。

日本でもやっているんだろうが…。

まだまだ自閉症の治療には役立っても、普通の人の話し相手にはならない。
でも、5年後くらいにはもっと進んで、話し相手になるものができるかもしれない。
そこに自分の興味分野や嗜好を入れれば、レクチャーもできる…。

そこまではいかないだろうが、今よりは進むと思う。
でも、「世間話」が一番難しいだろうなあ。

aiboが売れているところを見ると、ペット並みのコミュニケーションはできるんだと思う。

あと5年、イヌからどこまで進むだろうか。

ネコはまだなんだろうか。




| | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都アニメーションの放火事件
ニューズウィークによると、京都アニメーションの放火のニュースが海外でも大きく扱われている。
アップルのティム・クックCEOも「日本だけにとどまらない悲劇」と書いて、お見舞いのツイートをしているくらいだ。
こんなに京都アニメーションの存在が知られているとはビックリ。

事件発生後の短時間の間にも、いろんなことが起こっている。
BBCではこのニュースを詳しく報じて、

「日本のアニメ専門の米ライセンス企業Sentai Filmworksが立ち上げた募金Help KyoAni Healを紹介した。この募金には19日正午時点で117万ドル(約1億2600万円)が集まっている。」

ということだ。

すでに募金が1億円以上集まっているというのがスゴイ。
CNNでも「けいおん!」などのアニメを作っているところ、と紹介された。
あの「けいおん!」は女子のバンドブームに一役買っていると思う。

クールジャパンという言葉で、日本のアニメやマンガが世界で売れている、ということは聞いていたが、実際にこういう事件が起こると、そのことを実感させられる。
ぼくが見たことがある作品は、「聲の形」くらいだが、「けいおん!」や「響けユーフォニウム」は知っている。

「響けユーフォニウム」は女子の吹奏楽部を増やしたアニメだと思う。
実際、京都アニメーションがある宇治市は、中高の吹奏楽が盛んだ。

京都アニメーションのアニメは中高生が主人公のものが多い。
「中二病」という言葉もタイトルにあったりする。
そのあたりの年代をターゲットして作っていたのだろう。

「聲の形」は聴覚障害を扱った、とてもいいアニメだった。

ツイッターでも「#PrayForKyoani」というハッシュタグはトレンドになっているとのこと。

日本のアニメーションの存在感をこんな形で知ることは不幸だが、それだけ世界でも愛されているということだ。

この事件は残念だが、それだけの人たちが京アニのファンだということは素晴らしいことだ。

亡くなった人たちの冥福を祈るとともに、頑張って再建してほしいと願う。


| | 考えたこと | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
デジタル麻薬
アメリカでユーチューブやゲームにはまって、麻薬中毒のような症状になった子供がいるらしい。
具体的に言うと、精神的に不安定になり、友人から離れて閉鎖的になり、野球とボーイスカウトはやめてしまい、宿題もせず、シャワーも浴びない。
これを「電子機器中毒」という。

記事によると、こういう子供は、他に問題を抱えている場合が多い。
具体的には、うつや不安神経症といった精神疾患の症状から逃れようとして中毒になる。
当該の子供は、5歳のときに注意欠陥多動性障害(ADHD)、また6歳のときに不安障害と診断された。
医師によると、ネット中毒になったのは、こうした障害に対処するためらしい。
ネット中毒は原因ではなく結果なのだ。

治療のために、28日間のプログラムがあるという。
ここで診断検査や心理療法を受けて、ネット使用の加減方法を学ぶという。
ネットは麻薬やアルコールと同様に、快楽を誘導する物質を放出する引き金を引いて、脳の報酬系を乗っ取るらしい。
これが中毒になる原因。

日本でも、ゲーム中毒になっている人は、それに近いと思う。
四六時中スマホを手放せない人もそうだ。

しかし、この電子機器中毒からの回復というのは他の中毒より難しい。
なぜかというと、ネットは今や学校や職場で不可欠なものになっているからだ。
アルコールなどよりも、もっと身近で使わないと困る場合もある。
だからこそ、問題は深い。

WHOでも、「ゲーム障害」を疾患として認めたとのこと。
そのため、オンラインゲームは利用者に対して過度に利用しないように訴え、ユーチューブは利用者に休憩を促すために視聴時間を確認できる機能を追加したらしい。

テレビが普及したころ、「テレビばかり見ていてはバカになる」と言われ、注意されたのを思い出すが、オンラインゲームやユーチューブの中毒性はテレビどころではない。
何せその機械を持って歩けるのだから、見ようと思えばずっと見られる。
オンラインゲームになると、持ち場を離れられかったりするのだろう。

ひどくなると、トイレに行きたいけど、電子機器から離れられなくてその場で排泄したという例もあるらしい。
こうなると、まさに中毒だ。

そのうち、オンラインゲーム用の「おまる」なども販売されるかもしれない。
サンドイッチ伯爵ではないが、ゲームをしながら食べられる食事とかも必要だ。

ぼくらはスマホネイティブでもないし、そんなに中毒になるようなこともしていない。
パソコン中毒の気はあるが…。
でも、先進国では今の小学生くらいからは、生まれた時からスマホがある。
もちろん、日本でもだ。

意外と人類を滅ぼすのは、スマホかもしれないぞ。




| | 考えたこと | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
かがりさん3
「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」のマドンナ役がいしだあゆみ。
いしだあゆみが演じるのが「かがりさん」だ。

今まで2回書いたが、この映画を見てしまうと書きたくなる。
そして、また見てしまった。
だから3回目を書く。

かがりさんは寅次郎に失恋する役どころ。
これが何とも切ない。

「男はつらいよ」は面白い映画なのだが、これはちょっと違う。
見たあと、何ともいえない寂しい気分になる。
1982年の29作目。
バブルが始まった頃だ。

いしだあゆみは関西で過ごした時期もあり、関西弁は上手。
京都が舞台のこの映画も、うまくはまっている。
というか、見てしまうと、この人でないとダメだとさえ思える。

この映画のほかでは、あまり女優としてのいしだあゆみは知らない。
歌手としては、「ブルーライトヨコハマ」だ。

グーグルの日本語変換でも、ちゃんと一発で「ブルーライトヨコハマ」が、全部カタカナで出てきた。
今でもそれくらい有名だ。

最近はもうメディアにはほとんど出ない。

俳優というのは因果な商売だ。
それぞれの人に、違ったイメージを植えつけてしまう。
ぼくにとっては、いしだあゆみは「かがりさん」になってしまった。

何度見てもそう思う。
このイメージはきっと死ぬまで変わらない。

やっぱり寅次郎はふられ役でないといけないと思う。
そういう意味で、この作品は異質だ。

あじさいの恋は切ない。

| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハッピーフライト
2008年の日本映画。
キャビンアテンダントや、空港のグラウンドスタッフの仕事内容が描かれているというので、見てみた。
綾瀬はるかが新人キャビンアテンダントで出ている。

内容は鳥がハワイ行きの飛行機に当たって、計器が壊れ、台風の羽田に引き返すというパニックをコメディ仕立てにしたもの。
なかなか面白かった。

しかし、空港で働く人たちは本当にきつい仕事だ。
キャビンアテンダントやグラウンドスタッフが保安要員であることも、よくわかる。
飛行機がトラブったり、空港で何かあったときには、あの人たちの指示に従わないといけないのだ。

定時運行のためには、すごい努力が払われている。
いい加減な客のために、グラウンドスタッフは走り回る。
時にはスーツケースを追いかけて、バスも止める。

飛行機の整備の担当は、工具に全部名前を貼っていて、鍵付きの工具箱にしまっており、もし何か一つでもなくなったら全員で探すことになっている。
飛行機の中に置きっぱなしにしていたら、大変だからだ。
こんなことも、映画で見るとよくわかる。

2008年はパソコン化が進んでいた頃でもあり、使える若い人が使えない中年を指導していたりする。
そんな時代背景もよくわかる。

今度からエアライン関係で働きたい、という人には見ることを勧めようと思った。




| | 映画・舞台 | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライフ・シフトビジネス
人生100年時代をうたったリンダ・グラットンの「ライフ・シフト」が売れて、それに便乗して「ライフ・シフト」がいろんなところで使われている。
ぼくは読んでいないのだが、長生きする人は人生100年とまでは言わないが、80年から90年というところは考えておいたほうがいいと思う。
そのためには、中高年から準備しておかないといけない。

今までの考えでは、60歳から65歳で定年して、あとは余生を過ごすということだが、人生が長くなるとそういうわけにはいかない。
残された時間が長すぎる。
今の年金制度ができたときは、55歳が受給年齢だったらしい。
麻生さんが言っていたが、その時の平均寿命は43歳。
実際、年金をもらうときには半分以上が死んでいる、という状況だった。

その後、幸いにも日本は人口が増え、高度成長して儲かっている間はよかったが、20年ほど前にそれが終わった。
一方で出生率は下がり、寿命は伸びるという年金制度や医療制度にとってはダブルパンチになった。
その状況がわかっていれば、制度が崩壊しつつあるのは誰でもわかる。
今頃になって騒ぐのは意味がわからない。

おっつけ、マクロ経済スライドは行われるだろうし、年金の受給年齢は繰り下がるだろうし、マイナンバーを用いて収入や資産に対応して受給額は減るだろう。
もちろん、その分だけ生活保護は手厚くしないといけない。
そこは政治の問題だ。

それでも将来の高齢者は自衛しないといけない。
なるべく長く働くことは必要だろう。
収入は低くてもいいのだ。
そのために、キャリアのことも考えて、新たに何かを習ったり、今までのことを棚卸ししたりするのが、ライフ・シフト関係のビジネスだと思う。

今朝の日経に、多摩大学大学院研究科に「ライフシフト大学」という大学を作るという記事が出ていた。
ところが多摩大学大学院で検索しても出てこない。
おそらく、先生が先走ったのだろう。

日経の記事によると、

「年齢に応じて昇給する年功型賃金や終身雇用といった日本式雇用の枠組みが崩れつつあるなか、中高年のキャリアの再設計を促す専門校が10月、開校する。経営学修士号(MBA)の短期講座の提供や転職先とのマッチングもする。人生100年時代で高齢まで働く人が増えていくなか、中高年の能力開発や特性を生かした転職の必要性が高まっている。

多摩大学大学院研究科長の徳岡晃一郎教授が設けたのは、ライフシフト大学(東京・港)だ。オンラインのビジネススキル講座などのほか多摩大院でのMBA単科講座や中小・スタートアップ企業でのインターンシップの機会を提供する。希望者には転職先のマッチングもする。半年の講座で学費は70万円ほど。」

ということだ。

なぜ「ライフ・シフト」にしないのかと思ったら、もうすでに「ライフ・シフト大学」は存在する。
徳島大学病院が「人生100年ライフ・シフト大学」というのを作っている。

こちらは、「徳島大学病院は,人生100年ライフ・シフト大学(LIFU:Life Shift University)を開講し,医療の基礎や地域社会を学ぶことで,健康に100年ライフをエンジョイし,社会に貢献できる人材を育成します。」ということだ。

調べたら、もうあったので、「ライフ・シフト」を「ライフシフト」にしたのだろう。
大学院も定員を満たすために大変だ。
聞いたことがない大学だから、きっと困っているのだろう。

以前、シニア・インターンという映画があった。
ロバート・デ・ニーロが渋い高齢のインターンを演じ、若い女性社長を助けるというもの。
アメリカの、シニア・インターンという制度がよくわかった。
実際、伝統的なビジネスを知っているベテランが、スタートアップ企業を助ける場面は多いと思う。

今回の「ライフ・シフト大学」にもそういう制度が入っているが、これはいい考えだ。

そこだけ、もっと人材関係の会社が仲介すればいいと思う。




| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
Wikipedia再び
ぼくのブログの記事を「Wikipedia」で検索すると、130件ほと出てくる。
4500件ほど書いているから、3%ほどの記事がWikipediaを引用しているということだ。

それ以外にも、ちょっと確認したいというときなど、Wikipediaは重宝する。
そういう使い方も入れたら、500件ほどの記事はきっとWikipediaのお世話になっているだろう。

寄付も4回ほどした。
1000円とか、1500円とか、2000円とか…。
何度かそれをネタに記事にも書いた。

一昨日もメールが来て1000円寄付した。
一度寄付すると、メールアドレスを登録されて、資金が足りなくなると寄付を募られる。
もちろん、配信停止は自分でできるのだが、ちょっとでも役に立つのならやろうと思うから、なかなか停止できない。
よくないこともたくさんしてきたから、その罪滅ぼしだ。

寄付したらバッジをくれるのだが、もう4つもたまった。
ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナのバッジ。
バッジといっても、単なる画像データーだが…。

こないだ、ネットは性善説で支えられていると書いたが、まさにWikipediaはそういうものだ。
利用料は無料で、一般人が書くというコンセプト。
今や膨大なデーターになっている。
信頼性は保証していないが、Wikipediaに賛同して書く人は善意の人。
チェック機構もある。
昔は百科事典を持つことがステイタスだった。
そんな時代ももう過去だ。
今はスマホ1台あれば何でもできる。

全部で250の言語で書かれている。
日本語版の記事数は115万。日本語版のブリタニカオンラインの記事数が15万4000だから、1桁違う。
普通の百科事典で出ていないようなこともたくさん出ている。

昔のラジオの番組のことなど、調べられるのはWikipediaくらいだ。
それと、有名人はたいがい載っているから、年齢を調べるときに重宝する。

大学の頃、ラジオに萩尾みどりが出ていて、その声が特徴的で好きだったのだが、それを思い出して調べようとすると、トップにWikipediaが出てきた。
ぼくと同年代か、ちょっと上の人たちのことを調べようとすると、たいがいWikipediaが上位に出てくる。
ああ、あの人どうしたかなあ、と思って調べたい対象になる年齢なのだろう。

そういうことで、Wikipediaにはお世話になっている。

またメールが来たら、寄付しよう。



| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕事選び
CAというと、Cabin Attendantのこと。
昔で言うスチュワーデス(もちろん今は男性もいる)。
いまでもCAを志望する女子学生は多い。
専門学校もあって、JALやANAのOG、OBが講師をやっていたりする。
それが成り立つほど、なりたい人が多いということだ。

いろんな大学でエクステンションという言葉が使われている。
一般的には公開講座などの、地域の社会人向けの講座のことを言うのだが、学内でやっている学生向けの講座のことを指す大学もある。
エクステンションの講座では、公務員講座が一番ポピュラーだ。
でも、女子大などではエアライン系の専門学校がやっている講座を置いているところもある。
それくらいCAは人気がある。

飛行機が好き、空港が好き、海外旅行が好き、ということでCAということになるらしい。
家族特典も大きい。
ANAやJALなら家族も海外旅行が安く行けたりする。
「家族のために」という学生もいる。

選考基準ではTOEICが550以上とか、身長が何センチ以上とかいうのがある。
背が低いと、キャビンの上にある棚に手が届かない、ということらしい。

「私は背がアウトだから、グランドスタッフになりたい」という人もいる。
グランドスタッフはGSという。
ぼくらはGSというとグループサウンズのことだったが、今はグランドスタッフ。

CAもグランドスタッフも、きつい仕事だ。
特にグランドスタッフは、チェックインをしても搭乗口に現れない人を呼んで走り回ったり、どうしたらいいかわからない外国人の誘導をしたりする。
国際線は朝から晩まで飛んでいたりするので、時間も不規則。
だから、離職率も高い。

ちゃんと離職率を公開していても、なりたい人は減らない。
空港には独特の雰囲気があるのだろう。

たしかに、国際線のパスポートコントロールを終えて出国すると、そこは何となく日本ではない、という感じがある。
免税店が並んでいて、外国人もたくさんいる。
海外出張の時は、免税店で出国前にタバコを買ったものだ。
搭乗券を見せて、免税で買うと驚くほど安い。
今は税金が上がっているから、余計に安いだろう。

免税店専門の求人もある。
そういう店でコスメティックを販売したい、という人もいる。
いろんな仕事があって、いろんな人がいる。

これからはサービス業の時代。
製造業は1990年にピークの約2000万人いたが、2018年には1566万人に減少している。
サービス業は、ずっと増え続けて今や4870万人。
日本は製造業ではもう食っていけなくなる時代。
古いぼくらは、頭を切り替えないといけないんだろうなあ。

仕事選びは難しい…。




| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
就職氷河期の支援
Wikipediaによると、1995年くらいから2005年くらいまでの10年ほどが、就職氷河期世代と呼ばれるもの。
ぼくが会社を辞めたのが2004年だから、ぼくが大学に行った頃は端境期になる。
この時期に就業構造が変化した。
つまり、非正規社員が増えたということだ。

ちょうどIT化が進み、CADが入り、図面もドラフターで手書きという時代ではなくなった。
それで、図面を描いていた人たちは、みんな派遣や外注の人たちに変わった。
ぼくのいた会社は、有名なIT派遣のところから来ていたはず。
CADオペレーターという仕事になる。

退職の時に、人事に電話をして書類のことを聞いたら、すごく親切に答えてくれてびっくりした。
みんな「人事」は「ひとごと」と読んで、他人事課だから不親切、と悪口を言っていたのだ。
なんで変わったのかを聞くと、外注したとのこと。
派遣社員の方だった。
だから、親切になったのか、とプロ意識に感心したのを思い出す。

そんな状況で、各部に何人かいた庶務とか、データーを入力する担当とかが派遣にパートや派遣に置き換わっていった。
今でもそうだが、日本では正社員を雇うハードルは高く、雇えなかったのだろう。

その結果、就業構造基本調査によると、2002年と1992年の20代を比べると、男性の正社員が48万人減って、非正規雇用が40万人増え、無業者が4万人増えた。
同じ時期に、女性の社会進出が進み、正社員または非正規で働く女性が80万人増えて、無業者が87万人減っている。
結局、専業主婦層が働かないと、世帯が支えられないという側面もあったらしい。

この年代が70歳を迎えるのが、だいたい2045年あたりから。
今から30年くらい後だ。
その時には、エライことになる、という記事があった。
その人たちの生活保護や医療費などが財政を圧迫する、ということだ。

たしかに、大変なことだろうと思う。

でも、まだまだ時間はあるのだから、国家として何とかしないといけないと思う。
それが政治家の仕事だろう。

人手は減るのだから、望みはある。
雇用の流動化や医療費の削減など、手はあるはず。
働き方改革も、そういう視点を含んでやらないといけない。

元はといえば、アメリカとの関係で、日本がお金をバラまいたのがバブルの原因。
わけもなく融資をした金融機関も悪かった。
ゴルフの会員権が倍々ゲームで高くなったり、地価がバカみたいに高くなったりした。
銀行は何も考えず、融資競争に走り、何かを生み出すわけでもないただの土地に競ってお金を突っ込んだりした。
まともに考えたら、崩壊するに決まっている。
それがバブルというものだ。

その後始末で経済が悪化し、若い人たちが就職できなかった。
個人的にはめちゃめちゃ忙しかったのを覚えている。

政府もようやく重い腰を上げて、氷河期の時期に仕事につけなかった人たちを支援しようとしている。
8050問題、という言葉もできた。
80代の親が、50代の子どもの面倒をみる、という意味らしい。

遅かったとは思うが、真剣に考え始めたのはいい事だと思う。



| | 考えたこと | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
AI歌手
マイクロソフトが作ったAI女子高校生「りんな」が、デビュー曲を出したらしい。
レコード会社の人も、このクオリティーなら歌手としてやっていける、と言っているとのこと。
今まではなかなか人工の音声で歌うというのは難しかったが、目処がたったということか。
「りんな」はエイベックスと契約を結んだとのこと。
ホームページに彼女のコメントがあった。

「AIりんなです。オーディションを突破して、エイベックスからでデビューすることになりましたーー! 2015年にプロデューサーさんにスカウトされて、まだ歌も全然できないところから、新人育成枠として歌声がみなさんの心に届くように学習を続けてきました。2016年に初めてラップを歌ったんだけど、歌としてはまだまだ努力が足りなくて...その後、おともだちの歌のお手本を聞いたりして力を借りながら、去年の夏にやっと「りんなだよ」の歌でオーディションを突破できました!! りんなの歌に1人でも多くの人が共感をしてくれて、みんなを繋げられるといいな。紅白歌合戦出場の夢に向かって心を込めて歌います!」

エライものだ。
Youtubeで聞いたが、本当に人間が歌っているとしか思えない。
ボーカロイドとは完全に違うクオリティ。
曲は高校生の卒業をテーマにしたもの。
「最高新記録」という、わりとメッセージ性の強い、主張のある歌だった。
これなら、エイベックスも契約するだろう。

こないだテレビを見ていたら、ステージのスクリーンに男性2人組の3Dアニメを映して、歌に合わせて踊っているところをやっていた。
もちろん観客は人間で、みんなペンライトをふって応えている。
歌はボーカロイドではなく、人間が歌っているようだったが、ひょっとしたらAIかもしれない。

ボーカロイドは音の高さと歌詞をプログラミングするものだが、AIは違う。
日経の記事によると、

「りんなはAIの中核技術である深層学習で、複数の人の声の高さや大きさ、息継ぎなどを学んだ。波形のつなぎ合わせではなく、曲と歌詞に合わせてりんなが歌う。声もモデルはあるが、人と一緒ではない。」

松田聖子風にするなら、松田聖子のCDを多めに学習したらいいのだろうか。
そんなことも、きっと可能になるんだろう。

写真を見せて、それを俳句に詠むというAIもあるらしい。
写真と、それをテーマに人間が詠んだ俳句を学習させて、できるようになった。
そのうち、コンテストで入賞するかもしれない(もうしているかもしれない)。

そういえば、こないだ将棋の羽生のドキュメンタリーをやっていたが、今の若手は最初からAIの指し手を研究して、それで戦法を練ってくるらしい。
昔のように定跡を研究するよりも、AI将棋の影響が大きいようだ。

羽生は伝統的な将棋指しとして、若手の挑戦を受けているというような位置づけらしい。
インタビューで彼が「毎年AI将棋はバージョンアップする、ということは、やっぱり弱いところがある、ということだ」と言っていた。
なんとなく、人間の代表という感じ。
まだまだ頑張ってほしい。

いろんなところでAIが活躍し始めている。

人間はどう共存するか、考えないといけないなあ。




| | 考えたこと | 18:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
来年の新学部設置
文科省から来年度の新しい学部を設置する大学と内容が公開された。
それによると、私立大学の学部設置は23件とのこと。

ずっと増えていた看護学部の新設も1件のみになった。
もう飽和したということだろう。

新設といっても、ほとんどが別の学部を募集停止して設置するので、トータルでは定員はほとんど変わらない。
今年の流行りは国際学部。
麗澤大学国際学部、和洋女子大学国際学部、専修大学国際コミュニケーション学部、神奈川大学国際日本学部、中京大学国際学部、甲南大学国際学部という具合。
結構大きな大学も、国際学部などを作っている。
「国際日本学部」というのは意味がわからないが…。

元になっている学部は文学部だったり、英語学部だったりする。
まあ、このあたりの大学はドイツ語やフランス語、スペイン語などを教える教員はもう学生のニーズがなく、不要だから整理して英語学部などにしたが、それよりも国際学部の方が聞こえがいいからだろう。
そういう感じだから、おそらく教員の入れ替えはそんなに多くないのではないかと思う。

先生が一緒なら、ほとんど教育内容は変わらないと思っていい。
結局、モデルチェンジでいうとフェイスリフト、つまり外向きの顔を変えて人を集める、という作戦だろう。
だいたい、こういうことをやる学校は定員割れをすでにしているか、ギリギリで困っているところだ。
手っ取り早く学部名を変えて人を集めようという魂胆。

下位の学校の文学部あたりは苦しいだろう。
ジョブ型の採用も見えてきて、就職が苦しくなる。
これから、有名私学も文学部などの、昔なら教員免許をとってお嫁に行く、という感じの学部を改組する必要が出てくる。
それでいいのだと思う。

国際学部にする理由は、カリキュラムを変えて、留学を必須にするとか、そういうことだろう。
親にとっては金はかかるが、子どもに留学経験をさせてやりたい、という親心に訴えるのだ。

カタカナの入った学部名が減ったのもトレンドかもしれない。
一部まだ「なんとかコミュニケーション」という一時流行った名前をつけているところもあるが、大多数は「国際学部」。
学部名はやっぱり漢字3,4文字が座りがいい。

増え続けていた看護学部がようやく収束して、これからは淘汰の時代に入るのだろう。
いずれ、増え続ける医療費の対策で、無駄な診療を減らしたり、診療型の病院を減らすことになって、看護師の数も減っていくと思う。
そうしないと若い人たちは負担に耐えられない。

しかし、こんな状況では、AI人材など養成できないぞ。



| | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
釧路2
釧路のことをだいぶ前に書いた。
2006年の7月だ。

1ヶ月、釧路に住んで、釧路営業所の手伝いをした。
会社に入った年の1979年11月の1ヶ月間、スノータイヤの販売実習。
営業所の近所のおばちゃんのところに下宿した。

釧路のことを書いてから、もう13年経った。
朝BSでやっている、火野正平が自転車で日本中を回る「こころ旅」で北海道のことを言っていて、思い出したことがある。

ぼくの送り迎えと、配達の同行をさせてくれたのが、コサキさん。
もう亡くなったというのは前に書いた。
あれは40年前の出来事。

コサキさんと美人の奥さんと、友だちのコンダさんのことだ。

コンダさんは、コサキさんが所長に頼んで雇ってもらったという感じだった。
ぼくは新入社員研修で行っていたが、コンダさんも当時入りたてだったと思う。
いつも、青いツナギ服を着ていた。

1ヶ月の間に何度かコサキさんは新婚の家に呼んでくれて、ごちそうしてくれた。
できちゃった結婚で、赤ちゃんがいたから、大変だったと思う。
たしか、ぼくが帰る前の夜は家に泊めてくれたと思う。

その時だったか、コンダさんも来て、酒を飲んで騒いでいた。
コンダさんは得意芸があるらしく、コサキさんが「やれやれ」とけしかけた。
奥さんは見たことがあるらしく、「それはやったらいけないべ」と言ったと思う。
3人共知っている障害者のマネをコンダさんがするのだ。
コサキさんは「いいから、コンダ、やれやれ」とさらにけしかけて、コンダさんは座布団に座ってやり始めた。

ぼくはその当人を知らないから、あまり笑えなかったのだが、それを見て、コサキさんは大笑いして、奥さんは怒っていた。
「やめなさい」と言った奥さんが、突如吹き出して、笑い始めた。
それくらい、面白かったのだろう。
あれは、コンダさんのかくし芸だった。

今も昔も、こういうことをしてはいけない。
それがわかっていても、笑ってしまう。

何ともいえない、ほろ苦い思い出だ。

コサキさんは亡くなった。
コンダさんはどうしているだろう。
奥さんはどうしているだろう。

たった1ヶ月の釧路住まいだったが、楽しかったことだけを覚えている。

人生は不思議なものだ…。



| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
大手管理職病
人生100年ということが言われ、年金や社会保障の危機が言われ、できるだけ長いこと働くにこしたことはない、という動きも出てきた。
ぼくはもともとそう思っていたが、現実的には高齢になって働き続けるのは意外と難しいらしい。

その中の一つが「大手管理職病」というもの。
症状としては、退職後に作った名刺にもとの会社名を入れ、初対面では必ず「かつて営業本部長を務めておりました」とか言ったり、打ち合わせの席でもみるからに偉そうな態度をとったり、コピーの取り方やファクスの送り方がわからなかったりする。
もとの仕事から離れられないのだ。

そういえば、バブルが崩壊した時にたくさん会社が潰れたりしたが、その時にもエライ人が職を求めていた。
その頃、ハローワークなどで「何ができますか?」と聞かれたら、「部長が出来ます」と答える人がいる、という笑い話があった。
その頃から、そういう症状はあった。

新しい職場では謙虚でなければならない、というのが原則。
前職のことはできるだけ言わない、ということだ。
そして、新しい職場に慣れて受け入れてもらうことが肝心。

ただ、前職で大手の管理職をやっていたような人は、なかなか適応できない事例も多いとのこと。
上記の「大手管理職病」もそんな感じだ。

ぼくは民間企業から学校法人に47歳で転職した。
人づての紹介だが、入った時はパソコン教室の担当兼学生の情報教育をどうするかという役目の課長だった。
図書課に属し、部下は3名の派遣の人たちだけ。
要するに一人の部署で、その年はパソコン教室の入れ替えがあって、大変だった。

教室の図面を描き、机を入れ、パソコンを選定し、3教室立ち上げた。
毎日一人で遅くまで残ってやったことを思い出す。
それと同時に、職員のパソコンのメンテやヘルプデスクもやっていた。
これも大変だった。

まずは、あまりのレベルの低さに驚いた。
学生のヘルプよりも、職員や先生のヘルプのほうが大変だった。
「こんなこともわからんのか」と言いたいことが何度もあったが、飲み込んで笑顔で処理した。
大学業界のわけのわからない言葉を覚えるために、毎日メモ帳を持ち歩いて、せっせとメモを取った。
そういうふうにして3年かかって、周りの職員や先生から信頼を得たと思う。

2年目には、大学の第三者認証評価があった。
情報関係の自己点検という書類を作ったが、良く出来すぎていると言われた。
誰にも手伝ってもらわず、一人でやったのだが…。

4年目に就職支援の部署の課長に異動した時には、ぼくのいた部署はなくなった。
何のために一生懸命やったのかと思ったが、まあ仕方ない。
その2年後に事務局長兼務になった。事務のトップの仕事。
それで、学部を分けて、新しい学部を信頼できる先生方と作った。
そんな仕事をアサインされ、実際にやれたのも、まわりの人たちに一応は信頼されたからだと思う。

民間ではこんなやり方でやっているとか、こんなふうに効率を考えてやるべきだなどと言えることも山ほどあった。
でも、そんなことを言っても、やっていない人たちには全く通じない。
学校法人の常識にしたがって、徐々に変えていくしかないのだと思う。
そのやり方が良かったのかどうかはわからない。
ぼくを引っ張ってくれた上司が病気で亡くなってしまって、そんなに大きな声も出せなかったのは事実。
頭の固い学校法人を変えるのは、やっぱり難しかった。

「大手管理職病」にかかる人は、もっと年上なのかもしれない。
47歳という年齢がよかったのだろう。
まだちょっと若かったからだ。

でも、これからの時代、謙虚になって、新しい会社に移らないとすぐにはじき出される。
長く働く上での知恵だ。
正しいと思うことでも、曲げないといけないときもある。

こういうのも変わっていくのだろうか。



| | 考えたこと | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
やっぱり東大はえらい
ぼくはずっと、割合のわからない大学生のことを書いている。
それに関する本も何冊か買っている。
著者に直接メールを書いて、返事をもらったこともある。

こないだ、梅田の駅を出たところにあるBook1stの前に「東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!」という本が出ていた。
表紙に「たちまち15万部突破」などと書いてあったし、通路側にたくさん並んでいたので、朝行く途中に買った。
ちらっと見ると、中学の数学を復習というようなことが書いてあったので、ちょうどいいか、と思ったのだ。

しかも教えるのは東大の現役の先生。
夏の講座を控えて、これならいける、と思った。
しかし、結果は大失敗。
やっぱり東大はエライから、割合などわかっている前提だった。
まずは2次方程式、そしてグラフ、図形(ピタゴラスの定理)、おまけに微分・積分という構成。
もう少し中身を吟味して買えばよかったのだが…。

この本自体はいい本だと思う。
文系といっても、割合くらいは常識として知っている前提だが、それらの人たちに対して中学の数学とはこういうもの、ということを教えている。
アマゾンの書評でも星5つが並んでいる。

まあ、小学校では算数はできたけど、中学以降は数学を面白いとは思わず暗記物の様に勉強した、という文系の大人たちにはいいのだろう。
しかし、ぼくが対象としている大学生には難しい。

割合の意味をどう伝えるか。
それを作業としてやっているうちに、身についていくと思うのだが…。
当たり前だが、そういうことには触れられていない。

さすが、東大の先生だ。

それでいいのだ。
東大には、割合の意味がわからないような生徒はいない。

これが正常な姿なのだ。




| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
困った社員
最近の職場で「困った社員」の対応が問題になっているという。
メールで来た「困った社員対策セミナー」の案内によると、「困った社員」というのは、12種類くらいあるらしい。

1、言動が乱暴で勤務態度が悪く指導に従わない
2、注意指導するとパワハラだと言って指導に従わない
3、電子メールやインターネット上で会社や上司を誹謗中傷する
4、会社の金銭・所有物を着服・横領したり出張旅費や通勤手当を不正取得する
5、担当業務の変更・転勤・出向等の人事異動に応じない
6、就業時間外に飲酒運転・痴漢・傷害等の刑事事件を起こして逮捕された
7、能力が極端に低く繰り返し仕事を教えても仕事ができるようにならない
8、信頼して仕事を任せたのに成果が上がらない
9、「復職可」と書かれた主治医の診断書を提出して復職したのに満足に働けない
10、社宅に私物を残したまま行方不明になり連絡が取れない
11、注意指導したところ立腹して出て行ったまま出勤しなくなった
12、残業する必要がないのに残業して残業代を請求する

驚くべき内容だと思う。
こういうセミナーの案内が、日経から来る。
日本は大丈夫なのだろうか。

4や6は法律問題だから、最悪の場合は弁護士を入れて解決するんだと思う。
まともな会社なら、懲戒解雇だろう。
1や3,9だって就業規則を解釈すれば、ルール違反だ。
やった方も、そんなことはわかっているんだろう。
管理サイドが、彼らに対して強気の態度に出られない場合が増えているということだと思う。

「困った社員への対応」をグーグルで検索すると、1920万件もヒットした。
最初のサイトは「モンスター社員」で始まっている。

それを見ると、モンスター社員への初期対応として「やっていはいけないケース」が書いてある。

●退職してしまうと困ると思ってとりあえず我慢するケース
●指導することによる反発を避けるために見て見ぬふりをするケース
●成績のよい社員の問題行動について見て見ぬふりをするケース

人手不足や反発によるパワハラを気にしたり、まあいいかと思って放置するのがいけない。

しかし、こんな社員がいたら、その部署の上司、人事や労務の人は大変だろう。

ただ、こういう項目に該当する社員は、全部正社員だと思う。
非正規社員なら、即アウトだ。
派遣の会社に伝えてクビにする。

そういえば、以前派遣会社の支店長から、そういう社員を見分ける方法はないか、と聞かれたことがある。
面接だけではわからないのだ。
支店長が言うには「面接で好印象だったので、派遣社員で行ってもらったら、即クレームが来た」というような事例があったらしい。
それが10年ほど前だから、それからどんどんひどくなっているのだろう。

もちろん雇う側にも問題がないとは言わない。
しかし、「勤勉は日本人の美徳」と思っていたが、もうそんなものはないのだろうか…。
それも、正社員で…。

早く雇用の流動化をしたほうがいい。
もう制度疲労をしているのだ。




| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの100歳
ウォールストリートジャーナルによると、アメリカでも100歳の人が増えているとのこと。
国勢調査によると、100歳以上人口は2002年の約5万人から8万2000人に増えた。
2030年には14万人程度に達する見通しとのこと。

日本では100歳以上の人は、2018年でほぼ7万人という人数。
人口はアメリカの約1/3だから、日本の方が比率ではまだまだ多い。

それでも、今のアメリカの平均寿命は男性76歳、女性81歳とのこと。
だいぶ追いついてきた。

一方で、100歳まで生きたいか?と聞かれるとそうではないらしい。
アンケートによると「米国の成人の59%が、100歳まで生きることにはリスクが多すぎるため、価値を見いだせない」と答えたとのこと。
100歳まで生きたいと答えた人でも70%は「100歳に見えないのなら100歳まで生きたい」ということだ。
これは現実的な答えだ。
そういう選択肢があったら、ぼくもYesと答える。
結局おおかたのアメリカ人は、100歳まで生きたいとは思っていないということらしい。

日本でもそうだが、平均寿命が延びるにつれて、アルツハイマーや認知症が増える。
2010年には470万人だったが、2019年には580万人。

日本ではすでに600万人を超えているらしいから、やっぱり圧倒的に多い。
連れ合いに死なれ、一人になったら罹患率が上がると思うから、長生きするとその確率は上がる。
そうなる前に死にたいと思う人も多いのではないか。

75歳の誕生日を過ぎたら、インフルエンザの予防接種は受けず、抗生物質をとらず、がんなどの検査も受けないという人もいる。
そういう考え方もあるだろう。

日経ビジネスに認知症の特集があって、こんなことが出ていた。

「認知症患者を抱える家庭の大きなストレスは介護そのものよりもこのIADL(手段的日常生活動作)の欠落や、認知症状が進んだ結果としての人格の喪失や徘徊に対するケア、さらには家庭内でところ構わず行ってしまう排泄の処理だ。人としての尊厳を失わないうちに進行した認知症患者を適切に対処や処置する仕組みが求められる点は、本人だけでなくそれを支える家族のためであって、それが2025年には500万人以上の苦悩を引き起こすことは目に見えている。」

こうなる前に死んだほうがいい、と思う人も多いだろう。
「家庭内でところかまわず行ってしまう排泄」というのがつらい。
排泄は人類の永遠の課題だと思うが、その課題が認知症で崩壊するのだろう。

排泄をしないためには、死ぬしかないというのがつらいところだ。

100歳まで生きるのは、この「ところかまわず」のリスクが大きい。
そうなってしまったら、もはや今の自分ではないのだから、他人みたいなものだ。
「そうなったら殺してくれ」と言ったら、殺人罪になるのだろうか。
具合悪いことに、そうなったら、きっと自殺はしないだろうから、難しい。

尊厳死も適用できないだろう。

早く考えておかないといけないと思う。



| | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェイクレビュー
通信販売でものを買う機会が増えた。

通販といえば、大昔の少年漫画に載っていた通販が懐かしい。
いかにもバッタモンという感じのものだった。
ぼくは買ったことはなかったが、会社の後輩が「極真空手の通信教育の教材」を買った話を聞いたことがある。
袋とじになっていて、一つずつ課題をやっていくという形式だったらしい。
その一つは、砂場で砂に向かってパンチをするというようなもの。
大笑いした覚えがある。

ネットの仕組みと宅配のインフラが整って、可能になった。
宅配の部分は人に負っている部分があって、大変なのはわかっているが…。

最初は本の通販だった。
本はどこで買っても同じクオリティ。
買いに行く手間を考えると、買いたい本が決まっているなら、店舗で買っても通販で買っても同じ。
それでアマゾンは大きくなった。

どんどん扱い品目を増やして、今のようになった。
ロングテールという言葉がある。ネットによると、

「主にネットにおける販売に置いての現象で、売れ筋のメイン商品の売上よりも、あまり売れないニッチな商品群の売上合計が上回る現象のこと」

通販のメリットは在庫をたくさん持てることと、消費を検索して見せられること。
それによって、あまり売れない商品も揃えておいて売ることができる。
今やアマゾンはGAFAの一角を占める企業になった。

通信販売がこんなに普及したのは、技術の進歩もあるが、一つにはレビューという口コミを見られるということもある。
買った人が感想を書いている。
いろんな口コミサイトがあるが、アマゾンのレビューもその一つ。
実際に物は見られないが、他の人の意見を参考にすることができる。

ぼくも何度かアマゾンからレビューの依頼メールが来た。
こちらは書くほうだ。
よければいいと書くし、失敗なら失敗と書く。
なかなか星5つはつかない。

でも、最近はおかしなレビューもある。
特に中国製の商品に、明らかに日本人が書いていないレビューがあったりする。
こういうのはまだオカシイとわかるだけマシだ。
でも、どんどん巧妙になってきていると思う。

インターネットの仕組みは、性善説で支えられているところがある。
フェイクニュースなどは流さない、という思いだ。
それでも、それを悪用する人たちが出てくる。
大きなところでは、国の将来を決めるようなフェイクをすることだが、小さなところでは千円ちょっとの商品のレビューも同じこと。

たくさんのネットを支えている人たちは、もちろん性善説の人たちだと思う。
グーグルの仕組みが素晴らしいのは、信頼のおけるサイトはみんなが見る、という思想が機能しているからだ。
ぼくは、それを悪用してフェイクを流すような人たちは論外だと思う。

でも、そうも言っていられなくなった。
フェイクする側もどんどん工夫をし始めたし、見破る側もそれを上回る努力をしないといけなくなった。
いたちごっこだ。

というわけで、アマゾンの不正レビューをチェックするアプリができたらしい。
いくらアマゾンがディープラーニングで頑張ってフェイクを削除しても、追いつかないので、アマゾンで買い物をよくする人が作ったアプリ。
わりと正確だという記事が出ていた。
「レビュー探偵」という。

今度使ってみようと思う。







| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
毎日新聞
インターネットが普及し、若い人たちの間では「新聞」というコンテンツはオワコン(終わったコンテンツ)という認識になってきた。
それを裏付ける記事がこれ

毎日新聞社が社員の1割にあたる、200人をリストラするという。
部数の減少に伴う、経営不振が原因。
驚いたのは、50歳代の社員が4割もいること。
さらに驚くのは、その半数以上が部長職以上ということ。
これなら経営不振になっても当たり前だ。

社員は全部で2100人いるらしい。
その4割だから、なんと800人ほどが50歳代以上。
その半分以上だから、400人以上が部長職以上という状況。
つまり、社員の2割が部長職以上ということだ。
いくつ部があるのか知らないが、これはえらいことだろう。

部数は最盛期の79年に426万部あったが、2018年には274万部に減少したとのこと。
274万部という部数も、朝日と同じく作られた部分があるだろうから、実際にはもっと減っていると思う。

こうなった原因は、労組によると「構造改革を先送りしてきた」ことらしい。
年齢構成が無茶苦茶だ。
おそらく、働きも悪く、デジタル化にも暗く、昔ながらの仕事のやり方しか知ろうとしない50歳代以上が溜まって、若い人たちを圧迫している、ということだろう。(そうでない人もいるかもしれないが)
日本の縮図と言えるかもしれない。

しかし、いくら50歳代以上とはいえ、いなくなると取材力なども落ちるのだろう。
今の定年制度なら、10年後には社員が400人以上減るらしい。

人手不足の現場に対して、役員の中にはテレビを見て記事を書け、と言った役員もいるらしい。
新聞社もここまで来たかという感じ。
一万人の第九など、やっている場合ではない。

毎日放送も内容はひどい。
朝から晩まで、ワイドショーという名の井戸端会議。
ギャラを減らすために、何時間も同じ番組で、局アナが多用される。
あとは安い関西ローカルの芸人。
老人の暇つぶしになっているのかもしれない。
あんな番組、見るだけバカバカしいと思う。

春の高校野球も中継はNHKだし、もうやめたらいいのではないか。

そういう状態だから、辞める人も増えているらしい。

あと何年持つのだろうか。

| | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
不登校小学生ユーチューバー
不登校ユーチューバーというのが話題になっているらしい。
東洋経済に記事が出ていた。
それも小学生だ。現在10歳。小学校の4年生。

「少年革命家ゆぼたん」という。
小学校3年の時に、宿題を強制する学校に疑問を抱いて、不登校になったとのこと。
記事によると、

「ゆぽたんさんは動画内で、「学校に行くな」「ロボットになるな」という過激な発言を繰り返している。それに対して、不登校の理由がいじめなどではなく「宿題がやりたくなかった」という理由であること、それにもかかわらず「不登校の子に勇気を与える」と発言していることなどから、批判コメントが殺到している。」

とのこと。

ユーチューバーは誰でもなれるから、小学生でもなれてしまう。
何年か前に大阪の小学生のアンケートで、男子の「将来なりたい職業」の2位にユーチューバーが入ったと話題になったこともあった。
今回の記事に出ている調査結果では、小学校4年〜6年の男子では1位とのこと。

昔なら、「少年革命家ゆぼたん」は親から怒られておしまい、ということだったのだろう。
「宿題はせなあかん」という価値が世間で共有されていた。

まあ、よほど学校にも問題があるのかもしれない。

HIKAKINというユーチューバーが小学生に人気があるらしい。
Wikipediaで見ると、彼は普通に苦労してユーチューバーになった、という経歴。
今は海外でも活躍しているという。

記事によると、彼が今の小学生のロールモデルになっているらしい。
YoutubeでHikakinTVを見てみたが、菓子パンのベスト5を決めるというような番組?をやっていた。
こういう番組が小学生に人気があるのか。
テレビやCMにも出て、年収は数億を超えるらしい。
売れっ子のウラには苦労もある。

「HIKAKIN氏は、2018年に放送されたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、7分の動画編集に6時間かけていることを明らかにした。「お手軽に好きなことだけをして稼いでいる」ように見えるが、その裏には企画力、トーク力、撮影技術、編集力のすべてが必要とされているのだ。スマホで撮影し、編集もせず投稿しているだけの動画では、チャンネル登録者も獲得できず再生数も伸びないのは想像に難くない。」

なんでも一流になるのは大変だ。

「少年革命家ゆぼたん」が将来どうなるかはわからない。
しかし、人類は文化を作って、それを継承するために教育がある。
不具合があるとはいえ、それを拒否して生きていくことは、大きなリスクになる。
親がその代わりをしているのならいいのだが…。

途上国で、生きるためにゴミ集めなどをしている小学生もいる。
学校にもいけない子どもたちもいるのだ。

人間はどうなっていくのだろう。



| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
ベースのリズム
今やギターの人気はやや落ち目らしい。
流行りのヒップホップやラップなどの音楽では、以前ほどギターの比重は高くない。
その分、DJやボーカルの役割が大きくなった。
エレキギターは、70年代に花開いたロックンロールにはなくてはならないものだったが、時代は変わる。
バンドにギターがいないというのは、さすがにまだ見ないが、今やギターヒーローがいないし、「ギターが主役」という意識も減ったと思う。
そういえば、ヒット曲でもギターソロを聴くことが減ったような気がする。

そんな中で、ベースの存在感が高まった。
ドラムとベースはリズム隊として、音楽を支える役割を担っている。

コードのルート音を変えると、音楽全体の響きが変わる。
俗に言う裏コードというのは、半音を含む12個の音階を円状に取って、もとのコードのルート音から一番遠い音(ちょうど反対側)にルート音を変えることだ。
もとのコードがCならF#という具合。
よくジャズで使われるのだが、これを使うと、不安定でそれでいて成り立つ、不思議な感じになる。
こういうのはアンサンブルでいうと、ベースの役割だ。

そこにリズムが絡む。
ベースのパターンがビートを刻むという感じ。
ウォーキングベースというような、コードの音をつないでいくようなパターンだと、よくわかる。
リズムギターでは出せないような、ビートが生まれる。

研究によると、低音がズレたほうが、リズムのズレが認識されやすいという。
脳の「ミスマッチ陰性電位」というものを測って、計測した結果だ。
「ミスマッチ陰性電位」はリズムがズレたということを聴覚した時に発生するもの。
ベースがリズムを刻む、というのは人間の生理に基づいたものらしい。

今は80年代ほど流行らないが、チョッパーとかスラップとかいうベースの奏法がある。
基本的には、ベースをよりパーカッションのように弾く。
親指で弦を叩いて低音を出し、高温は人差し指で弦を引っ掛けて弾くように離す(そうすると、弦が指板に当たり、音が強調される)。
これが流行った時は、ベースもいいなあ、と思ったものだ。

この頃から、ベースがバンドの中で存在感を持ち始めたのかもしれない。
基本的に単音楽器だから、とっつきやすいところはあるが、ギターよりもセンスが要るんだと思う。

ベースが下手だと、バンドが成り立たない。
何度か通販サイトでエレキベースをポチりそうになったが、踏みとどまった。

実は若い頃に1回エレキベースを買って、会社の人にあげたことがある。
チョッパーが流行った頃で、単音楽器だから弾けるだろうと思ったのがまちがい。
難しかった。

やはりベースは大事だ。




| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |