考えたこと2

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大晦日雑感
今年も終わり。四度目の年男も終わりを迎える。

1回目が12歳。小学校の6年の時。
プラモデルを作って、自由帳にマンガを書いていた。

2回目が24歳。会社に入って2年目。
毎日実験室で実験をしていた。

3回目が36歳。
設計をやっていた。バブルも終わりだったが、やたら忙しかった。

4回目が今年。
長い一年だった。

次は12年後。60歳。還暦か・・・。

自分がどうなっているのか。生きていれば、60歳になっていることは間違いない。

次の年男は、2017年。
2017年の大晦日には、この文章に5回目が今年・・などと書いているのだろうか。

その時まで、この駄文を続けていること望んでおこう。

一期一会。たとえ毎日会っている人であっても、今と明日では違う。
人間には、過去も未来もなく、「今」しかない、ということを悟った茶道の大家のことばだ。

数年前に子供の書き初めにつき合って、このことばを書いた。
一年間、部屋に貼っていたのを思い出す。

来年は、久しぶりに書き初めをしよう。


大晦日というと、レコード大賞を見て、紅白歌合戦を見るのが定例だった。
でも、子供ができてからは、レコード大賞がドラえもんになり、紅白歌合戦はつけたり消したり状態になった。
去年はドラえもんを見て、あとは見なかったと思う。

どこかに行きたいとも思わない。
やっぱり大晦日は家で過ごさないと・・・。

紅白歌合戦の視聴率もどんどん落ちているという。

小学校の頃は、とにかく、クレージーキャッツが出てくるまで見て、それから寝ていた。
クレージーキャッツと言っても、もう若い人にはわからない。

ハナ肇、植木等、谷啓、桜井センリ、犬塚弘の5人組。
スーダラ節、ハイそれまでよ、ドント節、だまって俺についてこい、五万節・・・。
中でも、スーダラ節が大好きだった。

ちょいと一杯のつもりで飲んで いつの間にやらはしご酒〜

やたら明るい歌だった。わかっちゃいるけどやめられねぇ、というサビのフレーズが秀逸。
青島幸夫の作詞。

いつまで紅白歌合戦をやるのだろうか。
次の年男の時にも、やっているのだろうか・・・。
ユーミンが還暦を過ぎて、出てくるのだろうか。
レコード大賞もまだあるんだろうか。

いろいろと疑問はつのるが、「今」しかないのだ。
がんばっていきましょう。

皆さんにとって、来年が良い年でありますように。


| | 考えたこと | 01:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
スパイダーマン2 SPIDER-MAN 2
いい映画だった。

アクションヒーローもののパターンとして、ヒーローであるがゆえの孤独にスポットを当てたストーリーは今までもあったと思うが、この映画はそのスジで作っていて、すごくよくヒーローの孤独を描けた作品だと思う。

好きな女の子との行き違いから、主人公がスパイダーマンとして生きることに疲れ、普通の生活に戻り、学生としての生活をエンジョイしようとしてスパイダーマンをやめてしまう・・という展開。

しかし、何となく主人公のピーターの異変を悟ったメイ叔母さんから諭され、近所の子供がスパイダーマンのヒロイズムを信じている事を聞き、自分の宿命を受け入れ、スパイダーマンに戻っていく。
その過程が自然で、スッキリと描かれている。

ヒーローの孤独、普通の人間に戻りたい・・・。
恋人とのすれ違いの展開が、クライマックスでお互いに素直になって、結ばれる。

CGの素晴らしさも見どころ。
ビルの間を糸を操りながら飛び回るスパイダーマンを見ていると、映像はすごいなあ、と思わされる。

主人公のトビー・マグワイアは少し影のあるヒーローをうまく演じている。
「サイダーハウス・ルール」にも出ていたが、ちょっとクセのある、いい俳優だと思う。

ビデオを借りてみても損はないと思います。

| | 映画・舞台 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
本屋徘徊
最近、また本をたくさん買い込んでしまった。
休みになると、行きつけの本屋に行って、うろうろと本を見て回る。

前にも書いたが、本屋徘徊は趣味の一つ。

今年は、アマゾンで買うことも多くなったが、やっぱり本屋をうろうろして面白い本を見つけるのは楽しみだ。

山本七平も、岸田秀も、渡辺昇一も、光瀬龍も、豊田有恒も、サラ・パレツキーも、ジャネット・イヴァノヴィッチも、山本夏彦も、高杉良も、E.T.ベルも、柴田連三郎も・・・本屋の棚で見つけたのがきっかけだった。

もちろん、不発に終わった人もたくさんいるし、書評を見て読みはじめたり、誰かに勧められたりして読みはじめた人もいるが、上に書いた人たちは、何となく題名を見て、パラパラとめくり、面白そうだと思って読みはじめて、結局はその人が出している文庫や新書の本をすべて読んでしまった人たちだ。

気の合う作者の本はオーラを出しているのか・・・。

どれだけネット通販が便利になっても、やっぱり本屋は必要だと思う。

実際に本が並んでいて、何度も前を通り過ぎながら、ざっと見ていって、何かわからないけれど気になるという出会いがある。

本の表紙の絵がすごくきれいで、面白そうだなと思わせるような出会いがある。

帯の宣伝文句にのせられて、ついつい買ってしまう、という出会いがある。

裏表紙や表紙の裏側の作者紹介、作品紹介を見て買ってしまう、という出会いがある。

僕はめったにベストセラーの本は買わないので、レジの近所にたくさん積んである本はちらっと見て通り過ぎる事が多い。
それよりも、たくさん並んでいる文庫や新書の棚の中で、何となく気になるなあ、という本を買うのが好きだ。

本屋をうろうろしなければ、知り合いになれなかった人たちがたくさんいる。

インターネットの発達で、ネットで何でも検索できて、情報の入手ができる・・という時代だが、現実のモノには、情報だけではない強さがあると思う。

だから、本屋さんには、客がそんな作者と会えるような工夫が必要になってくるのではないか。

本の並べ方だとか、揃え方だとか、本棚の間隔とか、ちょっとした紹介の言葉とか・・。

本屋を徘徊していると、そんなことを考える。
行きつけの本屋さんには、いつまでも商売をしていてほしい。


| | 考えたこと | 03:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
主観的時間
もうぼちぼち今年も終わりになる。
こないだ、正月だったのに、またすぐに正月が来る・・・というふうに年をとると感じるようになった。

主観的時間が速くなっているのだ。

正月、桜の時期、ゴールデンウィーク、盆休み、クリスマス、そして正月。そのあたりが節目になっている。
休みになると、過ぎてきた時間のことを思うのかもしれない。

桜の時期は、過ぎた時間というより、残された時間を思うようになった。
あと何回、桜の花を見られるのかな・・というヤツだ。
桜の花が巡ってくるのも、速くなったと思う。

以前、飲みながら、主観的時間は、どんなときに速くなるか?という話になった。
僕は、年をとると速く感じるので、経験したことの繰り返しになると、時間は速くなるのではないか?という意見だったが、反対の意見の人もいた。経験したことの繰り返しになると、退屈で遅く感じる、というのだ。

たしかに、同じことを繰り返しやらされると、時間がたつのは遅いし、楽しいことをしていると、時間はすぐにたつ。

それなら、年をとると、時間が速く流れるのは楽しいことをしているからだろうか・・・。
年をとると、圧倒的に仕事の時間が多くなり、一般的には仕事はそんなに楽しいものではない。だから、年をとって時間が速く流れるのは、楽しいからではなさそうだ。

子供のころは、もともと、時間の速さなど考えてもみなかった。
「今」の事しか考えてなかったし、来年の「今」の事など考えていなかったと思う。
桜が咲いていても、来年の桜が咲くことなど、考えていなかったし、去年の桜がどうだったかなど、考えもしなかった。
時間は勝手に過ぎていくものだったし、意識していなかった。
年をとった自分などというものは、想像の外だ。
高校時代の僕は、自分が48歳になるなんて、思ってなかった・・・。(客観的には、時間がたてば、48歳になることはわかっていたはずだけど)

あの頃は、本当にやらないといけないことや、やりたいこと、考えることがたくさんあった。
友達と遊びたかったし、いろいろ(今となっては)くだらない事を考えないといけなかったし・・・。
毎日、日記に書くことがたくさんあった。
未知のこと、どうしたらいいのかわからない事、新しい環境・・。

いいように言うと、年をとって、時間の流れが速くなったのは、「今」に慣れたということなのかもしれない。
今でも時々日記をつけるが、それほど書くことがない・・・。

これは、人生の必然なんだろうか。
でも、なかには年をとっても時間の流れを意識しないで生きている人もいるだろう。

毎日日記にたくさん書くことがある方が、しんどいかもしれないが、得がたい人生のような気がする。

これは難しい。


| | 考えたこと | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年のマイ・ベスト3
昨日の新聞を見ていたら、書評のページは今年のベスト本の記事になっていた。

なるほど。今年ももう終わりなので、今年読んだ本(今年初版とは限らない)のマイベストを選ぶことにした。

決めるとなると迷ってしまいますが、自分の偏った読書傾向をちょっと補正して、オススメ本を選びます。

1位:ラッキーマン マイケル・J・フォックス
2位:会社はだれのものか 岩井克人
3位:ステファニー・プラムシリーズ ジャネット・イヴァノビッチ

「ラッキーマン」は、マイケル・J・フォックスの自伝。
「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。」という彼の祈りの言葉そのままの生き方が書かれている。
特に、後半のパーキンソン病との闘病と、それを公開するところは、感激した。
だれでも、自分の伝記だけは本として書ける・・というが、マイケル・J・フォックスのこの本は、俳優が書いたとは思えないほどすばらしい。

「会社はだれのものか」はサラリーマン必読の書。
会社とはどういう成り立ちなのか、資本主義とは何なのか、企業の社会的責任とは・・・という事がやさしく説明されている。
自分にとっては、この本を読んで、非営利法人の倫理性の欠如について思うところがあり、得るところが多かった。

ステファニー・プラムのシリーズは、ミステリ+コメディ。
8つとも全部読んでしまった。
「あたし」という一人称がすごく似合うこのシリーズは、1作目から3作目くらいまでは普通の面白さだが、4作目くらいからめちゃくちゃ面白くなる。7作目の「怪傑ムーンはご機嫌ななめ」はホントに面白かった。
食事のシーン、アメリカのダウンタウンの模写など、読みどころもある。
翻訳物のミステリーが苦手な人はちょっと・・・だが、好きな人にはオススメします。

番外としては、池田晶子の一連の哲学ものがある。
これを読むと、頭がスッキリしたり、はっとする気づきがあると思う。

もう1冊、「崖っぷち弱小大学物語」も面白かった。今の大学について知りたい方は、この本が一番のオススメです。

「ケータイ・ネット人間の精神分析」も、亡くなってしまった小此木啓吾の本としては、総まとめ的なものになっていて、興味深く読めると思う。

今年のイベントとして、初めて本の作者と会えたのが、「ニューヨーク「駐妻」物語」。
ニューヨークの日常が知りたければ、この本はオススメです。

「演劇入門」という本も、題名は地味だが、内容は濃かった。
「本を読んで、自分の知識を広げるという事は普通の事だが、知識だけでなく、物の見方を変えてくれる本、というのにはなかなかめぐり逢えない。この本はそういう本だった。」という本。

書き始めると、全部書いてしまいそうなので、このあたりでやめておきます。

今、レビューのページを修正しています。(ちょっとデーターが重くなりすぎたので、ページの構成を変更します。)
読んでしまった本が数冊あるのですが、また、修正後にアップします。

ということで、今年のマイベスト3でした。

5月から始めたブログもクリスマスでちょうど100記事になりました。
途中息切れの時期もありましたが、何とか目標としていた100に到達することができました。

読んでいただいている方々、ありがとうございました。



| | 考えたこと | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
忘れられないプレゼント
クリスマスというと、やっぱりプレゼントだろう。
色々なプレゼントをもらったり、あげたりしてきたが、一番印象に残っているプレゼントは、小学校の1年の時にもらったものだ。

昭和37年の12月25日。

当時はまだ、山のようにおもちゃを売っているような時代ではなかったし、テレビのキャラクターグッズがあるような時代でもなかった。(アニメといえば、鉄腕アトムがモノクロで始まった頃だ。)

今のように、事前に親が何かほしいものはあるのか?などと聞いてくれるような時代でもなかったと思う。
もともと、テレビでおもちゃを宣伝しているような時代でもなく、どんなおもちゃがあるのかもわからなかったからだ。

きっと母が大丸かどこかのデパートで買ってきたんだと思う。

ブリキの宇宙船だった。

電池で動き、スイッチを入れると赤いランプが点滅しながら動く。
この宇宙船がすごいところは、こたつの上でも落ちずに動き続けることだ。

説明するのが難しいが、要は前進用のタイヤが2本後ろについていて、普通に進んでいる時にはまっすぐ動く。宇宙船の中央部分に横に向いたタイヤが一つ回っていて、これは普通に動いている時は地面に接触せず、浮いている。いったん前の部分がこたつの板から落ちて、宇宙船が傾くと、中央部の横向けのタイヤが接地し、こたつの板にもどるように方向転換するのだ。
いったん方向転換すると、また、まっすぐ動き出す。
作った人は、日本の住宅事情をわかっていて、冬はこたつの上が遊び場所になることを知っていたんだろう。

赤いランプを点滅させながら、こたつの上をゆっくりと前に進み、落ちそうになると、方向を変えて、また進み出す。

朝早く、まだ雨戸が閉まっているうす暗い部屋で、こたつの上を動き回るブリキの宇宙船を飽きずに見ていた事を今でも思い出す。

あの宇宙船は、いつ頃まであったんだろうか・・。
小学校の高学年の時にはもう無かった。壊れてしまったのか。そんなに長いこと遊んだおぼえもない。
でも、クリスマスの朝、こたつの板の上を動き回っていた宇宙船は忘れられない。

忘れられないクリスマスプレゼント、ありますか?

Merry Christmas!

| | 考えたこと | 11:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう一つのメリークリスマス COMFORT AND JOY
今朝もクリスマス映画をやっていたのを見てしまった。
2003年のアメリカ映画。

キャリアウーマンで、とにかくおカネが大事、家庭よりも仕事・・という女性が自動車事故を起こし、事故から覚めてみると10年間の時間が経っていて、全く逆の境遇の家庭の主婦になっていた・・・というおはなし。

結婚した相手は、ホームレスのケアをする団体の仕事をしていて、おカネは儲からない。
子供が二人もいる。
自分もホームレスのケアのリーダーをやっている。
料理がすごく上手。
おカネはないが、仕事よりも家庭・・そんな境遇。

彼女はなぜこの男性と結婚したのか、全くわからない。
でも、今日はクリスマスだし、他に行くところもないので、彼の家で過ごさざるを得ない。
両親もやってくる。
両親は離婚していたはずなのに、5年前に復縁していた・・。
何もわからない。そもそも10年間の記憶もないのだ。

結婚した彼に、どうして自分と知り合ったのか?と聞くと、彼女の方から、会ったこともないのに、いきなり「ずっとあなたを待っていた」と言って、彼女の方から積極的に知り合ったとのこと・・信じられないという思いが募る。

両親と一緒にクリスマスディナーを食べている時に、母親と彼女がケンカになり、母親が彼女の結婚について批判すると、彼が母親を遮って、彼女を守ってくれる。
両親は帰ってしまったが、彼女は彼に守ってもらったことで、心が通じ合い、ハグをして・・・そこで時間がもどる。

車の事故の場面にもどり、事故をした車のドアをあけてくれたのが、10年後に会った彼だった。

ドアが開くと同時に、彼女は彼を見て言う。「ずっとあなたを待っていた。」
彼は、どうして自分のことを知っているのか?という表情。
そして彼は自己紹介をして、二人で歩いていく・・・。

いきなり違う境遇になった彼女が色々とトンチンカンな事をして、笑える場面もたくさんあり、ラストの場面のどんでん返しがすごく印象的だった。

クリスマス・イブにふさわしい、よくできたファンタジー映画だった。

これで、99記事目。

今日はサンタが来る家も、ばれていて、もう来ない家もあるんでしょうね。

昔は、子供が靴下に手紙を入れて、枕元に置いていたのを思い出す。

何が欲しいのか、情報を得るのが大変だったりした。

「サンタさんはわかっているハズや」などと言われると、どうしようもない。

夜中にこっそりプレゼントを置かないといけない方、ごくろうさまです。

明日の朝起きたら枕元に自分へのプレゼントがある・・なんて事があったら、それこそファンタジーだろう。

いくつになっても、サンタはいてほしい・・これはホンネでしょうね。


| | 映画・舞台 | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
サンタが街にやってくる
今朝、クリスマスの映画で、エルフというのを見た。
エルフというのは、北極にあるサンタクロースの国の小人のことらしい。

間違ってサンタの国に来てしまった人間の赤ん坊が、30年たって父親と会うためにニューヨークに戻り、最後には恋人と結婚して幸せになる、という楽しいコメディ。

映画の中で、サンタのソリがニューヨークの公園に落ちてしまう、という場面がある。
この、サンタのソリは、元々は人々がサンタを信じる心のエネルギーで飛んでいたのだが、最近はみんなの心が荒廃してサンタを信じていないので、ジェットエンジンをつけて飛ぶ・・という話になっていた。

ソリには、Claus Mater(サンタクロースを信じる心のメーター)がついていて、その針がいっぱいふれないと、ソリは空を飛べない。

公園警備隊に追われるサンタを助けるために、主人公の恋人が、公園の外にいるたくさんの人の前で歌うのが、「サンタが街にやってくる − Santa Claus is comin' to town.」だった。彼女が歌うのにあわせて、みんながこの歌を歌うと、Claus Materが振り切れて、ソリが空を飛ぶ・・・いい場面だった。

その時に、字幕にでていた歌詞が、日本語で聞き覚えていた歌詞とだいぶ違ったので、調べてみたら、英語の歌詞は大体こんなのだった。

サンタが街にやってくる

 気をつけた方がイイよ
 大声で泣いたりしたらダメ
 すねるのもダメ
 なぜか知ってるかい
 サンタが街にやってくるから

 サンタはリストを作って
 2回も見直してる
 誰がよい子で、だれが悪い子か
 見つけるんだ
 サンタが街にやってくる

  寝てる間に会いに来る
  寝たふりをしてもばれる
  どんなことをしていたか、わかってる
  だからいい子でいないとね

 だから、気をつけた方がイイよ
 大声で泣いたりしたらダメ
 すねるのもダメ
 なぜか知ってるかい
 サンタが街にやってくるから


英語では、いい子でいないと、プレゼントがもらえないよ、という感じの歌だった。

この季節になると、クリスマスものの映画があるが、どれも楽しめる。
クリスマスソングにも、いい歌が多い。

キリストを信じているわけではないが、何となくウキウキする季節。
寒くて、外に出るのがおっくうな時だからこそ、いいんだろう。

南半球の人は、気の毒ですね。 クリスマスは冬でないと・・・。


| | 考えたこと | 12:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
落研を作ろう
高校3年になった時に、落語研究会(落研)がなかったので、作ろうと思った。

ちょうど、同じクラスに生徒会の書記のS君がいたので、全校生が集まる朝礼の時に、「落研を作りたいので、入りたい人は今日の放課後に○教室に来て下さい」と言ってもらうことにして、それにあわせてポスターを作り、学校の玄関を入ったところに貼った。
(書記は全校朝礼の司会進行をしていた)

S君はマジメで律儀なヤツだったので、全校生の朝礼でちゃんと頼んだとおり、言ってくれた。

放課後、教室で待っていたが、誰も来なかった。
一人友達がつき合って一緒に待っていてくれたが、誰だったか、忘れてしまった・・ゴメン。
仕方ない・・とあきらめて帰った。

次の日、S君は勝手なことを朝礼で言ってはいけない、と先生に怒られたらしい。
僕は職員室に呼ばれた。

先生曰く、クラブは勝手に作れない、部室もいっぱいだし、作りたいからといって、勝手に作るわけにはいかない・・・。

僕の高校はけっこう古い高校だったので、昔から続いているクラブがあった。ドイツ語研究会とか、聖書研究会とか・・。実質的には部員はおらず、クラブの部室が並んだ建物に、部屋だけがあって、実質的には活動などしていなかった。だから、部室は空いているでしょう、と反論したら、「xxxx」と意味不明な返答だった。
要するに、OBがうるさいので、クラブを潰すことはできない、というような事だった。
でも、今の生徒が作りたいクラブがあれば、そちらを優先すべきだ・・と言ったら、とにかく、学校の許可なく校内にポスターを貼ったりしてはいけないのだ、と言われた。

まあ、それは納得したが、でも、クラブを作りたい、ということはまた別のことだ。

でも、結果的には人は集まらなかったので、一人では無理だろう・・・と丸めこまれてしまった。

結局、演劇部に入って、そこでやってみてはどうか?ということになり、演劇部の練習に行った。

もちろん、演劇部では落語など練習していなかった。当たり前である。

部員は圧倒的に女性が多く、講堂の舞台裏で練習をしていたと思う。

「武具馬具武具馬具三武具馬具あわせて武具馬具六武具馬具」(ぶぐばぐぶぐばぐみぶぐばぐあわせてぶぐばぐむぶぐばぐ)という早口言葉を大声で言い、「あえいうえおあお かけきくけこかこ させしすせそさそ・・・」という発声練習をした。

あまりに落語とのギャップが大きかったので、あっさりやめた。
(それでも、2回くらいは練習に行ったと思う。)

3年になるまで待って、落研を作ろう、と思い続けてきて、ひと月もたたないうちに野望は絶たれた。
その後、結局JRC(青年赤十字)というクラブに入って、ガリ版の機関誌を書いていたことは、前に書いた(17歳の時間)。

その時に、結局学校というところは、実際の生徒のことを考えていないんだなあ・・と思った。
それは、今でも変わっていないだろう。

あの時、もしも、一人でも入部希望者が来ていたら・・・どうなっていたのか。

人生にたくさん「もしも」はあるが、この「もしも」は結構大きな「もしも」だと今になって思う。

| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
落研と軽音楽
中学校の時に笑福亭仁鶴がブームになって、仁鶴の落語を聞いてから、落語がやりたくなった。
でも、中学にも高校にも落語研究会がなかったので、あきらめた。
(高校時代に落語研究会を作ろうとしたのだが、作れなかった。この経緯についてはまた別に書く。)

結局、18歳から4年間落語をやった。
ギターも中学から弾いていたので、軽音楽部も考えたが、練習を見に行ったらすごくうまくて、レベルが高すぎる・・と思って、その足で落語研究会に入った。

後で聞いたら、ちょうどその時に練習していたバンドは有名なバンドだったらしい。

落語をやって、老人ホームを慰問したり、自分たちで寄席を開いたり、漫才をしたり、色々と楽しいことができた。
それ自体は後悔しているわけではないが、この歳になってギターを習い始めると、一度はバンドを組んで、誰かと一緒に音楽をやってみたかったなあ、と思う。

レッスンの時に、僕が弾くのに合わせて、先生が伴奏をしてくれたりすると、すごく楽しい。
今まで、ずっと一人でレコードやCDに合わせて弾いてきたので、新鮮である。

長男が友達とバンドを始める・・・などということを聞くと、うらやましくなる。

学生時代、学園祭のシーズンになると、女子大から出演依頼があった。
ジーンズにセッタを履いて、風呂敷に着物一式を入れて、指定の場所に行くと、「落語の人?あっち。」などと言われて、控え兼着替えの部屋を指示される。

すぐ後に、ブーツを履いて、皮のジャンパーみたいなのを着て、サングラスをかけ、ギターケースなんかを持ったバンドのメンバーが来ると、学園祭の委員の女の子の応対が明らかに違う。
「バンドの方ですか。こちらです。」と言って、一緒に部屋まで行くのだ。

「エライ違いやなあ・・・。」と一緒に行った落研のメンバーとぼやいたことを思い出す。

芸は身を助けるで、落語をやったおかげで、人前で話すことに慣れたし、少しは人を笑わせるための方法もわかり、その後の人生にプラスになったとは思う。

でも、音楽ももっとやっておけば良かったと思う。

今からでも遅くはないか。

「行動しなかった後悔の方が深く残る」というほど後悔しているわけではないが、子供が友達とレンタルスタジオに行った話などを聞いていると、ちょっと後悔する。

まあ、まだまだ花の中年だから、オヤジバンドを目指すか・・・。

誰かが「音楽に国境はない」と言っていたが、音楽に年齢もないだろう。

頑張って、練習しよう。
やろうと思わないと、何もできないし、実際に行動しないと、実現しないのは間違いないのだから。

| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラテン系
英語は街中のいろんなところであふれているが、フランス語はあまりなじみがない。
昔、仕事でフランスに長期滞在したことがあり、その時にいくつかフランス語を覚えたが、今ではほとんど忘れてしまった。

それでも、フランス語というと、いくつか、印象に残る言葉がある。

「La Vie En Rose・・・バラ色の人生」
シャンソンの題名。こないだ見た、恋愛適齢期という映画にもサウンドトラックに使われていた。ルイ・アームスロトングの歌。
元々はエディット・ピアフという有名なシャンソン歌手が歌っている。

バラ色の人生って、どんな人生なんだろう??と思い、歌詞を調べてみたら、読んでいて恥ずかしくなるようなラブソングだった。


「C'est la vie.・・・それが人生」
セラヴィという言葉は時々店の名前などで見ることがある。

人生ってそんなもの・・という自嘲的な意味で使う。
日本の、「行く川の流れは絶えずして・・・」と方丈記がいう人間のはかなさみたいなものに通じるような気がして、何となく日本人の心情にも合うような気がする。


「Que sera sera・・・なるようになる」
ドリス・ディの歌で有名な言葉。ケセラセラは僕らの年代なら歌も一度は聞いたことがあるはず。
ただ、この言葉はスペイン語なのか、フランス語なのか、よくわからないらしい。

ラヴィアンローズ、セラヴィ、ケセラセラ・・・バラ色の人生になったらいいけど、そうはならない。それが人生。なるようになる・・という順番で並べると、それがそのままシャンソンになりそうだ。

自嘲的だけど、最後は明るい・・・何となくラテン系の感じがしませんか?

| | 考えたこと | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギロビッチ博士
大和証券のコマーシャルを見ていたら、ギロビッチ博士という人が出てきて、「人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」という言葉が出てきた。
大和証券のページによると、ギロビッチ博士は1954年1月16日生まれ、米国カリフォルニア州出身、コーネル大学心理学教授とのこと。

http://www.daiwatv.jp/group/cm/profile01.html <・・詳しくはここを

CMでは、アメリカの田舎の小さなお店で、レジにいる女の子をうっとり見つめる少年が出てきて、以下の字幕が出る。

<少年は勇気がなくて声をかけられないでいた。>

<迷っているうちに彼女は突然引っ越してしまった。>

この字幕のあとに「人間は、行動した後悔より・・」というテロップが出てくる。

少年の顔を見て、小さく笑ってしまう。
何ともいえないペーソスがあって、いいCMだ。

「人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」・・・そうなんだろうなあ。

でも、時間は一直線にしか流れていないので、一人の人間が二つの時間を同時に生きることはできないから、何かをした時に、それをしなかった時と比較することは物理的に不可能だ。

何かをしてしまってから、する前にもどって、もう一度それをせずに時間を過ごせるなら、比較ができるのだが・・・。
そのためには、バック・トゥ・ザ・フューチャーのようにタイムマシンが必要だ。

だから、あくまで、「行動した後悔」と、「行動しなかった後悔」の比較は仮定のハナシである。
世界中のだれ一人、これを確認した人はいない。

それでも、「行動した後悔の方が、行動しなかった後悔より良い」というのは、一般論としてはおそらく多数の人が認めるのではないかと思う。

理由は何なんだろうか。

変化することは良いこと、という思いか・・・。
積極性の評価か・・・。

実際の結果についていえば、、必ずしも行動した方が良いとも限らない・・と思うが、それもだれ一人確認できた人はいないから、正解はない。

ということは、結果については、正解などなくて、自分でどちらが良かったかを決めるしかないということだ。

それでも、心理的に、「行動しなかった後悔の方が深く残る」というのはうなずける。

だからこそ、逆に、行動しないことを決断するという事には価値があるのかもしれない。

そうではないですかね?ギロビッチ博士・・・。


| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
0.0254mm
ギターを習いに行って、初めてうまい人の演奏を身近で見るようになった。
似たような楽器を持っていても、全く音が違う。

もちろん、指のタッチやおさえ方など、雲泥の差があるのだが、どこか人為的でない部分に違いを求めるのは人情だ。

そう思ってよく見ていると、弦の太さが違うことに気がついた。

先生の弦は太いものが張ってある。
エレキギターの場合、大きく分けて、ヘビーゲージ、ライトゲージ、スーパーライトゲージの3種類の太さがある。もちろん、ヘビーゲージが一番太い。
僕はずっとスーパーライトを使ってきたが、先生はライトゲージだった。

一番高い音の弦の太さでいうと、スーパーライトが0.009インチであり、ライトゲージが0.010インチ。
太さの違いは1/1000インチだから、0.0254mmになる。

たった0.0254mmの違いなので、「同じ太さのを張らないと、同じような音が出ないのだ」と勇んで弦を変えた。
0.0254mmなら、弾きやすさはたいして違わないではないか・・・。

弦は、太くなると音が低くなる。それを、同じ高さにしようとすると、強く張らないといけない。
この差が大きかった。ライトゲージに変えると、弦の張力が上がり、押さえるのがしんどいのだ。
たった0.0254mmの太さの差が、こんなに違うとは思わなかった。

先生は、「スーパーライトでは、頼りなくて、弾いている感じがしない・・」とのこと。

それから2台あるギターのうち1台にはライトゲージを張ることにした。
長いこと弾いていると、押さえるのがしんどくなる。

でも、1ヶ月近く続けていると、だんだん慣れてきて、たしかにスーパーライトが頼りない、という感じがわかってきた。
そして、やっぱりライトゲージの方がしっかり音が出ることもわかってきた。

なるほど。
習うということは、すごいことだ。

今まで何年もかけて、たくさんのギターの雑誌や教則本を見てきたが、いくら弦の太さの記事を読んでも、何とも思わなかった。
でも、習いに行って、実際に見ると、すぐにわかる。

0.0254mmの差は大きいです・・・。


| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
冬のこと
ここ数日、日本海側は雪が降っている。

でも、冬が暖かくなったなあ、と思う。

僕らが小学校の頃は、一年に一度は神戸でも雪が降って、うっすらと積もった。
六甲山と摩耶山が白くなるのだ。

雪が少しでも降ると、寒いというより、うれしかった。
霜柱も(舗装路が少なかったせいか)よく踏みしめて学校に通ったと思う。

働きはじめた二十代の頃、会社のビルから、六甲山が見えた。
あの頃も、冬は山頂付近が白くなることが多かった。

小学校の5年か6年の頃(昭和43年か44年)、一度神戸にも大雪が降って、数センチ雪が積もったことがあった。

その時は、みんなで運動場で雪合戦をした。
雪国の雪合戦は、白い雪玉を投げあうが、神戸では、土が混じって、最後の方は茶色の玉を投げたような気がする。
それでも、すごく楽しかった。

それを思うと、やっぱり今の冬は暖かくなったんだろう。
地球温暖化か・・・。

小学校6年の時に、今では考えられないだろうが、冬になると僕らのクラスは、毎日学校から出て、3キロほど外を走るという事をやっていた。
いい先生だったと思う。
車が少なかったから、できたのか。
授業はどうしていたのか・・・覚えていない。
列を組んで走るわけではなく、自分のペースで、決められたコースを走った。

長袖の体操服に短パンで、走り始めは手が冷たくて痛かったが、途中まで行くと、身体が温まって寒くなくなる。
白い息を吐きながら、坂を上がり、川沿いの道を通って、学校に戻る。神戸は坂ばかりだから、いい運動になる。
しんどかったけど、楽しかった。

そのおかげで、学級閉鎖などなかった。

その先生ももう隠居して、静岡の田舎に帰ってしまわれた。
もう一度会いたいなあ・・と思う。

冬になって、実家に帰る途中に、小学校の前を通ると、そんなことを思い出す。


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長いことお休みしました
このところ、体調が悪いのと、ネタ切れしたので、お休みしていました。

本も読むのは読んでいるのですが、書く気力が切れて、ちょっとこちらもお休みしていました。
また、書いていきます。

このブログは、100記事くらいは書けるだろう、と思って始めましたが、あまかったようです。

今日は書くことがあるのか?というと、そうではなくて、ちょっと更新が滞っているのでここらで書いておこう・・という感じです。

ぼちぼち、やります・・・

12月14日というと、討ち入りの日。

今日は討ち入りにふさわしく、雪が降ったところが多かった。

「討ち入り」といっても、最近の若い人には通じないかもしれない。

僕らが小学校の時に、NHKの大河ドラマで「赤穂浪士」をやっていて、それを見たのが討ち入りの見始めだった。

太鼓をたたきながら、吉良邸に向かい、雪の上に足跡を残しながら、隊列を組んで歩いていく場面が印象に残っている。

あの当時は、なぜ吉良上野介が仇になったのかは、あまりわかっていなかったが、とにかく悪いヤツという事になっていた。細かい事はわからないが、とにかく主君の仇を討つ、という事が美談という演出だった。

そういう感覚は、最近はもうないのかもしれないが・・・。
たしかに、12月になっても、あまり討ち入り関係の番組も作られなくなったように思う。

学生時代は、友達の下宿で夜明けまでだべっていて、帰ってから寝る前に「おはよう浪曲」というラジオ番組を聴くことがあったが、12月は何といっても四十七士の討ち入りである。
12月14日に討ち入りの話が来るように設定して、何日もいろんな場面を特集でやっていた。
浪曲もいいなあ、と思ったのはこのころに聞いてからだ。

そんなこんなで、12月14日が来ると、「討ち入り」を思い出す。

祖母も討ち入りが好きで、教育テレビの中継の歌舞伎もよく見ていた。

こたつに入って、横で「何でこんなわけのわからんものを見るのかな・・」と思いつつ、仕方なく見ていたことも、討ち入りの思い出だ。

その祖母の命日が12月14日なのは、何かの巡り合わせなのかもしれない・・・と思ってから16年が経った。

12月14日・・・やっぱり討ち入りですね。

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