考えたこと2

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大学のガバナンス
日大に東京地検特捜部の強制捜査が入った。
病院の建て替え工事で、資金の流れが不透明ということだ。

こないだの日大のアメフトの危険タックルの件でも、理事長や学校幹部の対応は何となく不透明だったと思う。
こういう学校法人は幹部が「学校は自分のもの」と思っているような気がする。

当然、学校法人と名が付けば、いろんな優遇措置がある。
学校は社会のためにあるということだからだ。
教育に関する事業は非課税だし、それ以外に行う収益事業も法人税が優遇されている。
おまけに、定員を充足すれば国から補助金が出る。

これらの措置は学校法人の性善説に基づいて実施されていると思う。
いやしくも、教育に関わる人は悪いことはしない、ということだ。
しかし、学校法人に勤めていたぼくの感触では、必ずしもそうではない。

日大は一大教育コンツェルンというような法人で、90億円もの私学助成金が交付されている。
そういう団体であるにも関わらず、トップの理事長や理事たちが説明責任を果たそうとしない。
学校の自治という口実を唱えて、馬耳東風という状況。
それを統括官庁である文科省も指導できない。
学校法人のトップに、教育機関は社会の公器だという自覚は全く感じられないのだ。

そこは大小を問わない。
ぼくが勤めていた下位の私立大学も本質的には似たようなもの。
ぼくが疑問に思ったことは、入試が機能していないということだ。

入試が機能していないというのは、まず第一に、推薦入試やAO入試を使って「多様な学生」を取っているということ。
「多様」という言葉はいいが、要するに基礎学力がなく、カリキュラムが成立しない学生、ということだ。
教育できる可能性がないのなら、そういう学生は入学させないということが入試の機能であり、そこができていないと教育が成立しなくなる。

中にはそういう学生を入れて、基礎学力から教育しようという立派な大学もある。
しかし、そういう学校は文科省から「なぜアルファベットから教えるのか」とか「大学にふさわしくないカリキュラムがある」ということで指導が入る。
それが必要な学生が入っているのはオカシイということだ。

でも、現実にはそういう学生が入っている。
そこに文科省は蓋をする。
義務教育が崩壊しているという事実を隠したいからだと思わざるを得ない。

第二にその事実を黙っているということだ。
下位の大学の教授たちは学生の基礎学力が足りないことを知っている。
テキストをまともに読むことさえできない学生がたくさんいるのだ。
ぼくが尊敬する先生は、ゼミではテキストを音読させるということをやっていた。
そうしないと、どこがわからないかがわからないからだ。

でも、そんな手間のかかることをする先生はほんの一握り。
自分の教えたいことを教えて、自己満足に終わってしまう人が多い。
あるいは、カリキュラムとは程遠い授業で、「何でも持ち込み可」の試験で通してしまう。
これでは実業界が大学の学力を信用しないのは当たり前だろう。

ぼくは就職支援の仕事をしていたから、ゼミの学生のことについてアンケートを取ったことがある。
そのときに、正直な先生は「自分はあの学生たちと働きたくない」と答えていた。
何とも言えない気分になったものだ。

ところが文科省から補助金をもらっているのを忖度して、大きな声で「もっと中等教育をちゃんとやってくれ」などとは一言も言わない。

ぼくは会議の席で「小学校の計算もできない学生に学士をだしてもいいのですか?」と聞いたこともあるし、改善を促したこともある。
しかし、結局は何も変わらなかった。

そう思うと、大学を変えるのは至難の業だと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |

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