考えたこと2

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アメリカの100歳
ウォールストリートジャーナルによると、アメリカでも100歳の人が増えているとのこと。
国勢調査によると、100歳以上人口は2002年の約5万人から8万2000人に増えた。
2030年には14万人程度に達する見通しとのこと。

日本では100歳以上の人は、2018年でほぼ7万人という人数。
人口はアメリカの約1/3だから、日本の方が比率ではまだまだ多い。

それでも、今のアメリカの平均寿命は男性76歳、女性81歳とのこと。
だいぶ追いついてきた。

一方で、100歳まで生きたいか?と聞かれるとそうではないらしい。
アンケートによると「米国の成人の59%が、100歳まで生きることにはリスクが多すぎるため、価値を見いだせない」と答えたとのこと。
100歳まで生きたいと答えた人でも70%は「100歳に見えないのなら100歳まで生きたい」ということだ。
これは現実的な答えだ。
そういう選択肢があったら、ぼくもYesと答える。
結局おおかたのアメリカ人は、100歳まで生きたいとは思っていないということらしい。

日本でもそうだが、平均寿命が延びるにつれて、アルツハイマーや認知症が増える。
2010年には470万人だったが、2019年には580万人。

日本ではすでに600万人を超えているらしいから、やっぱり圧倒的に多い。
連れ合いに死なれ、一人になったら罹患率が上がると思うから、長生きするとその確率は上がる。
そうなる前に死にたいと思う人も多いのではないか。

75歳の誕生日を過ぎたら、インフルエンザの予防接種は受けず、抗生物質をとらず、がんなどの検査も受けないという人もいる。
そういう考え方もあるだろう。

日経ビジネスに認知症の特集があって、こんなことが出ていた。

「認知症患者を抱える家庭の大きなストレスは介護そのものよりもこのIADL(手段的日常生活動作)の欠落や、認知症状が進んだ結果としての人格の喪失や徘徊に対するケア、さらには家庭内でところ構わず行ってしまう排泄の処理だ。人としての尊厳を失わないうちに進行した認知症患者を適切に対処や処置する仕組みが求められる点は、本人だけでなくそれを支える家族のためであって、それが2025年には500万人以上の苦悩を引き起こすことは目に見えている。」

こうなる前に死んだほうがいい、と思う人も多いだろう。
「家庭内でところかまわず行ってしまう排泄」というのがつらい。
排泄は人類の永遠の課題だと思うが、その課題が認知症で崩壊するのだろう。

排泄をしないためには、死ぬしかないというのがつらいところだ。

100歳まで生きるのは、この「ところかまわず」のリスクが大きい。
そうなってしまったら、もはや今の自分ではないのだから、他人みたいなものだ。
「そうなったら殺してくれ」と言ったら、殺人罪になるのだろうか。
具合悪いことに、そうなったら、きっと自殺はしないだろうから、難しい。

尊厳死も適用できないだろう。

早く考えておかないといけないと思う。



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