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2019.07.09 Tuesday
釧路2
釧路のことをだいぶ前に書いた。
2006年の7月だ。 1ヶ月、釧路に住んで、釧路営業所の手伝いをした。 会社に入った年の1979年11月の1ヶ月間、スノータイヤの販売実習。 営業所の近所のおばちゃんのところに下宿した。 釧路のことを書いてから、もう13年経った。 朝BSでやっている、火野正平が自転車で日本中を回る「こころ旅」で北海道のことを言っていて、思い出したことがある。 ぼくの送り迎えと、配達の同行をさせてくれたのが、コサキさん。 もう亡くなったというのは前に書いた。 あれは40年前の出来事。 コサキさんと美人の奥さんと、友だちのコンダさんのことだ。 コンダさんは、コサキさんが所長に頼んで雇ってもらったという感じだった。 ぼくは新入社員研修で行っていたが、コンダさんも当時入りたてだったと思う。 いつも、青いツナギ服を着ていた。 1ヶ月の間に何度かコサキさんは新婚の家に呼んでくれて、ごちそうしてくれた。 できちゃった結婚で、赤ちゃんがいたから、大変だったと思う。 たしか、ぼくが帰る前の夜は家に泊めてくれたと思う。 その時だったか、コンダさんも来て、酒を飲んで騒いでいた。 コンダさんは得意芸があるらしく、コサキさんが「やれやれ」とけしかけた。 奥さんは見たことがあるらしく、「それはやったらいけないべ」と言ったと思う。 3人共知っている障害者のマネをコンダさんがするのだ。 コサキさんは「いいから、コンダ、やれやれ」とさらにけしかけて、コンダさんは座布団に座ってやり始めた。 ぼくはその当人を知らないから、あまり笑えなかったのだが、それを見て、コサキさんは大笑いして、奥さんは怒っていた。 「やめなさい」と言った奥さんが、突如吹き出して、笑い始めた。 それくらい、面白かったのだろう。 あれは、コンダさんのかくし芸だった。 今も昔も、こういうことをしてはいけない。 それがわかっていても、笑ってしまう。 何ともいえない、ほろ苦い思い出だ。 コサキさんは亡くなった。 コンダさんはどうしているだろう。 奥さんはどうしているだろう。 たった1ヶ月の釧路住まいだったが、楽しかったことだけを覚えている。 人生は不思議なものだ…。 |
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