考えたこと2

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釧路2
釧路のことをだいぶ前に書いた。
2006年の7月だ。

1ヶ月、釧路に住んで、釧路営業所の手伝いをした。
会社に入った年の1979年11月の1ヶ月間、スノータイヤの販売実習。
営業所の近所のおばちゃんのところに下宿した。

釧路のことを書いてから、もう13年経った。
朝BSでやっている、火野正平が自転車で日本中を回る「こころ旅」で北海道のことを言っていて、思い出したことがある。

ぼくの送り迎えと、配達の同行をさせてくれたのが、コサキさん。
もう亡くなったというのは前に書いた。
あれは40年前の出来事。

コサキさんと美人の奥さんと、友だちのコンダさんのことだ。

コンダさんは、コサキさんが所長に頼んで雇ってもらったという感じだった。
ぼくは新入社員研修で行っていたが、コンダさんも当時入りたてだったと思う。
いつも、青いツナギ服を着ていた。

1ヶ月の間に何度かコサキさんは新婚の家に呼んでくれて、ごちそうしてくれた。
できちゃった結婚で、赤ちゃんがいたから、大変だったと思う。
たしか、ぼくが帰る前の夜は家に泊めてくれたと思う。

その時だったか、コンダさんも来て、酒を飲んで騒いでいた。
コンダさんは得意芸があるらしく、コサキさんが「やれやれ」とけしかけた。
奥さんは見たことがあるらしく、「それはやったらいけないべ」と言ったと思う。
3人共知っている障害者のマネをコンダさんがするのだ。
コサキさんは「いいから、コンダ、やれやれ」とさらにけしかけて、コンダさんは座布団に座ってやり始めた。

ぼくはその当人を知らないから、あまり笑えなかったのだが、それを見て、コサキさんは大笑いして、奥さんは怒っていた。
「やめなさい」と言った奥さんが、突如吹き出して、笑い始めた。
それくらい、面白かったのだろう。
あれは、コンダさんのかくし芸だった。

今も昔も、こういうことをしてはいけない。
それがわかっていても、笑ってしまう。

何ともいえない、ほろ苦い思い出だ。

コサキさんは亡くなった。
コンダさんはどうしているだろう。
奥さんはどうしているだろう。

たった1ヶ月の釧路住まいだったが、楽しかったことだけを覚えている。

人生は不思議なものだ…。



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