考えたこと2

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暇な時間
仕事や学部を選ぶ時に、キャリアの観点から言うと「何をやりたいのか」「何ができるのか」「何をしている自分なら満足できるのか」の3つを考えなさい、ということになっている(と思う)。
しかし、そもそも何がやりたいかわからない若い人は多い。

その原因の一端は、高校生や大学生がアルバイト労働力として使われるようになったからだと思う。
前にも同じようなことを書いているが、高校や大学で暇な時間がなくなった。
その原因がアルバイト。
最低賃金を上げることを検討したりしているが、それよりも高校生や大学生のアルバイトを禁止したほうがいいと思う。
彼らを使うのは、未来を潰しているのと同じことだからだ。

アルバイトをする一つの原因は、日本が貧しくなったことだろう。
やっぱり国が貧すれば、鈍するのだ。
子供の数が少なくなって、大切に育てないといけないのに、早くから安い労働力として使われる。
でも、大方の学生はそもそも暇だから働くのだと思う。

ぼくらの高校時代はわりと暇だった。
部活をやっている人たちは忙しくしていたが、ぼくは行っていた高校に落研がなかったので、部活はやらなかった。
この辺の経緯についてはここに書いた。

いわゆる帰宅部というやつで、帰ってから近くの大学のグラウンドに行って、中学の時の同級生とボールを蹴ったりするくらいだった。
本はわりと読んだ。太宰治や石川達三など。太宰は文庫はほとんど読んだはず。
当時は太宰もたくさん文庫で並んでいた。
受験対策で夏目漱石や森鴎外なども読まされた。
ギターもよく弾いた。今は流行らないフィンガーピッキングでポール・サイモンやピーター・ポール&マリーなど練習したものだ。

高校1年や2年の時は、本当に暇だった。
よく近所の同級生とダベった。
前に書いたこれなどがその頃の記憶。

くだらない事を話していたのだが、考える暇は十分あった。
将来何がやりたいかなど全く考えてなかった。
だから、それを今の若い人たちに求めるのは酷だと思う。

でも、自分はどんな人間なのか、どんな人間になりたいのかというようなことは、考えたと思う。
思春期というのは、そういうものだ。
何かの思想にかぶれたりもするが、それを通じて自分というものを考える時期。

今は高校大学を通じて、そういう暇な時間が減っているのではないか。

今の就活で試されるのは大人度だと思う。
ちゃんと目を見て話せるか、敬語が使えるかで始まって、世の中のことを考えているか、自分のことをどれだけ語れるかなどの事は、結局は学生がどれだけ大人になっているかを確かめているのだと思う。

学生時代に勉強をするのも大事だが、友達とダベったり、本を読んだり、いろんなことで悩んだりできる、暇な時間が必要なのだと思う。
卒業後すぐに進学しないとか、就職しないで自由に過ごすギャップイヤーというのも、そういう目的のものだ。

ぼくにとっては、大学など、そういう時間そのものだった。
若い人はある程度暇でなければならないと思う。

年をとったら、いやでも働かなくてはならないのだから。

| | 考えたこと | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
XAI
こないだの日経を見ていたら、XAIという文字があった。
これは何かというと、Explainable AIのこと。
AIは何かを学んで賢くなっていくが、その結果を見ただけでは、どういう判断でその結果を出したのかわからない。
それを説明可能にするということだ。

AIを使うことに逡巡する企業の大きな理由は、AIが答えを出した「理由がわからない」ということ。
後付けで人間が考えても、なぜぞうなるのかわからない、ということだろう。

AIの将棋でも、従来なら考えられないような棋譜になるものがあるらしい。
定石ではなく、AIが作り出した新手だ。
AIは従来の対戦や自らちょっとチューニングを変えたAI同士で対戦し、それを編み出す。
しかし、あくまでAIはコードで書かれたプログラムだから、なぜその手を指したのかは聞くことはできない。
「勝つ」という目的があるだけだ。
将棋の場合は明確な目的があって、勝てばいいのだから思考過程はブラックボックスでもかまわない。

しかし、企業でAIを取り入れるところは、将棋のようにはいかないと思う。
いろんなケースがあって、その中からどれを選ぶかという場合など、判断理由は大事だ。
決定者には責任があるから困る。
AIは失敗したときの責任を取ってくれない。
そもそも、責任という概念がわからない。

結局、最後は人間が判断しないといけないのだ。
だから、経営に関することなど、AIを参考意見で聞く程度にしかならないのだろう。
突拍子もない意見をAIが出したときに、理由もわからずそれを採用する、というのには十分勇気がいる。

人間の脳を模して、考えさせているのに、理由がわからないというのもなあ。

人間自身だって、結局は理由をつけていても、こじつけの場合も多い。
人間のつけた理由は、よく考えたら理由になっていない、というようなこともあり得る。
直感を信じるというような人もいる。
所詮結果オーライなのだ。

しかし、それでも人間が判断したら、その決定について責任が発生する。
そういう仕組で、おおかたの世の中は成り立っている。

さらに、世の中の出来事は、起こってしまったらもう時間は戻れない。
いくら過去の事象を学習して、この時はきっとこうした方がよかったなどと実績を積んでも、実際にはそれが正しいかどうかはわからない。
やってみることができないからだ。

それに、大多数の人間はAIほど賢くない。
だからこそポピュリズムなどということが起こる。

AIと人間の関係は難しい。



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