考えたこと2

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大手管理職病
人生100年ということが言われ、年金や社会保障の危機が言われ、できるだけ長いこと働くにこしたことはない、という動きも出てきた。
ぼくはもともとそう思っていたが、現実的には高齢になって働き続けるのは意外と難しいらしい。

その中の一つが「大手管理職病」というもの。
症状としては、退職後に作った名刺にもとの会社名を入れ、初対面では必ず「かつて営業本部長を務めておりました」とか言ったり、打ち合わせの席でもみるからに偉そうな態度をとったり、コピーの取り方やファクスの送り方がわからなかったりする。
もとの仕事から離れられないのだ。

そういえば、バブルが崩壊した時にたくさん会社が潰れたりしたが、その時にもエライ人が職を求めていた。
その頃、ハローワークなどで「何ができますか?」と聞かれたら、「部長が出来ます」と答える人がいる、という笑い話があった。
その頃から、そういう症状はあった。

新しい職場では謙虚でなければならない、というのが原則。
前職のことはできるだけ言わない、ということだ。
そして、新しい職場に慣れて受け入れてもらうことが肝心。

ただ、前職で大手の管理職をやっていたような人は、なかなか適応できない事例も多いとのこと。
上記の「大手管理職病」もそんな感じだ。

ぼくは民間企業から学校法人に47歳で転職した。
人づての紹介だが、入った時はパソコン教室の担当兼学生の情報教育をどうするかという役目の課長だった。
図書課に属し、部下は3名の派遣の人たちだけ。
要するに一人の部署で、その年はパソコン教室の入れ替えがあって、大変だった。

教室の図面を描き、机を入れ、パソコンを選定し、3教室立ち上げた。
毎日一人で遅くまで残ってやったことを思い出す。
それと同時に、職員のパソコンのメンテやヘルプデスクもやっていた。
これも大変だった。

まずは、あまりのレベルの低さに驚いた。
学生のヘルプよりも、職員や先生のヘルプのほうが大変だった。
「こんなこともわからんのか」と言いたいことが何度もあったが、飲み込んで笑顔で処理した。
大学業界のわけのわからない言葉を覚えるために、毎日メモ帳を持ち歩いて、せっせとメモを取った。
そういうふうにして3年かかって、周りの職員や先生から信頼を得たと思う。

2年目には、大学の第三者認証評価があった。
情報関係の自己点検という書類を作ったが、良く出来すぎていると言われた。
誰にも手伝ってもらわず、一人でやったのだが…。

4年目に就職支援の部署の課長に異動した時には、ぼくのいた部署はなくなった。
何のために一生懸命やったのかと思ったが、まあ仕方ない。
その2年後に事務局長兼務になった。事務のトップの仕事。
それで、学部を分けて、新しい学部を信頼できる先生方と作った。
そんな仕事をアサインされ、実際にやれたのも、まわりの人たちに一応は信頼されたからだと思う。

民間ではこんなやり方でやっているとか、こんなふうに効率を考えてやるべきだなどと言えることも山ほどあった。
でも、そんなことを言っても、やっていない人たちには全く通じない。
学校法人の常識にしたがって、徐々に変えていくしかないのだと思う。
そのやり方が良かったのかどうかはわからない。
ぼくを引っ張ってくれた上司が病気で亡くなってしまって、そんなに大きな声も出せなかったのは事実。
頭の固い学校法人を変えるのは、やっぱり難しかった。

「大手管理職病」にかかる人は、もっと年上なのかもしれない。
47歳という年齢がよかったのだろう。
まだちょっと若かったからだ。

でも、これからの時代、謙虚になって、新しい会社に移らないとすぐにはじき出される。
長く働く上での知恵だ。
正しいと思うことでも、曲げないといけないときもある。

こういうのも変わっていくのだろうか。



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