考えたこと2

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ライフ・シフトビジネス
人生100年時代をうたったリンダ・グラットンの「ライフ・シフト」が売れて、それに便乗して「ライフ・シフト」がいろんなところで使われている。
ぼくは読んでいないのだが、長生きする人は人生100年とまでは言わないが、80年から90年というところは考えておいたほうがいいと思う。
そのためには、中高年から準備しておかないといけない。

今までの考えでは、60歳から65歳で定年して、あとは余生を過ごすということだが、人生が長くなるとそういうわけにはいかない。
残された時間が長すぎる。
今の年金制度ができたときは、55歳が受給年齢だったらしい。
麻生さんが言っていたが、その時の平均寿命は43歳。
実際、年金をもらうときには半分以上が死んでいる、という状況だった。

その後、幸いにも日本は人口が増え、高度成長して儲かっている間はよかったが、20年ほど前にそれが終わった。
一方で出生率は下がり、寿命は伸びるという年金制度や医療制度にとってはダブルパンチになった。
その状況がわかっていれば、制度が崩壊しつつあるのは誰でもわかる。
今頃になって騒ぐのは意味がわからない。

おっつけ、マクロ経済スライドは行われるだろうし、年金の受給年齢は繰り下がるだろうし、マイナンバーを用いて収入や資産に対応して受給額は減るだろう。
もちろん、その分だけ生活保護は手厚くしないといけない。
そこは政治の問題だ。

それでも将来の高齢者は自衛しないといけない。
なるべく長く働くことは必要だろう。
収入は低くてもいいのだ。
そのために、キャリアのことも考えて、新たに何かを習ったり、今までのことを棚卸ししたりするのが、ライフ・シフト関係のビジネスだと思う。

今朝の日経に、多摩大学大学院研究科に「ライフシフト大学」という大学を作るという記事が出ていた。
ところが多摩大学大学院で検索しても出てこない。
おそらく、先生が先走ったのだろう。

日経の記事によると、

「年齢に応じて昇給する年功型賃金や終身雇用といった日本式雇用の枠組みが崩れつつあるなか、中高年のキャリアの再設計を促す専門校が10月、開校する。経営学修士号(MBA)の短期講座の提供や転職先とのマッチングもする。人生100年時代で高齢まで働く人が増えていくなか、中高年の能力開発や特性を生かした転職の必要性が高まっている。

多摩大学大学院研究科長の徳岡晃一郎教授が設けたのは、ライフシフト大学(東京・港)だ。オンラインのビジネススキル講座などのほか多摩大院でのMBA単科講座や中小・スタートアップ企業でのインターンシップの機会を提供する。希望者には転職先のマッチングもする。半年の講座で学費は70万円ほど。」

ということだ。

なぜ「ライフ・シフト」にしないのかと思ったら、もうすでに「ライフ・シフト大学」は存在する。
徳島大学病院が「人生100年ライフ・シフト大学」というのを作っている。

こちらは、「徳島大学病院は,人生100年ライフ・シフト大学(LIFU:Life Shift University)を開講し,医療の基礎や地域社会を学ぶことで,健康に100年ライフをエンジョイし,社会に貢献できる人材を育成します。」ということだ。

調べたら、もうあったので、「ライフ・シフト」を「ライフシフト」にしたのだろう。
大学院も定員を満たすために大変だ。
聞いたことがない大学だから、きっと困っているのだろう。

以前、シニア・インターンという映画があった。
ロバート・デ・ニーロが渋い高齢のインターンを演じ、若い女性社長を助けるというもの。
アメリカの、シニア・インターンという制度がよくわかった。
実際、伝統的なビジネスを知っているベテランが、スタートアップ企業を助ける場面は多いと思う。

今回の「ライフ・シフト大学」にもそういう制度が入っているが、これはいい考えだ。

そこだけ、もっと人材関係の会社が仲介すればいいと思う。




| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
Wikipedia再び
ぼくのブログの記事を「Wikipedia」で検索すると、130件ほと出てくる。
4500件ほど書いているから、3%ほどの記事がWikipediaを引用しているということだ。

それ以外にも、ちょっと確認したいというときなど、Wikipediaは重宝する。
そういう使い方も入れたら、500件ほどの記事はきっとWikipediaのお世話になっているだろう。

寄付も4回ほどした。
1000円とか、1500円とか、2000円とか…。
何度かそれをネタに記事にも書いた。

一昨日もメールが来て1000円寄付した。
一度寄付すると、メールアドレスを登録されて、資金が足りなくなると寄付を募られる。
もちろん、配信停止は自分でできるのだが、ちょっとでも役に立つのならやろうと思うから、なかなか停止できない。
よくないこともたくさんしてきたから、その罪滅ぼしだ。

寄付したらバッジをくれるのだが、もう4つもたまった。
ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナのバッジ。
バッジといっても、単なる画像データーだが…。

こないだ、ネットは性善説で支えられていると書いたが、まさにWikipediaはそういうものだ。
利用料は無料で、一般人が書くというコンセプト。
今や膨大なデーターになっている。
信頼性は保証していないが、Wikipediaに賛同して書く人は善意の人。
チェック機構もある。
昔は百科事典を持つことがステイタスだった。
そんな時代ももう過去だ。
今はスマホ1台あれば何でもできる。

全部で250の言語で書かれている。
日本語版の記事数は115万。日本語版のブリタニカオンラインの記事数が15万4000だから、1桁違う。
普通の百科事典で出ていないようなこともたくさん出ている。

昔のラジオの番組のことなど、調べられるのはWikipediaくらいだ。
それと、有名人はたいがい載っているから、年齢を調べるときに重宝する。

大学の頃、ラジオに萩尾みどりが出ていて、その声が特徴的で好きだったのだが、それを思い出して調べようとすると、トップにWikipediaが出てきた。
ぼくと同年代か、ちょっと上の人たちのことを調べようとすると、たいがいWikipediaが上位に出てくる。
ああ、あの人どうしたかなあ、と思って調べたい対象になる年齢なのだろう。

そういうことで、Wikipediaにはお世話になっている。

またメールが来たら、寄付しよう。



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