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2015.12.23 Wednesday
教えて育むこと
「教育」とは文字通り「教えて育む」ことだろう。
話し合って、考えることではない。 それでも、今の先生は、自ら考えることを奨励しているように見える。 それが大事でないとは言わないが…。 何かというと話し合いだ。 聞けば、算数の授業も話し合いだという。 三角形の面積の出し方を見つける。 具体的には、授業で三角形を2つに合わせると平行四辺形になって、その面積を半分にすればいい、ということを「見つける」ための話し合いをするらしい。 先生は、誰かがそれを見つけて、平行四辺形の半分にすればいい、というのを待つ。 そんなことを誰もが見つけられるワケがない。 それをいう子はその答えを知っているということだ。 実は先生は知っていて、誘導する。 それで授業が成り立つ。 そういう態度がスクールカーストを助長するんだろう。 答えを知らない子は、結局自分はそれを見つけられなかったということで、算数を苦手になる。 見つけた子は、塾に行って答えを知っていたというだけの話。 いつからそんなバカなことをやるようになったんだろうか。 ぼくらの時代は、先生がやり方を教えてくれた。 生徒は教わるという点で、みんな平等だ。 だから、先生はエラかった。 それが自然な姿だと思う。 教育学者たちは何かを履き違えている。 素直に教えればいいのに、子供の「発達」とやらを重視する。 子供など、ほっておけば勝手に発達するのだと思う。 そんなことを演出する必要などない。 だから、算数が苦手な子が増えたのだと思う。 早くやり方を戻さないと…。 |
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