考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
つかみ
朝のドラマのネタが多くて恐縮だが、今は東京と大阪が半年ごとに交代で制作している。

ゲゲゲの女房は東京制作だったので、今回のてっぱんは大阪の番。

1週目から、ヒロインがトランペットを海に投げ込むおばあさんを見て、2回も海に飛び込む。
それが、本人が聞かされていなかった、生みの母親のお母さんだった…、という展開。

まあ、いきなりこんな事あらへんわなあ…というスジだ。

それでも、さすが大阪制作。
ちゃんと「つかみ」をやっている。

「つかみ」というのは、漫才などで舞台に上がり、最初に笑いをとることだ。
お客さんをつかむ、ということから「つかみ」という。
大阪人は、じわじわとクライマックスにいくというドラマ作りができない。
最初がつまらないと、見てくれないという恐怖感があり、それに勝てないのだ。

最近の大阪制作のドラマは、ウェルかめ、だんだん、ちりとてちん、芋たこなんきん、風のハルカというようなラインナップ。
全てが最初につかみがあるか、というと忘れてしまったが、大阪人にはそういう感覚がある。
じわじわといって、それでだんだんと視聴率が上がり、クライマックスを迎えるというような展開ではないと思う。
ウェルかめ、だんだん、ちりとてちんというのは、どちらかというと最後は尻すぼみという印象。
ちりとてちんは落語の話だが、突然終わった感じだった。

ゲゲゲの女房は、良くできたドラマだった。
ヒロインの少女時代から、40代くらいまで。
各々の場面に山があるが、いわゆる「つかみ」というのはなかった。
それでいて、視聴率が高い。

そこに東京人と大阪人の違いが表れている。

てっぱんの始まりは唐突だが、面白い。
まあ、許したろか…、という感じ。

江戸落語は粋という感覚を尊び、とにかく笑わせるという事ではなく、感心させるというような味わいもある。
上方落語はとにかく笑いを取ろうという感覚。
お客さんがしっかり聞いていても、笑いがないとこわくなるのだ。

だから、プレゼンでも関西人がやると、小ネタを入れて笑いを取ろうとする。
これがよくスベる。
真面目にプレゼンしているのだから、聴衆は真面目に聞いている。
そんなところに突然笑いのネタを入れても笑えない。
こころの準備ができていないと、笑えないのだ。
ほとんど、大阪人にとっては脅迫的になっている。
それほど、笑いを取るということに執着する。

特に今回はゲゲゲの女房の後だけに、つかみにいったのだろう。
その前のウェルかめは、かなり悪かったらしいから、よけいだ。

大阪制作らしいドラマ、てっぱん、楽しみだ。

| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/234328
トラックバック