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2010.10.03 Sunday
つかみ
朝のドラマのネタが多くて恐縮だが、今は東京と大阪が半年ごとに交代で制作している。
ゲゲゲの女房は東京制作だったので、今回のてっぱんは大阪の番。 1週目から、ヒロインがトランペットを海に投げ込むおばあさんを見て、2回も海に飛び込む。 それが、本人が聞かされていなかった、生みの母親のお母さんだった…、という展開。 まあ、いきなりこんな事あらへんわなあ…というスジだ。 それでも、さすが大阪制作。 ちゃんと「つかみ」をやっている。 「つかみ」というのは、漫才などで舞台に上がり、最初に笑いをとることだ。 お客さんをつかむ、ということから「つかみ」という。 大阪人は、じわじわとクライマックスにいくというドラマ作りができない。 最初がつまらないと、見てくれないという恐怖感があり、それに勝てないのだ。 最近の大阪制作のドラマは、ウェルかめ、だんだん、ちりとてちん、芋たこなんきん、風のハルカというようなラインナップ。 全てが最初につかみがあるか、というと忘れてしまったが、大阪人にはそういう感覚がある。 じわじわといって、それでだんだんと視聴率が上がり、クライマックスを迎えるというような展開ではないと思う。 ウェルかめ、だんだん、ちりとてちんというのは、どちらかというと最後は尻すぼみという印象。 ちりとてちんは落語の話だが、突然終わった感じだった。 ゲゲゲの女房は、良くできたドラマだった。 ヒロインの少女時代から、40代くらいまで。 各々の場面に山があるが、いわゆる「つかみ」というのはなかった。 それでいて、視聴率が高い。 そこに東京人と大阪人の違いが表れている。 てっぱんの始まりは唐突だが、面白い。 まあ、許したろか…、という感じ。 江戸落語は粋という感覚を尊び、とにかく笑わせるという事ではなく、感心させるというような味わいもある。 上方落語はとにかく笑いを取ろうという感覚。 お客さんがしっかり聞いていても、笑いがないとこわくなるのだ。 だから、プレゼンでも関西人がやると、小ネタを入れて笑いを取ろうとする。 これがよくスベる。 真面目にプレゼンしているのだから、聴衆は真面目に聞いている。 そんなところに突然笑いのネタを入れても笑えない。 こころの準備ができていないと、笑えないのだ。 ほとんど、大阪人にとっては脅迫的になっている。 それほど、笑いを取るということに執着する。 特に今回はゲゲゲの女房の後だけに、つかみにいったのだろう。 その前のウェルかめは、かなり悪かったらしいから、よけいだ。 大阪制作らしいドラマ、てっぱん、楽しみだ。 |
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