考えたこと2

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COBOL
COBOLというと、ぼくらが大学時代FORTRANを学んだ頃、有名だった事務処理用のコンピューター言語。
もうこのCOBOLでコーディングされたプログラムを、モダンな言語で作り直さないといけない。
以前2025年の崖で書いた。
多くの企業が、これで困っているらしい。

大きなシステムであればあるほど、関連するプログラムの数が多く、書き換えが大変になる。
そして、それらのシステムはたいがい出来てから何十年も経っている。
おまけに、COBOLがわかるエンジニアがほとんどいない。
どんな処理をしているかすら、わからないのだ。
なおかつ、6割を超える企業に古いシステムが存在している、とのこと。
要するにずっとサボってきたツケが回ってきたということだ。

ぼくは昭和54年に入社したが、当時のシステム部は事務系の部署で、COBOLがメインだったと思う。
技術系は扱っていなかった(別の部署)。
どちらかというと、全国の代理店を含む、営業系や経理系のシステムをやっていた。
おそらく、それらの名残がまだまだ残っているのだろう。

ぼくのいた会社は、幸い2000年過ぎに事務系のシステムを刷新していたと思う。
真偽のほどはよくわからないが…。

事務系のシステムは年月を経て、改修に改修を重ねているから、よけいのことシステムは肥大化してわかりにくくなっている。
これがデジタル化の足を引っ張り、日本の生産性を低くしている原因の一つになる。

今でも国民一人あたりのGDPは低いのに、まだまだ下がる爆弾を抱えているということだ。

長い目で見たら、これはきっと教育の失敗だろう。
もっとコンピューターの教育をしてこなければならなかったのだ。
特に事務系の人たち。
自分たちは全くコンピューターなど関係ないと思っている人もいた。
人間関係でやっていく、というタイプ。

しかし、いくらなんでもシステムが動いているからと言って、ずっとほったらかしにするのはダメだった。
そういうことに問題意識がないから、ほっておいたのだろう。

文科省が情報の授業を高校課程に取り入れたのが2003年。
あまりに遅い。
ほとんどの高校にその教科を教えられる人がいなかった。
したがって、勝手に科目を数学や他の講義に読み替えて履修はしていなかった。
その状況をほったらかしにして、今がある。
未だに教員になる人は、常識としてこういうコンピュータースキルが必要、ということは言われていない。
そういうことが、本質的な問題なのだと思う。

小学校でプログラミング教育をやる、と言っているが、まともにできるわけがない。
教員養成課程がそうなっていないからだ。
中学以降はもちろん「情報」に関する要求もない。

残念ながら、日本はIT後進国なのだ。

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