考えたこと2

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ダウンタウン
こないだダウンタウン松本の事を書いたが、よほど彼は大物とみえて、ネット上にはいろんな記事が出ている。
ぼくが共感するのは、「他人をイジる芸」が「イジメ芸」になっており、それに慣れた人たちは面白がっているが、そうでない人たちは松本を評価していないというような意見。

素人をイジる芸は、70年代にぼくがよく聞いていた「ヤングタウン」という深夜放送で、電話で番組ファンの若い人たちと電話でパーソナリティが話す、という企画あたりが発祥だと思う。
「ハッピートゥディ」というコーナーがあって、電話でエピソードを話し、それにパーソナリティがツッコミを入れる、という形だ。

それを進化させたのは、鶴瓶だったと思う。
鶴瓶は、素人のお客さんとのやり取りで笑いを取るのがうまかった。
80年代に日曜日の夕方にやっていたラジオ番組はよく聞いた覚えがある。
もちろん、イジメ芸というようなものではなく、彼ら彼女らの出来事や感想を深めたり、「そんなアホな」(これは関西ではイジメ言葉ではない)と突っ込んだりして、面白くするという手法。
出演した素人も、笑いながら話すというようなものだ。

それが90年代にダウンタウンによって、素人ではなく芸人や他のジャンルの有名人へのイジメ芸に変わったのかもしれない。
ぼくはダウンタウンの番組など見たことがないのでわからないが、今でも時々見る浜田のツッコミはそういう感じがある。

この記事には、こう書かれている。

「1991年から97年まで続いた「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)などで、ダウンタウンは日本中の若者、子どもたちに「イジり」という概念を植えつけた。「イジってもらっているんだから、おいしい」というような、本来は芸人の楽屋だけで通用していればよい価値観を、テレビ放送という「表舞台」に提供し続けてきたのがダウンタウンだといえる。天下を取るまではそれでよかったかもしれないが、天下を取ったあとのそれは、弱い者いじめとなる。」

前にも書いた、楽屋落ちの笑いなのだ。
それを表でやってはいけない。
前に書いた、横山やすしが言いたかったことも、そういうことだったのだろう。

それを無視して、やり続けたことが、日本中に拡散されそういう風土ができてしまったとしたら、その罪は重い。

テレビを見ていない、高校生の好感度が高いのは吉本の芸人ではなく、サンドイッチマンだ。
彼らのコントや漫才にはそんな毒の要素はない。
それが人前でやるべきお笑いなのだ。
テレビに毒されていない若い人たちは、そこから距離を置いている。

もう楽屋落ちはやめよう。
健全な笑いではなく、毒の笑いを撒き散らすのはやめよう。

それが今は必要だと思う。




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