考えたこと2

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人物評価
中央教育審議会が入試制度の改革をやっていて、今の小学校6年から新制度になることは決まっている。
新聞によると、その改革のポイントは以下の5点。

1.センター試験を廃止し「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を2021年度入試から導入
2.思考力を重視し教科の枠組みを超えた問題を出題
3.英語は4技能をバランスよく評価し、外部試験の活用も検討
4.各大学の個別試験は小論文や面接、集団討論などで多面的に評価する
5.高校生の基礎学力をみる「高校基礎学力テスト(仮称)」を新設する

ぼくは1,2,3,5については賛成。
ただ、1と5を別々にするのはどうかと思う。
要は、高校卒業程度の基礎学力を測ればいいのだから、一つのテストで充分だ。
今はそれができていないから、入試の科目にない科目をやらない、という不見識な高校がたくさん出てきた。
自分の担当の科目の勉強の意味がわからない教師がいる。
数学の教師が、実社会では高校の数学は要らんから…などと、堂々と話す。
教育がモノ扱いされ、損得で評価されている。
世界史の履修漏れなど氷山の一角だ。
その状況を変えるためには、これまた不見識な大学の入試に頼らず、高校卒業程度の全科目の知識を問う試験をすべきだ。

英語もTOEICでもTOEFLでも英検でも何でも活用すればいい。
その方が客観的な評価ができる。

ただ、問題は4だ。
各大学の個別試験を、小論文や面接、集団討論にして、多面的に評価する、というもの。
要はペーパーテストをやめて、主観評価に変える、ということだ。
これは絶対反対。
中教審の人たちは、1点に泣く今のシステムに反対しているのだが、それなら主観評価に変えて、受験生の満足度が上がるのかということだ。
1点に泣くほうが、面接や集団討論という試験で落ちるより、よっぽど納得性が高い。
集団討論など、回りの人に左右されてしまう。

人間の主観ほどいい加減なものはない。
人が人を評価するのは、本当に難しい。
本気でそういうことをやったことがない人が、中教審には集まっているのだろう。
会社勤めをして、管理職になったら、定期的に部下を評価しないといけない。
目標管理とか、人事考課とかいうやつだ。
それは昇進もかかるし、昇給もかかる。
いい加減にはできない。
そんなことをやってみればいいのだ。
人が人を評価するのは、難しいと本気で思う。
できることなら、定期的に業務に関するテストをやって、点数化してほしいと思う管理職も多いだろう。
目標管理にしても、結局はチームプレーだから、一人ひとりの頑張りをどう評価するのがいいのか、難しい。
それは本当にそう思う。

「人物評価」という言葉に騙されてはいけない。
各大学で1人の人がすべての受験生を評価できるのなら、まだいい。
そんなことはできないから、複数の担当でレベル合わせをして、質問内容も決めて、どういう答えの時はどう評価するということも決めて運用しないといけない。
でも、いくらそんなことを決めても、実際にはそれを厳格に実施するのは不可能だ。
こんなことをしたら、今よりももっと「あの面接官に落とされた」という不公平感が増すだけだ。
人物評価を入れるというのなら、内申書を見ればいい。

小論文や面接、集団討論などの多面的な評価というのは、聞こえはいいが恣意的な評価をする、ということだ。
客観評価ではそんなことは起こらない。

ぼくは大学に勤めていて、大学でやっている面接試験についても見たことがあるが、どうやってもフェアにはできない。
人の好みが入り、面接官ごとにそれは変わる。
面接官が好きな人のタイプというのは、抜き難くある。
いくらレベルをすりあわせても、絶対にそれは入るのだ。

それを人物評価をやるプロがやるのならまだしも、普段研究をやっている大学の先生が、そんなことをできるわけがない。

だから、面接を用いた試験をするのは構わないが、2次試験でペーパーテストをやめてしまうのは反対。
主観的評価は、ペーパーテストでは拾えないユニークな人を取るためか、こういう人だけは取りたくないという足切りに使うべきだ。
要は、両極端を選別する手段にする、ということだ。それしかないと思う。

1点に泣くほうが、わけの分からない面接官の主観で落とされるよりよっぽどマシだ。
そんなことは当たり前だと思う。
そのほうが、受験生も納得できる。

中教審のエライ人は何を考えているんだろうか。

| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
大正生まれ
こないだ、ジムのプールでジャグジーに入っていたら、急におばあさんが話しかけてきた。

ちょっと要領を得なかったが、話をよく聞くと終戦前に満州にいたが、ソ連が急に攻めてきて、自分たち一般人は山の方に逃げて大変だった、という話。
おそらく1945年の8月のことだと思う。
日本の終戦間際にソ連が突然参戦し、当時の関東軍が支配していた満州は大変だったらしい。

おばあさんは大正13年生まれの90歳ということで、当時は20歳だったと思う。
平和なら一番楽しいはずのティーンエージャーの頃、満州で終戦を迎え、ロシア兵に追われて逃げまわったということだ。

自分では当時17歳と言っていたが、きっと間違えていたんだろう。
とても元気なおばあさんだった。

あのおばあさんたちの苦労があったから、今の日本がある。

日本の陸軍が中国に「進出」して勝手に戦線を拡大し、それを歴代の内閣が承認し、結局は海軍も一緒になって太平洋戦争に突入した。
朝日や毎日といった当時のマスコミは、新聞を売るために戦争を煽った。
それによって、国民もみんな戦争をやる気になっていった。
マスコミは当然勝てると報道したからだ。
結局は、軍もマスコミも国民もみんな悪かったんだと思う。

でも、おばあさんは戦争の犠牲者でもある。
おばあさんは、日本の軍人は、当時全く頼りにならなかったと言っていた。
守ってくれるものもない土地で、大変な苦労をされたんだろう。

日本の内部で言えば、戦線拡大を許し、天皇の意に反して無茶な日米戦に突っ込んでいった軍部や内閣に対して、日本国民は反省をしていない。
東京裁判で連合国が裁いたことになってしまったからだ。
敗戦を境に、マスコミも手のひらを返したように軍国主義を批判した。
自分たちが戦争を煽った事に関する反省をちゃんとしたのだろうか。

結局日本人は、連合軍に裁いてもらって、自分たちで第二次大戦を総括していないのだと思う。
そのまま戦後70年を今年迎える。
靖国の問題も、解決しないままだ。

アメリカに与えてもらった民主主義だから、なかなか根付かない。
自分たちに勝ち取ったという経験がない。
そんな歴史があるんだろう。

もうすぐ大正生まれの人たちも、鬼籍に入る。

ぼくら昭和生まれが生きている間に、何とかできればいいのだが…。

| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |