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2015.01.17 Saturday
友達のリセット
幼なじみという言葉があるが、本当に幼稚園時代からの友達というのはどれくらいいるんだろうか。
自分の経験からいうと、1人しかいない。 小学校の友達は、その1人を除くと、1人だけ年賀状を出している。 中学校の友達は、今はいない。 高校の友達は、数人。 大学の友達は、毎年年末に会う2人、時々電話がかかってくる1人。 大学のクラブは数枚年賀状を出しているが、ここ数年会ってない。 やっぱり、就職してからの同期、先輩、後輩の中から、これは友人と決めた人が数人。これは濃い。ただし、向こうがどう思っているかはわからないが…。 近所の関係で、また数人。 思ったより友達は少ない。 属している組織が変わると、リセットされてしまう。 そういうもんだと思う。 いつまでも古い友達を引っ張ってはいかれない。 そんな風にして、人は一人になって、オトナになっていく。 最近の若い人を見ていると、ラインやらフェイスブックやらを使いこなしていて、素晴らしいと思う反面、逆にそれらに使われている人もいるのではないかと思う。 ああいうSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)を使っていると、友達のリセットが難しいのではないか。 要は、古い友だちを捨てられない。 それはいいことなんだろうか。 絆とか、仲間とかを大事にする風潮だ。 友達、というものに至上の価値があるという価値観。 大学に入って5月に面談をやるときも、最初に聞くのは「友達はできた?」だ。 友達ができないと、学校に来なくなったりする。 ボッチという言葉は嫌な言葉になる。 ひとりぼっちのボッチだ。 ボッチ飯というのは、一緒に食べる仲間がいなくて、一人で食堂などで食べているということ。 ボッチ飯がイヤだから、トイレで食べる学生もいると聞く。 それほど友達が大事なんだろうか。 ぼくらの世代にはボッチ飯という言葉もなかったし、食堂で一人で食べることに抵抗はなかった。 一人で何かをするということに慣れるのが、大学時代と言ってもいいかもしれない。 もちろん、友達は大事だったが、四六時中一緒にいたいとは思わなかったし、そういうものだという共通認識があった。 小学校、中学校、高校、大学、勤め先と所属する組織が変わるごとに人は成長していき、友達も変わっていく。 それが発達というものだ。 気の合う友達はずっといてもいい。 しかし、自ずと新しい仲間の中で友達は淘汰される。 それが自然な姿だと思う。 もしも、SNSがそのジャマをしていると思うなら、やめたほうがいい。 そうでないと、オトナになれなくなる。 |
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