考えたこと2

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Copy that
「了解」という字幕が出るとき、Copy that.と言っている。

イメージとしては、「復唱する」という感じだと思う。
言ったことをコピーするのだから、日本語では「了解」という意味になるのだろう。

よく勘違いするのだが、だからと言って、英語ネイティブの人たちがCopy thatと「了解」をイコールだと思っているわけではない。
あくまでも、copy thatはcopy thatだ。
他の言語に訳す義理はない。

当たり前だが、「了解」という言葉は彼らの語彙にはない。
了には、過去完了の意味がある。
つまり、解ってしまった、という意味だ。
それが転じて(というより、そのままだが)、了解という意味になる。

言葉というものは面白い。
持っている意味で、世界を切り取ることができる。
そういうふうに切り取った総和が、その言語を話している人の世界になっている。

だから、英語を話す人と、日本語を話す人では厳密にいうと、世界が違う。
前に書いたが、秋の虫の音色は日本語では細かく分かれているが、英語ではみんな一緒だ。
思いつかないが、逆もあるだろう。

難しくいうと、日本人の世界観は独特のもので、それは日本語によって規定されている。
これは、どうしようもない。
日本に生まれて日本で育っているからだ。

言語の制約は思ったより強い。
同じ世界でも、言葉が違えば切り取り方が違う。

全く同じ現象を見ていても、意味の世界は違っている。

通常はそんなことは問題にならない。
だからこそ、同時通訳というような商売が存在する。

しかし、実際には微妙に違っているのだろう。

そういうことを意識した上で、Copy thatは「了解」という意味だと覚えておかないといけない。

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