考えたこと2

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空気を読む
KYという言葉が「空気を読め」という言葉の頭文字だ、ということを聞いて7,8年ほど経つか…。

それ以降も、若者の間で「空気を読む」ということは大変重要な特性になりつつあると思う。

今日、若い人たちが「どんな人と一緒に働きたいか」、ということを話し合っていて、この「空気を読む」ということが重視されていることを再認識した。
たくさんの若者が、一緒に働く人には「空気を読んで」ほしいと思っている。

この言葉が出てきたのは、2000年代の初頭。
インターネットの掲示板で使われていた言葉が、口語でも使われるようになったらしい。
どうも、「空気を読め」という意味は「その場の雰囲気をわきまえて(理解して)行動せよ」というような事になるのだろう。

なぜそれほど「空気を読む」ということが大事になったのか。

ぼくらの若い頃は全く言われていなかった。
だからといって、「空気を読めない」人がいなかったわけではない。
たしかに、いた。
自分も含めて思い当たることはある。
でも、それはそんなに悪いことではなかったと思う。
空気を読めなくても当たり前の「場」もあるからだ。

初対面の人がたくさんいる「場」など、空気が読めるわけがない。
そういう時、「空気」はみんなで作るものだ。
それが当たり前だろう。

当時は「場」は2種類あった。
みんなで作っていく「場」と、仲の良い友達だけで共有された「場」だ。
それが、今はどんな「場」も仲の良い友達だけで共有された「場」だけになったかのように見える。
だから、「空気を読む」ということの価値が上がったのだろう。
価値が上がったから、逆に「空気が読めない」とそれが致命的になる。
今や「空気を読む」というのは、若者にとっては必須の能力になっている。

空気を読むことの価値が上がった、ということは、結局仲間内だけの世界で生きる若者が増えたということだろう。
だから、仲間はずれになると恐い。
これがイジメになる。

全く関係ないように見えるが、これは日本の「笑い」に関係している。
「場」の共有が必須である笑い、これを「楽屋落ち」という。
「オレたちひょうきん族」以降、バラエティが全盛期を迎えているが、この笑いはほとんど「楽屋落ち」である。
全くその番組を見たことがなく、タレントを知らない人が見た今のバラエティ番組は、きっと気持ちが悪いだろう。
なにが面白いか、全くわからないと思う。

要は知っている人、知っている番組、知っているシチュエーションだから、ややこしいことはすっ飛ばして笑えるのだ。
これが「楽屋落ち」の特徴だ。
簡単で、爆発的に面白い。
中毒的な笑いになる。

落研でいえば、クラブの部室の笑いと、実際に落語を演じた時の笑いの差だろう。
部室の笑いは「楽屋落ち」になる。

どちらが先かは分からない。
日本中に楽屋落ちの笑いが蔓延したのが先か、それとも「場」が一つになったのが先か…。

でも、それが遠因となってイジメが生まれたのだと思う。

お笑いの罪は深い…。



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