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2013.01.11 Friday
空気を読む
KYという言葉が「空気を読め」という言葉の頭文字だ、ということを聞いて7,8年ほど経つか…。
それ以降も、若者の間で「空気を読む」ということは大変重要な特性になりつつあると思う。 今日、若い人たちが「どんな人と一緒に働きたいか」、ということを話し合っていて、この「空気を読む」ということが重視されていることを再認識した。 たくさんの若者が、一緒に働く人には「空気を読んで」ほしいと思っている。 この言葉が出てきたのは、2000年代の初頭。 インターネットの掲示板で使われていた言葉が、口語でも使われるようになったらしい。 どうも、「空気を読め」という意味は「その場の雰囲気をわきまえて(理解して)行動せよ」というような事になるのだろう。 なぜそれほど「空気を読む」ということが大事になったのか。 ぼくらの若い頃は全く言われていなかった。 だからといって、「空気を読めない」人がいなかったわけではない。 たしかに、いた。 自分も含めて思い当たることはある。 でも、それはそんなに悪いことではなかったと思う。 空気を読めなくても当たり前の「場」もあるからだ。 初対面の人がたくさんいる「場」など、空気が読めるわけがない。 そういう時、「空気」はみんなで作るものだ。 それが当たり前だろう。 当時は「場」は2種類あった。 みんなで作っていく「場」と、仲の良い友達だけで共有された「場」だ。 それが、今はどんな「場」も仲の良い友達だけで共有された「場」だけになったかのように見える。 だから、「空気を読む」ということの価値が上がったのだろう。 価値が上がったから、逆に「空気が読めない」とそれが致命的になる。 今や「空気を読む」というのは、若者にとっては必須の能力になっている。 空気を読むことの価値が上がった、ということは、結局仲間内だけの世界で生きる若者が増えたということだろう。 だから、仲間はずれになると恐い。 これがイジメになる。 全く関係ないように見えるが、これは日本の「笑い」に関係している。 「場」の共有が必須である笑い、これを「楽屋落ち」という。 「オレたちひょうきん族」以降、バラエティが全盛期を迎えているが、この笑いはほとんど「楽屋落ち」である。 全くその番組を見たことがなく、タレントを知らない人が見た今のバラエティ番組は、きっと気持ちが悪いだろう。 なにが面白いか、全くわからないと思う。 要は知っている人、知っている番組、知っているシチュエーションだから、ややこしいことはすっ飛ばして笑えるのだ。 これが「楽屋落ち」の特徴だ。 簡単で、爆発的に面白い。 中毒的な笑いになる。 落研でいえば、クラブの部室の笑いと、実際に落語を演じた時の笑いの差だろう。 部室の笑いは「楽屋落ち」になる。 どちらが先かは分からない。 日本中に楽屋落ちの笑いが蔓延したのが先か、それとも「場」が一つになったのが先か…。 でも、それが遠因となってイジメが生まれたのだと思う。 お笑いの罪は深い…。 |
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