考えたこと2

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同級生
日曜日に大学の学科同窓会があって、ぼくは第九の練習日で行かなかったのだが、個別の誘いがあって昨日は飲みに行った。

O君とU君。
O君は親切なやつだった。
試験の日に下宿に起こしに来てくれたりした。
鉄鋼関係の会社に入り、プロセス制御の仕事をして、会社に泊まり込んだことも多かったという。
数年前に前立腺がんになって、勤めをやめて手術して1年半ほどは家でゆっくりしたとのこと。

それでも、何かしようということで、今はシルバー人材センター経由で学校の用務の仕事を月に10日くらいしている。
いいことだと思う。
会社でそこそこの地位までいくと、プライドが邪魔してシルバー人材センターなどに登録するのは嫌だという人が多いが、彼は違った。

U君は高校も一緒だった。
高校3年のとき、二人で鉛筆を転がして、受ける学科を決めた。
電気関係の会社に入ったが、半年で辞めて公務員を受け、奈良県庁の水道局で定年まで勤めた。
水道というとライフライン。重要な仕事だ。
一時は片道2時間かけて車で通ったらしい。

ライフラインだけに止めることができず、だから何かあったときには夜でも呼び出され、現地に向かうことも多かったという。
県庁だから、市や町から依頼が来たら対応しないといけない。
そういう力関係もややこしいらしい。

二人とも、学部を卒業して大学院に行った。
だから、学校のことはぼくよりもよく覚えている。
面白いのはみんなの記憶が微妙に違っていることだ。
共通の記憶というより、一人ずつ話をしていて「ああ、そんなこともあったかも」と思うことが多い。
みんなの記憶の中身は違っているが、間違いなく四十数年前に一緒にいた。

憎めないエゴイストでも書いたが、40年以上たっても、あの共有した時間は忘れない。
思えば、社会人として勤めていたときも多くのことがあったが、やっぱり学生時代の思い出は違う。

別れ際に「また」と言って握手をした。
O君は関東に住んでいて、こちらに帰る気はないようだ。
でも、実家に帰ったときに、会おうと話した。

この年になって、また旧交を温める機会が増える。
人生のおまけの時間に入ってきたと思う。

おまけをできるだけ楽しもう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |

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