考えたこと2

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LGBT
心理学者の岸田秀は、人間は本能が壊れているという。
元はフロイトの考えらしい。
そして本能の代わりとして、文明を作ったということだ。
ぼくはこの見方に賛成なのだが、昨今のLGBTの騒ぎを見ていてその思いを強くした。

LGBTの問題は、身体的な性と精神的な性が異なるということで、おそらく本能のままに生きている動物にはそんなものはない。

ごくごく少数の割合で、人間に身体と精神の不一致が起こり、それが問題になるというのは何となくわかる。
おそらく昔からそういう人は存在したのだろう。
でも、それは自分の中で解決してきたのだと思う。

アメリカの人種差別はよくない、という運動はその通りだが、差別が良くないということで性差別から派生してLGBTの問題がクローズアップされた。
真似好きの日本人で、既存の体制を崩したいという活動家がそれに飛びついたのだと思う。
とにかく、差別は良くないという絶対的なテーゼをふりかざす。

性的嗜好は個人の自由の範囲で追求されたらいいと思うが、一方でそれを嫌悪する人たちもいて、それが差別になるという理屈。
特に問題になるのがLGBTのうちのTだろう。

日本はもともとそういう人たちに対して寛容だったと思う。
歌舞伎の世界では男性が女性の役をするし、宝塚歌劇では女性が男性の役をしている。
それをなんの違和感もなく許容してきたのは、その現れだと思う。
ジャニー喜多川でさえ、外国から指摘されるまで問題にしなかったのだ。

でも、今はそれらの活動家は本人が自認する性にこだわり、それを社会が認めるべきだという。

ぼくは小学校の道徳の授業で、道路の立ち退きの話を取り上げて、公共の利益のためには個人の利益は制限されるべきだということを習った。
大筋ではそれは正しいと今も思っている。

だから、活動家の人たちが、自分たちの性自認にしたがって行動することを認めろというのは、社会的な不利益がない限りは正しいと思う。

でも、自分の性自認に基づいてトイレを使わせろというのは全く違う問題だ。
そんなことを認めたら、大混乱になる。

そういうことを真面目に議論するのもバカバカしいことだと思っている。

公共の場では、身体的な2種類の性だけで区別すべきだと思う。

でもそれは大きな声では言えない。




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