考えたこと2

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死生観
以前、インフォームド・コンセントのことについて書いた。
生死を扱う医師が持っている死生観がわからない。
持っていても、それを表明しない。

死生観というものは、当然個人個人で違うものだが、スウェーデンのように80歳を超えたら延命治療はしない、ということが国民のコンセンサスになっているところもある。

今の風潮は、命は何が何でも助けるもの、ということだと思う。
命は地球より重い、とかいう言葉もある。
何より命は大事だ、というものだ。

コロナで経済が停滞し、不景気になったら人が死ぬからというと、それは何とかなるけど、コロナはなんともならないから、自粛を続ける方がいいという人もいる。
ヨーロッパもアメリカも、それに気づいて早めに解除をしているが、日本はどう考えても基準を下回っているのに自粛継続したりする。
今回のコロナ不況は人災だと思うが、仕事が減り、収入がなくなり、首をくくる人も出てくるだろう。
言い方は悪いが、そんなにコロナから命を守ることが大事なんだろうか。

哲学者の池田晶子は「単に長生きすることはいいことではない、善く生きることに意味があるのだ」と言った。
チューブにつながれて、食事もできない状態は虐待だという意見もある。

ある医師は、死んだら年金が入らないから、なんとしても生かしてくれと家族から言われると断れない、という。
もちろん、本人は意識はなかったり、植物人間状態だったりする。
こういうことを放置していいのだろうか。

今回のコロナでも、人工呼吸器につないだところで、3日とか1週間とかの延命になるような高齢者も多いと聞く。
まだ平均寿命に30年もある人が、高齢者の3日の延命のために人工呼吸器を使えずに、死んでもいいのだろうか。
残念ながら、そういうことを議論する雰囲気もない。

こないだ同調圧力でも書いたが、日本のマスコミは生死に関して何かを決めるのを嫌がる。
テレビは高齢者しか見ていないからだろうか。

もう日本に健全なジャーナリズムというものがなくなった、と友人が言っていたが、そのとおりだと思う。

もっと国民が賢くならないといけないと思うが、教育は軽視されている。
未だに学校は従来通り開けない。
10代以下、10代の感染率や症状を考えたら、なんの問題もないはず。
こういうことだけ、ヨーロッパに見習わない。
何度も書くが、もっと死者も多い国でも学校はやっているのだ。

ただ生きるためではなく、善く生きるために必要なのが、学ぶことだと思う。
本当に何とかならないのか。


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