考えたこと2

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気が短い人が増える
今日病院に行って待っていたら、2人ほどお年寄り(自分もあと1年で60歳になるが)が受付で文句を言っていた。

ぼくが子供の頃、お年寄りは60歳以上くらいで、その人たちは本当にお年寄りだったと思う。
データーから見ても、昭和40年の平均寿命が67歳だから、まあ60歳位なら年寄りの仲間入りだ。
ちなみに、現在は80歳を超えているから、あれから13歳以上平均寿命が伸びたということになる。
年寄りの比率も低かったから、どちらかというとつつましやかに生きていたように思う。
世間も年寄りに優しかったかもしれない。
だから、外に出て文句を言う年寄りなど、見たことがなかった。

しかし、時代は変わった。
少子高齢化で、今や4人に一人が65歳以上。
今日病院で見たおじさんは、どう見ても70歳は超えていると思う。
どちらも、いったいいつになったら順番が来るのか、という文句だった。
だいぶ長いこと待たされているのかと思ったら、「もう30分も待っている」とのこと。
まあ、30分なら普通という感じだ。
それでも、おじさんは文句を言いたかったのだろう。

ネットで調べると、年寄りの暴力は10年前の50倍に増えたということらしい。
これらの老人を新老人と呼んでいるサイトがあった。
その解説によると、「欧米人に比べて、日本人の80%は情緒安定物質であるセロトニンが少ない。さらに40代以降、ギャバという鎮静物質が減ってきて情緒が安定化できなくなる。そこへ定年退職です。社名も肩書もなくなり、心のよりどころを失う人がいます。不安がたまっているところでプライドを傷つけるような扱いをされると、発作的にキレてしまうのです」ということらしい。

今日のケースはプライドを傷つけるというよりは、普通に扱っただけだが、それが気に障ったということだ。
受付の人の対応が悪ければ、キレていただろう。

この調子でいくと、どんどん住みにくい世の中になっていく。
新老人の人数が増えていくからだ。
2040年には36%になる予定。
病院や老人ホームで毎日だれかが怒っている。

そうならないためには、死ぬまで働くことくらいしかないだろうなあ。



| | 考えたこと | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
Death Education
死への準備教育、というのがDeath Educationという言葉の日本語訳。
アルフォンス・デーケンという日本にいるドイツ人の哲学者が以前から唱えている。

死への準備教育、というのはすなわち「生きることをどう学ぶか」ということでもあるという。
それはそうだろう。
死の準備とは、どう生を全うするか、ということになるからだ。

通常、死を迎えて、人間は6段階を経ると言われている。
否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容、期待と希望の6段階だ。
この6段階を全て経る人もいれば、途中で止まる人もいると思う。
それを助けて、5から6段階に行けるようにする仕事もある。
何とかセラピストというものだ。

幸運にもぼくはまだそういう事態には陥っていないが、もう十年以上前に亡くなったぼくの友だちがガン告知を受けた時に聞いた話を思い出す。
今は亡き彼に聞いた話だが、ちょっと胃の調子が悪いから精密検査に行ったら、何度か病院に通って胃の検査をやって、結果が出て医者のところに行った時、「あなたの胃ガンは、たちの悪いタイプで手の施しようがないから、これ以上何も出来ない。余命は3ヶ月程度」と言われたとのこと。
告知した医師は、その当時そういうふうに話すように教えられていたのか、それともそんな医師だったのか、それはわからない。
とりつく島がないような言い方だったらしい。

スキルス性の胃ガンだった。
結局、漢方などの治療を続けて、その半年後くらいに彼は亡くなった。
その医者の言ったことは概ね正しかったのだろう。

彼が亡くなった頃から比べると、だいぶ世の中は変わり、Death Educationも一般的になった。
サイコオンコロジーとか、死生学とかいろんな名前をつけて、多くの分野でやっている。

でも、日本では肝心の宗教の分野で、それが活発に行われているとは言い難い。
仏教は日本に多くの信者がいることになっているし、葬式といえば坊さんを呼ぶが、それでも日本人が仏教に基づいて死を考えているとは言えないだろう。
坊さんが来るのは、死んだ後だ。

アルフォンス・デーケンはキリスト教系の大学の名誉教授。
仏教系を名乗った大学は日本に20校くらいあるが、死について系統だった教育を唱えている人はいるんだろうか。

日本人は無宗教だとかいうけれど、人間はそんなに強くない。
死が近づいたら、何かに頼りたくなるはず。
そこに宗教が必要になる。
今の日本人がただただ生かされているような状態でも、生きることを選んでいるのは、宗教の不在が原因の一つだと思う。

欧米では、自分で食べることが生の証だという。
だから、自力で食べられなくなったらもう生きることはできない、というコンセンサスがある。
そのせいで平均寿命が短い。

そこには明確に生と死の線引きがある。
それは宗教が関係していると思う。
日本人は宗教を失って、死に向き合うのを避けてきたのではないか。

高齢化の時代を迎えて、今こそ宗教が復権しないといけないぞ。


| | 考えたこと | 12:26 | comments(0) | trackbacks(0) |