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2016.05.23 Monday
人間を休憩したい
こないだジムに行ったら、ずっと来ているおっちゃんがロッカーで隣の人と話していた。
聞いていると「何で腹減るんやろか」ということに始まり、「ちょっと人間を休憩したいわ」という話で終わった。 もう70近いとは思うが、ぼくなどよりよほど健康的に見える。 ウェイトトレーニングもこなし、ウォーキングをして、時々スタジオにも行っているような人だ。 そこそこ健康だから、腹が減るんだろう。 ぼくはなかなか腹が減らなくて困っている。 運動不足なんだろう。 腹が減る、ということはいいことだと思うのだが、減る人にとっては鬱陶しいことなのかもしれない。 ご飯もおいしいだろうし、第一健康的だと思うのが…。 しかし、「ちょっと人間を休憩したいわ」という一言は重い。 元気で仕事をしたいというのが本音だろう。 その人は、年齢的には仕事を定年になり、もう何年かたった、という感じ。 たしかに平日の午前中のジムはそういう人であふれている。 中には身体のどこかを悪くした、というような人もいるが、大半は元気な人だ。 こないだも書いたが、そういう人たちにもっと働く場を与えないと、GDP600兆という目標など達成できるわけがない。 たぶん、おっちゃんたちも働けるものなら働きたいと思っているはずだ。 人生がいつの間にか80年ちょっとになった。 ぼくらが20代の頃は65年ちょっとだったのに、15年も伸びた。 それによって、年金をもらう人が増え、少子化と相まって払う人が減った。 医療も進み、平均寿命を上げるのに貢献したが、医療費は上がった。 これで収支が合うはずがない。 おっちゃんたちはそれを肌で感じているんだろう。 「人間を休憩したい」というのは、その表れでもあると思う。 曽野綾子が「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」と発言してネットで炎上したが、その気持ちは年金や医療費の収支を考えれば理解できる。 そのおっちゃんも薄々理解しているに違いない。 だからこそ、「人間を休憩したい」と話していたんだろう。 一億層活躍というのなら、高齢者も活躍しないといけない。 そうしないと政府債務はどうにもならなくなるぞ。 |
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