考えたこと2

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理科離れ
ネットで「理科離れ」を調べていたら、こんな記事が2009年に出ていた。

「子どもの“理科離れ”を克服すべく、今年度から前倒しでスタートした理科の新学習指導要領。授業時間を大幅に増やし、実験も積極的に取り入れられた。しかし今、教師自身の“理科離れ”が深刻で学習内容の強化に対応できるかという不安の声が上がっている。去年実施された調査によれば、小学校教師で勤続10年以下の若手の8割が「観察・実験についての知識・技能が低い」と回答。「塩酸が怖い」「子供に質問されるとオドオドしてしまう」など基本的な知識さえ乏しい実態が明らかになった。その背景には、若手教師が子ども時代に受けた「ゆとり教育」で科学に対する興味を失ってしまったことや、理科を学ばなくても教師になれる仕組みがある。どうすれば教師の“理科離れ”を防げるのか、ヒントを探る。」

ぼくは、子どもの理科離れは、教師の理科離れが原因だと思っている。
そして、その原因は今の教員養成課程にある。
この4年前の記事に書かれているように、教師自身が理科についてわかっていないのだ。
どうして、理科についてわかっていないまま先生になれるのだろうか。
「基本的な知識さえ乏しい」先生がなぜ量産されているのだろうか。

この記事では「若手教師が子ども時代に受けた「ゆとり教育」で科学に対する興味を失ってしまったこと」と書かれているが、何でもかんでも「ゆとり」のせいにするのはオカシイと思う。
「ゆとり」だから、なぜ科学に興味を持たない教員が生まれるのか。

こういう教師が量産されているのが問題だと思うなら、量産されないようにするにはどうしたらいいかということをちゃんと考えないといけない。
今の小学校の教師になるための課程を見直すことだ。

Wikipediaの「理科教育」の項を見ると、

「小学校教員免許を取得する場合は、教育職員免許法施行規則第六条第四欄「各教科の指導法」で「理科」の指導法を履修する必要がある。
また、第三条の「教科に関する科目」に「理科」の単位がふくまれている。この科目は1993年の時点には一種免許状以上で必修であったが、2010年2月現在「一以上の科目について修得」すればよいと規定されている。そのため、2010年現在では、「理科」の科目を履修しないで小学校教員免許を取得する場合もありうる。もし受講している場合も、授業時間や担当教員の専門などの理由から、必ずしも理科に関するすべての分野が取り扱われるわけではない。
小学校教員志望者には理科への苦手意識が強い人・文系出身者が多く、理科の基礎教養が身についていない者もいる。また、現職の小学校教員にも「理科(特に物理・地学)の指導について苦手意識が強い」人が多く、「理科の指導法についての知識・技能を大学時代にもっと学んでおいた方がよかったと思っている」という統計もある。このことなどは、初等教育段階での理科教育において大きな課題を抱えているといえる。」

と書かれている。

もう問題はハッキリしているのだ。
それに対する文科省の改善策としては、小学校高学年での理科専門教員の配置や、理科の観察・実験に使用する設備の準備・調整を行う助手を配置するというもの。

これはこれでやったらいいと思うが、本丸の改革をしないといけないと思う。
モグラたたきではこの問題は解決しない。

そのためには小学校教員の養成課程の改革が必要だと思う。
いろんな利権が絡んでいるのはわかるが、小学校の教師はとても大事な仕事だと思う。
国の将来を決める仕事だといっても、過言ではない。
理科離れだけではなく、イジメなどの社会問題もあり、問題は山積している。
だから、優秀な人を教員にしないといけない。
なぜ養成課程の改革をしようとしないのだろうか。

親の問題も大きいが、その親は教育できない。

だから、小学校が大事なのだ。


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