考えたこと2

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名古屋駅
会社にいた頃は、多いときは週に3回以上名古屋駅で新幹線を降りて、名鉄に乗り換えていた。

移動時間は、大体は寝ていたが、唯一目が覚めるのが名古屋駅。
乗り換えだから当たり前だ。
往きは急いで乗り換えるので、回りなど見ない。

よく覚えているのが、帰りの新幹線を待つ時のホームの上から見る景色。
ながらく会社ではエコノミーチケットで自由席だったから、前の方だった。
のぞみができた頃から緩和されたが…。

打ち合わせが終わって、夕暮れから夜になる頃の名古屋駅だ。
覚えているのが河合塾。
さすが、名古屋が発祥の地だけあって、大きなビルが建っていた。

あの頃は、物理的に人生で一番忙しかったのではないかと思う。
時期もバブルのピークから、ちょっとあとくらい。
毎日12時を回って帰っていた。
知らぬ間に仕事量か倍近くになって、半分惰性で仕事をこなしていたと思う。
後から振り返ると、日本中が熱にうかれていたと思う。

たくさんの理系出身者が銀行に入った
証券会社の新人の年収がバカみたいに高くなり、上の人たちはシーマやセルシオを買って、ローンを組んで億ションを買っていた。

そんな時代があった。
ぼくの会社はほとんど恩恵を受けなかったが、ただただ忙しかった。
その頃、よく夕方の名古屋駅のホームで赤く染まったビルを見ていたのだ。

ほどなくして、山一証券が潰れ、バブルがはじけた。
はじけてみると、無茶をしていたことがよくわかる。

申し訳程度に銀行も潰れたり、合併したが、ほとんどは税金で助けられた。
大蔵省が財務省になったりもしたが、誰も責任を取らなかった。

あのやり方が悪かったのではないか。

今の日本のモラルの無さは、バブル崩壊から続いているような気がする。

アベノミクスでこのまま財政破綻しても、おなじように誰も責任を取らないだろう。
いったいいつからこんな無責任な国になってしまったのだろう。


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