考えたこと2

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ライフプラン
ぼちぼちライフプランを考える時期になってきた。

あと3年ちょっとで60歳。
プランを立てないといけない。
しかし、年をとってくると、今さら今までと違う生活に入ることが難しくなる。
だからこそ、早めに考えておく必要がある。

わかっちゃいるけど、というところだ。
まだまだ動けるし、毎日の生活は続いていく。

しかし、人の値打ちは引き際で決まる、という言葉もある。
何事も終わりが大事だ。
でも、世の中を見ていると、どうも引き際がきれいな人は珍しい。
年齢が上になるほど、役職が高いほど引き際が難しい傾向がある。

俗な言い方だが、エラくなるとその職を辞めたくなくなるのだろう。
どうしてもその職にしがみついて、とどまろうとする。
でも、本当にエラい人は、自分の引き際を考え、後継者を用意しておくものだ。

話がそれた。
ライフプランのことだ。
これが難しいのはいつ死ぬかがわかっていないこと。
それがわかっていれば、立てるのは簡単だ。
死ぬ年から逆算して、今を考えればいい。
例えば、75歳で死ぬと分かっていれば、74歳で何をしておかないといけない、ということがわかる。
そうすると、そのためには73歳ですることもわかる。
そうすると…。

しかし、よく考えると、かえって難しくなるかもしれない。

いつ死ぬかということがわかってしまうと、どうせ死ぬのだから、という気になるのではないか。
75歳で死ぬのだから、74歳にはこれをまとめて、あれを処分しよう…などと考えるだろうか。
あといくらお金が必要だから、いつまで働いて…、などと考えるだろうか。

人はみなどうせ死ぬのだが、それがいつかはわからないところが、人生のよくできたところかもしれない。

人がいつ死ぬかわかったら、人生は全く違った風景になるだろうなあ。

だから、遺伝子の研究はほどほどにしておかないといけないと思う。

結論が変になったが…。

| | 考えたこと | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の夏休み
夏休みのことというと、思い出すのが絵日記。
小学校の低学年の頃にやった記憶がある。
あれは大変だった。
絵入りの日記を書くわけだから、1日分書くのにも時間がかかる。
何日分くらい提出しただろうか。
5日分くらいだったか。

小学校当時からぼくは出不精だったので、家族旅行などあまり行きたくなかった。
でも、絵日記があったので、親はどこかへ連れていかないといけないと思ったのだろう。
小学校の時に一度有馬に行ったのは覚えている。
そうそう、会社の保養所が六甲にあって、そこにも行ったなあ。
従兄妹も一緒だった。

親父の会社の保養所は、単なる家で、食べ物は持ち込みだった。
ただで寝床と台所が使えるということだ。
あれでは母や叔母さんは保養できなかっただろうなあ。
昭和40年代の初めはそんな保養所があった。
まだまだ、日本は貧しかったんだと思う。
2泊もしたら帰ったような気がする。
ま、それ以上いたら、大人が疲れたんだろうし、今のようにたくさん休めなかったのだ。

中学に上がると、もう夏は出かけなくなった。
夏は、というより、中学以降、孫ができるまで行っていないと思う。
そんな家だったが、ぼくは何とも思わなかった。
どこかに行きたいとも思わなかったし、ましてや家族でどこかに行くなどということは考えもしなかった。
昭和のサラリーマンの家族というのは、そんなものだったと思うのだが…。
ウチの家が変わっていたのかもしれない。

高校に入ってからは、夏は高校野球を見ていた。
今ほど暑くなかったなあ。
毎年甲子園の外野席に行った。
外野席はタダだった。

ケータイやテレビゲームもなく、ネットもなく、ツイッターやフェイスブックもない夏休みだった。
でも、それなりに楽しい夏休みだった。


| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |