考えたこと2

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体罰問題
文科省から「体罰根絶に向けた取組の徹底について(通知)」
が出た。
まあ、対策が進むことはいいことなのだろう。

ぼくは体育系のクラブに入っていた経験が3ヶ月(中学1年の4月から6月)しかないので、問題になっている指導については全く知らない。
これはきっと他の体罰と別問題なのだと思う。

しかし、昭和40年代に学生時代を過ごして、一度も先生から何らかの体罰を受けたことがなかったり、そんな状況を見たことがない、という人はどれくらいいるのだろうか。
ぼくは小中高とずっと公立だったが、中学の時は受けたことがあるし、見たこともあった。
その中には、宿題を忘れてきたら出席簿で頭を叩かれるというようなものもあったし、授業中にビンタをくらう、という事もあった。
それでも、親が文句を言ってくるとか、そんなことをした先生が糾弾されるとかいうことはなかった。

もちろん、理不尽に叩かれるということもあった。
それでも、やられた人も含めて、みんな仕方ないと納得していた。

昭和40年代には、学園ドラマで先生が生徒を殴る場面もあったと思う。
だからといって、体罰を認めればいいと言っているのではない。
ただ、そういう場面があり、それなりに必然性を持っていたということだ。
世間にはたしかにそういう感じがあった。

これはよくないことだろう。
でも、昭和40年代のことと、今の体罰とは何となく違うことなのだと思う。
上の文書に書かれている、「児童生徒の心身に深刻な悪影響を与え、力による解決の志向を助長し、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがあり、いかなる場合でも決して許されません。」という言葉に違和感を感じるからだ。

この言葉自身は正しい。
しかし、ここに書かれていない前提条件が昭和40年代とは違う。
教師と生徒や親の関係性だ。
昭和40年代には、教師という職業に対する尊敬や教師の自分自身に対する誇りみたいなものがあったと思う。
当時もデモシカ教師という言葉があり、そういう教師もいたと思う。
しかし、そうでない教師も多かったのだろう。
何となく世間に「先生はえらい」という雰囲気があった。
そして、先生も自分の職業に自信を持っていた。
今はその両方がなくなった。
世間が先生をエライと思っていないし、先生も自分に自信がない。

そんな関係がなくなったのが、この体罰問題の一番根が深いところだと思う。
そこにメスを入れないで、この問題を論じてはいけない。

そういう事は文部科学省はわかっているのか。
わかってはいるが、言ってはいけない事なのか。

誰か、それを言ってほしい。

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