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2013.08.18 Sunday
昭和の夏休み
夏休みのことというと、思い出すのが絵日記。
小学校の低学年の頃にやった記憶がある。 あれは大変だった。 絵入りの日記を書くわけだから、1日分書くのにも時間がかかる。 何日分くらい提出しただろうか。 5日分くらいだったか。 小学校当時からぼくは出不精だったので、家族旅行などあまり行きたくなかった。 でも、絵日記があったので、親はどこかへ連れていかないといけないと思ったのだろう。 小学校の時に一度有馬に行ったのは覚えている。 そうそう、会社の保養所が六甲にあって、そこにも行ったなあ。 従兄妹も一緒だった。 親父の会社の保養所は、単なる家で、食べ物は持ち込みだった。 ただで寝床と台所が使えるということだ。 あれでは母や叔母さんは保養できなかっただろうなあ。 昭和40年代の初めはそんな保養所があった。 まだまだ、日本は貧しかったんだと思う。 2泊もしたら帰ったような気がする。 ま、それ以上いたら、大人が疲れたんだろうし、今のようにたくさん休めなかったのだ。 中学に上がると、もう夏は出かけなくなった。 夏は、というより、中学以降、孫ができるまで行っていないと思う。 そんな家だったが、ぼくは何とも思わなかった。 どこかに行きたいとも思わなかったし、ましてや家族でどこかに行くなどということは考えもしなかった。 昭和のサラリーマンの家族というのは、そんなものだったと思うのだが…。 ウチの家が変わっていたのかもしれない。 高校に入ってからは、夏は高校野球を見ていた。 今ほど暑くなかったなあ。 毎年甲子園の外野席に行った。 外野席はタダだった。 ケータイやテレビゲームもなく、ネットもなく、ツイッターやフェイスブックもない夏休みだった。 でも、それなりに楽しい夏休みだった。 |
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