考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
一部上場
昨日の話の続き。

「一部上場」という言葉を知っているか、知らないかという問題はたしかにある。
だが、知らなければ、覚えたらいいだけだ。
そんなに大したことではない。

そういえば、自分を振り返っても、「一部上場」という言葉の意味について、正しい理解をいつしたか、ということになると甚だ心もとない。
今の大学生を笑っていられないような気がする。

しかし、これはそういうことを物語っているのではないと思う。
今の学生の常識が、社会の常識と大きくずれている、ということの例だろう。

ぼくらの時代は、まだ東西冷戦の時代で、世の中の理解が楽だった。
資本主義、社会主義という分け方があった。
それと同時に、保守、革新という分け方もあった。
また、先進国と発展途上国という分け方もあった。
世の中を大きく二つに分ける「分け方」があった時代だ。
だから、1970年代〜80年代はまだ「学生の常識」と「社会人の常識」はそんなに大きく違わなかった。
共通言語があったのだ。

しかし、ベルリンの壁が崩壊して以来、「東西」という分け方ができなくなった。
世の中から社会主義がなくなってしまった(厳密にはまだ残っているが)。
だから、みんな一色になって、どう理解していいのかわからなくなった。
社会学では、世の中はどんどん個人化していっているらしい。
それを「ポストモダン(近代の次)」という。

そうこうする間に、パーソナルコンピューターが出てきて、インターネットができ、ネットワーク・通信が発達した。
これは人類が経験したことがないほどの、地殻変動と言っていいと思う。

この技術の発達のおかげで、世の中の中間的な仕事がなくなった。
まじめにコツコツ、という仕事がなくなったのだ。

給与計算、旅費伝票や残業の計算はコンピューターがやるのは当然。
レジ打ちは学生アルバイトでもできるようになった。
コンビニにいつ、どんな商品を置くかは、過去のデーターでわかるようになり、本部で考えることができる。
今やカードで買えば、誰が買ったかまでわかる。
TSUTAYAはブロードバンドの発達で、レンタル事業はあまり調子がよくないが、Tカード事業は好調だ。
あらゆる所でTカードを出してポイントを貯めることができる。
その代わり、Tカードで得られた購買データーを売っている。

生活も大きく変わった。
電話をかける、という行為も昔のように、友達の家に電話して、家の人が出たら「○○さんのお宅でしょうか。同級生の○○ですが、××君いますか?」というような敬語を練習する場ではなくなった。
携帯にかければ、いきなり本人が出るからだ。
だから、敬語を使えない若者が増えた。

携帯メールが発達し、誰が誰に出したかはわかるので、いきなり用件から書く。
電話でも、いきなり用件を言う。
今や封筒の宛名書きなど、レトロな仕事になった。
若い人でまともに書ける人は少ない。
しかし、社会人の常識として、大人は「封筒の宛名書き」はできて当たり前だと思っている。

今の若い人は気の毒だと思う。
世の中の進歩(といっていいかどうかわからないが)が早すぎる。
ジェネレーション・ギャップというのは、10年だったが、今や大学4年が1年を見てジェネレーション・ギャップを感じるという。
そんな時代に、年齢が20も離れた大人の常識に合わせないといけない。
もう共通言語がないのだろう。

そのギャップを埋めていくのが、就活というヤツだ。
これは、一筋縄ではいかない。


| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/235070
トラックバック