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2012.11.05 Monday
一部上場
昨日の話の続き。
「一部上場」という言葉を知っているか、知らないかという問題はたしかにある。 だが、知らなければ、覚えたらいいだけだ。 そんなに大したことではない。 そういえば、自分を振り返っても、「一部上場」という言葉の意味について、正しい理解をいつしたか、ということになると甚だ心もとない。 今の大学生を笑っていられないような気がする。 しかし、これはそういうことを物語っているのではないと思う。 今の学生の常識が、社会の常識と大きくずれている、ということの例だろう。 ぼくらの時代は、まだ東西冷戦の時代で、世の中の理解が楽だった。 資本主義、社会主義という分け方があった。 それと同時に、保守、革新という分け方もあった。 また、先進国と発展途上国という分け方もあった。 世の中を大きく二つに分ける「分け方」があった時代だ。 だから、1970年代〜80年代はまだ「学生の常識」と「社会人の常識」はそんなに大きく違わなかった。 共通言語があったのだ。 しかし、ベルリンの壁が崩壊して以来、「東西」という分け方ができなくなった。 世の中から社会主義がなくなってしまった(厳密にはまだ残っているが)。 だから、みんな一色になって、どう理解していいのかわからなくなった。 社会学では、世の中はどんどん個人化していっているらしい。 それを「ポストモダン(近代の次)」という。 そうこうする間に、パーソナルコンピューターが出てきて、インターネットができ、ネットワーク・通信が発達した。 これは人類が経験したことがないほどの、地殻変動と言っていいと思う。 この技術の発達のおかげで、世の中の中間的な仕事がなくなった。 まじめにコツコツ、という仕事がなくなったのだ。 給与計算、旅費伝票や残業の計算はコンピューターがやるのは当然。 レジ打ちは学生アルバイトでもできるようになった。 コンビニにいつ、どんな商品を置くかは、過去のデーターでわかるようになり、本部で考えることができる。 今やカードで買えば、誰が買ったかまでわかる。 TSUTAYAはブロードバンドの発達で、レンタル事業はあまり調子がよくないが、Tカード事業は好調だ。 あらゆる所でTカードを出してポイントを貯めることができる。 その代わり、Tカードで得られた購買データーを売っている。 生活も大きく変わった。 電話をかける、という行為も昔のように、友達の家に電話して、家の人が出たら「○○さんのお宅でしょうか。同級生の○○ですが、××君いますか?」というような敬語を練習する場ではなくなった。 携帯にかければ、いきなり本人が出るからだ。 だから、敬語を使えない若者が増えた。 携帯メールが発達し、誰が誰に出したかはわかるので、いきなり用件から書く。 電話でも、いきなり用件を言う。 今や封筒の宛名書きなど、レトロな仕事になった。 若い人でまともに書ける人は少ない。 しかし、社会人の常識として、大人は「封筒の宛名書き」はできて当たり前だと思っている。 今の若い人は気の毒だと思う。 世の中の進歩(といっていいかどうかわからないが)が早すぎる。 ジェネレーション・ギャップというのは、10年だったが、今や大学4年が1年を見てジェネレーション・ギャップを感じるという。 そんな時代に、年齢が20も離れた大人の常識に合わせないといけない。 もう共通言語がないのだろう。 そのギャップを埋めていくのが、就活というヤツだ。 これは、一筋縄ではいかない。 |
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