![]() |
2020.08.29 Saturday
吉本新喜劇
吉本新喜劇といえば、ぼくらの年代は小学校の頃から見ていた。
その頃は、平参平がまだ現役。 かすかに、エンタツ・アチャコの記憶はある。 当時は岡八郎、花紀京が出始めだったか…。 土曜日の昼は学校から帰って新喜劇を見るのが楽しみだった。 その後、間寛平、木村進あたりの時代になって、なんば、梅田、京都の花月劇場の3つを毎週やっていた。 それ以外にも、テレビ用としてあっちこっち丁稚とか、駐在さんシリーズ、爆笑寄席なんかもあって、関西ローカルで、週に何本も吉本の番組が見られた。 あの頃から、関西のテレビ局と吉本興業の相互依存が始まっていたのだろう。 朝日、毎日、関西、読売のどのチャンネルでも、吉本の番組があったなあ。 一時新喜劇も低迷して、辻本茂雄あたりが出てきた頃、「やめよっかな」というキャンペーンもやった。 でも、見事復活して、新喜劇はなくならなかった。 あの当時、何度か花月に行ったのを覚えている。 やはり関西の住人としては、新喜劇は文化だったのだと思う。 静岡出身の会社の後輩を連れて行った時に、前の席におばあちゃんと孫らしき小学校低学年の娘が2人で来ており、その後輩が「関西の子供は、小さいときからこんな笑いに接しているのか」としきりに感心していたことを思い出す。 でも、吉本新喜劇は、当時は伝承とか文化とかは全く考えていなかった。 稽古も読み合わせだけで、舞台稽古などやらない。 1週間で1本だから、そんなことやってられない。 新喜劇は残らなくてもいい、という考え方だったと聞く。 演目が変わった初日は、いろいろあったらしい。 テレビ撮りの日までに完成させる、というようなシステム。 きっと吉本にも、テレビ局にも、映像のアーカイブも残っていないのだと思う。 そのせいか、古い新喜劇のビデオ映像をYoutubeに上げている人がいる。 個人のコレクションを共有してくれているのだ。 画像はビデオの3倍速あたりで録っているので、かなり荒いが小さなタブレットやパソコンで見るのには十分。 やはり、桑原和男、池乃めだかあたりのビデオが普及してからのものが多いが、時折岡八郎、花紀京、船場太郎なんかも見られる。 こんな時代が来るとは思わなかった。 吉本新喜劇は最盛期は年に150本以上作っていたはず。 それが40年続いたとすると、6000本になる。 まだまだ始まったところ、という感じ。 それが草の根でできたとしたら、これこそ関西の文化だと思う。 |
![]() |