考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
吉本新喜劇
吉本新喜劇といえば、ぼくらの年代は小学校の頃から見ていた。
その頃は、平参平がまだ現役。
かすかに、エンタツ・アチャコの記憶はある。
当時は岡八郎、花紀京が出始めだったか…。
土曜日の昼は学校から帰って新喜劇を見るのが楽しみだった。

その後、間寛平、木村進あたりの時代になって、なんば、梅田、京都の花月劇場の3つを毎週やっていた。
それ以外にも、テレビ用としてあっちこっち丁稚とか、駐在さんシリーズ、爆笑寄席なんかもあって、関西ローカルで、週に何本も吉本の番組が見られた。
あの頃から、関西のテレビ局と吉本興業の相互依存が始まっていたのだろう。
朝日、毎日、関西、読売のどのチャンネルでも、吉本の番組があったなあ。

一時新喜劇も低迷して、辻本茂雄あたりが出てきた頃、「やめよっかな」というキャンペーンもやった。
でも、見事復活して、新喜劇はなくならなかった。
あの当時、何度か花月に行ったのを覚えている。
やはり関西の住人としては、新喜劇は文化だったのだと思う。

静岡出身の会社の後輩を連れて行った時に、前の席におばあちゃんと孫らしき小学校低学年の娘が2人で来ており、その後輩が「関西の子供は、小さいときからこんな笑いに接しているのか」としきりに感心していたことを思い出す。

でも、吉本新喜劇は、当時は伝承とか文化とかは全く考えていなかった。
稽古も読み合わせだけで、舞台稽古などやらない。
1週間で1本だから、そんなことやってられない。
新喜劇は残らなくてもいい、という考え方だったと聞く。

演目が変わった初日は、いろいろあったらしい。
テレビ撮りの日までに完成させる、というようなシステム。
きっと吉本にも、テレビ局にも、映像のアーカイブも残っていないのだと思う。

そのせいか、古い新喜劇のビデオ映像をYoutubeに上げている人がいる。
個人のコレクションを共有してくれているのだ。
画像はビデオの3倍速あたりで録っているので、かなり荒いが小さなタブレットやパソコンで見るのには十分。
やはり、桑原和男、池乃めだかあたりのビデオが普及してからのものが多いが、時折岡八郎、花紀京、船場太郎なんかも見られる。

こんな時代が来るとは思わなかった。

吉本新喜劇は最盛期は年に150本以上作っていたはず。
それが40年続いたとすると、6000本になる。
まだまだ始まったところ、という感じ。

それが草の根でできたとしたら、これこそ関西の文化だと思う。


| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/238131
トラックバック