考えたこと2

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マスコミの罪
昨今はいろんなメディアができて、若い人たちのテレビ離れが進んでいる。
同じTV放送でも、BSもあるし、ケーブルテレビ、衛星放送もある。
もちろん、今やYoutubeという膨大なコンテンツを持った新しいメディアもある。
SNSも動画に力を入れていて、インスタもフェイスブックも動画どんどんを流している。
今や一番古いメディアになったのが地上波だ。

どんどん競争相手ができてきて、防戦一方の地上波だが、NHKはともかく民放はスポンサーのコマーシャル収入で成り立っていたから、スポンサーが新しいメディアに乗り換えると、必然的に収入が減る。
結局、貧すれば鈍する、というのが今の民放の状況なんだろう。
昔の日本軍みたいなものだ。
過去の成功体験から離れられず、新しい時代にマッチしていない。
残念なことだ。

今やスポンサーは若人向けの広告はネットに移行した。
必然的に、民放の地上波はネットを見ない層を対象にした番組にシフトすることになる。
昔は専業主婦や学校帰りの子供が一定数いて、昼間のテレビを視聴していたと思うが、今はそれも減って本当に年寄りだけになってしまった。

平均寿命が伸びたこともある。
65歳で定年しても、平均寿命でいくと、まだ15年以上は生きなければならない。
仕事をしない年金生活者はどんどん増えているから、その人たちが主な視聴者になる。
特に午前から夕方にかけての時間は、年をとった年金生活者の層だ。
その時間帯で視聴率を取ろうとすると、どういうことになるのだろうか。

その答えが、今のワイドショーのコロナ報道というやつだ。

ネット上にはいろんな情報があり、それを見れば今の状況はどう考えても第二波とは言えない。
そういう意見があっても、テレビでは一切報道しない。
命の危険、という格好のネタがなくなるからだ。

なぜ欧米に比べてアジアが2桁死者数が少ないのかについても、免疫学者等が話していることは一切報道しない。
アジアでの死者数がワースト何番目とかいうくだらない話がでてきたくらいだ。
そんなの欧米に比較したら、五十歩百歩の話だろう。

こないだの高橋教授の自然免疫の話など、どうして報道しないのだろうか。
昨日の日本総研のレポートだって、そういう意見もあるとインタビューしたらいいのだ。

追求好きのワイドショーや週刊誌が、2週間後にはニューヨークみたいになるとか、パリみたいになるとか、挙句の果てには42万人死ぬとか、そういう発言をした人たちに「なぜ間違えたのか?」すら聞かない。
政治家やタレントが間違ったことを言ったら、すぐに食いつくのだが、これはどうなっているのか。
だいたい、死亡者数が2桁違うのだから、アジアと欧米を同じように見ること自体が間違っている。
専門家には、そういう常識はないのだろうか。

感染者のことばかり言って、そのほとんどが無症状や軽症であることをなぜ報道しないのか。
まるで無症状や軽症の人たちが感染を広めているというふうな論調だが、インフルエンザだって無症状(不顕性感染)の人はたくさんいるのだ。
その人たちを気にせず生活してきたのに、どうしてインフルエンザの1/3しか死なないコロナでこんな大騒ぎをするのか。

それによって、経済が崩壊し、働き盛りや若い人たちの働く場所がなくなる。
統計的にはそれによって自殺が増える。
こんな馬鹿なことをやっていていいのだろうか。

実際、3月の超過死亡者数を見ても、コロナ以外の病気で亡くなっている人が多いのだ。
そういう事実も報道されない。
3ヶ月遅れでしか統計が出ない厚労省の体制も悪いのだが…。
おまけに、死後のチェックでコロナウィルスが出てきたら、どんな死因でもコロナで死んだことになるらしい。
そこまでして、コロナの死者を増やしたいのか。

感染が拡大したといっているが、70%の感染者は回復して普通に生活している。
マスコミは累計でしか報道しないから、人数がやたら多いと思ってしまう。
だいたい、累計だから、減りようがない。
毎日累計を報道する意味がわからない。

そうやって、偏ったコロナ報道をするからコロナ狂いが出てきてしまう。
長野では感染者が出た銀行の支店に石が投げられているし、アメリカ人の留学生がウィルスを巻き散らかすと通りがかりに言われている。
京都では院内感染が起こった病院に脅迫電話が相次ぎ、職員は飲食店でバイキンのように扱われ、罵声を浴びせられている。

本当に困ったものだ。

マスコミは自分たちの責任を感じないのだろうか。


| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター 4
ギターシンセは今でもちゃんと音が出る。
珍しい楽器になってしまったが…。

本体はフジゲンという会社が作っていて、それにカシオがシンセユニットを入れている。
弦1本ずつの振動を拾えるように、専用のピックアップも付いている。
ストラトキャスターというバンドでよく見るギターのカタチなので、見たところは普通のギターだ。
変わり種ということで、今も置いてある。

話が前後するが、SG1000を買った頃に、ギルドのエレアコを今はなき元町のロッコーマンという楽器屋さんで買った。
その時に、モーリスを親戚のおじさんにあげたのを思い出した。
20代後半だったと思う。
でも、ギルドのエレアコはあまり弾かなかったのは事実。
子供が小さくて、ケースに入りっぱなしだったり、エレキギターの方が楽しかったりしたからだ。

震災の後、大阪で白いテレキャス(日本製)を衝動買いした。
このギターは長男の下宿に行って、今は東京で使っている。
こないだ東京に行ったときに、弦を交換して掃除をした。
まだまだ現役だ。

続いて、ようやく憧れのマーチンを買う。
あまり弾いてなかったギルドを中古で下取ってもらって、買った。
このギターは軽くて、とてもいい音がする。
ドレッドノートタイプの大きなものではなく、小ぶりのギター。
OM-28というモデル。
ジャカジャカ鳴らすより、爪弾く方が向いているギターだ。

アコースティックハーモニーhttps://acoustic-h.jimdofree.com/というお店にはその時からずっとお世話になっている。
SG1000もここでオーバーホールしてもらった。

会社を辞めて学校法人に勤めてしばらくしてジャズギターを習いに行った。
先生が持っていたのがテレキャスター。
まねをして、ついにアメリカ製のテレキャスターを買う。
48歳のときだ。

アメリカンスタンダードテレキャスターというモダンなモデル。
ネックが白っぽい、メイプルネックの仕様。
ひと目見てフェンダーとわかる
これがぼくの一番気に入っているギター。

そのあと、オベーションの廉価版セレブリティというエレアコのギターを買った。
ピックアップが内蔵されていて、アンプに繋げるものだ。
これは前に一度書いたが、ギターの工芸としては一番優れたものだと思っている。
デザインが素晴らしい。
これは時々ギター教室で使っている。

最後に通販で中古で買ったのが、パーカーのギター。
どうしても軽いギターが欲しくて、3万円ほどで中古を見つけて買った。
これはブリッジのところにピエゾのピックアップが入っていて、アコギ風の音も出る。
ナチュラルカラーで、これもメイプルネックだ。
とにかく、ソリッドギターとしては軽くていい。

番外編として、イバニーズのエレキベースをこないだ買った。
こちらも、通販で中古を手に入れた。
指で弾きたいのだが、やっぱり難しくてピックで弾いている。

おまけとして、カシオのデジタルギターというのがある。
これはギターというより、ナイロン弦を張ったギター型の電子キーボードという感じ。
一応、音は出るが、調整は必要だ。

いろいろ寄り道をしながら、そんなに上手くもないギターを弾いてきた。
この年になって、続けてきてよかったとも思う。

ぼくが中学校の頃、ギターが流行って、近所の大学生の人たちがたくさんギターケースを持って近所を歩いていた。
キャンパスでギターを弾いて歌っている姿も見た。

中学2年から始めたギターだから、今年で49年になる。
ずっと触らないときもあったし、熱心に弾いていた時期もあった。
2005年からは、習いに行くことで月に2回は弾くようになった。

まさに下手の横好き。
不真面目にではあるが、やってきた成果を、今はギター教室で生かしている。

結局今家にあるギターは、アコギがマーチンOM-28、セレブリティ、エレキがヤマハSG1000、カシオPG300、フェンダーTelecaster、パーカーというランナップ。
番外として、50年前のバンジョー、カシオのデジタルギター、イバニーズのエレキベース。

これで終わりです。

ぼちぼち、整理を考えないといけないのだが…。


| | 考えたこと | 08:12 | comments(0) | trackbacks(0) |