考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< August 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
誹謗中傷
松江の高校でサッカー部の部員がコロナに感染して、学校に80件の誹謗中傷の電話がかかってきたとのこと。
「日本から出て行け」「学校をつぶせ」などという内容だったらしい。
ネット上でもバッシングされているとのこと。
テレビの情報番組でも取り上げられて、一般にも拡散した。
そんなことで、80件もの誹謗中傷の電話に至ったということだ。

こういうのを見ると、本当にコロナに感染するのが怖い、と思っている人が多いのに驚く。
どうしたら、コロナだけを恐れるのはおかしいし、少なくともインフルエンザと同じ程度恐れれば十分、ということを伝えられるのだろうか。
隣組と自粛警察でも書いたが、こういうのはどうにかならないのだろうか。

ワクチンや薬がなくても、コロナは先シーズンのインフルエンザの1/3しか死んでいない。
もうそういう事の報道を積極的にしてもいいのではないか。
マスコミはテレビを見てもらうために、怖さを煽る報道ばかりになった。
でも、それはもうやめるべきだ。

相対的に見ないと、感情の壁を超えられない。
コロナだけを見ていると、他の病気でもたくさん死んでいるということすら見えない。
頭の中がコロナだらけになってしまって、国民全員PCR検査などと言っているのだろう。
アホらしくて、嫌になる。

2週間後にはパリみたいになるとか、ニューヨークみたいになるとか、そういう報道をしたマスコミや言った本人は、それが外れても一切謝罪しない。
これを放置しているのもよくないと思う。
政治家がちょっと間違えても、鬼の首を取ったように指摘するマスコミが、全くハズレた人のことを言わないし、自ら報道したことを謝罪もしないのは、どう考えてもオカシイ。
最も謝罪すべきなのは感染者を出したところではなく、間違ったことを報道したマスコミだろう。
そんな無責任がまかり通っていいのだろうか。

中傷をする人は、コロナで自粛しても収入が減らない人だろう。
中傷をするほど積極的ではないが、でもコロナにかかるのは嫌だ、という人もいる。
でも、コロナにかかるのと、インフルエンザにかかるのと、どちらが怖いか、よく考えてほしい。
若い人たちはほぼ何ともないし、60歳以下でもほぼ死なない。
4月19日時点の感染者の年代別死亡率は、80代以上では11.1%、70代では5.2%、60代では1.7%となっている。

70代、80代の人は自粛をしたらいいと思う。
でも、社会活動を再開しないと、本当に産業が潰れ、若い人たちが働けない。
それはみんなの不利益になる。
年金だって、維持など(もともとムリだが)とてもできないのだ。

感染者が増えることは、医療資源さえ圧迫しなければ社会にとってはいいことなのだ。
その人達が壁になって、感染を止めることができる。
これが集団免疫の考え方。

指定感染症を外して、無症状の人たちを入院させず、どの病院でもコロナを診るようにしたら、医療資源など余裕だと思う。

ずっと同じことを書いているが、本当に気の毒なのは社会に出るところで躓いてしまう就活生たちなんだぞ。





| | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉本新喜劇
吉本新喜劇といえば、ぼくらの年代は小学校の頃から見ていた。
その頃は、平参平がまだ現役。
かすかに、エンタツ・アチャコの記憶はある。
当時は岡八郎、花紀京が出始めだったか…。
土曜日の昼は学校から帰って新喜劇を見るのが楽しみだった。

その後、間寛平、木村進あたりの時代になって、なんば、梅田、京都の花月劇場の3つを毎週やっていた。
それ以外にも、テレビ用としてあっちこっち丁稚とか、駐在さんシリーズ、爆笑寄席なんかもあって、関西ローカルで、週に何本も吉本の番組が見られた。
あの頃から、関西のテレビ局と吉本興業の相互依存が始まっていたのだろう。
朝日、毎日、関西、読売のどのチャンネルでも、吉本の番組があったなあ。

一時新喜劇も低迷して、辻本茂雄あたりが出てきた頃、「やめよっかな」というキャンペーンもやった。
でも、見事復活して、新喜劇はなくならなかった。
あの当時、何度か花月に行ったのを覚えている。
やはり関西の住人としては、新喜劇は文化だったのだと思う。

静岡出身の会社の後輩を連れて行った時に、前の席におばあちゃんと孫らしき小学校低学年の娘が2人で来ており、その後輩が「関西の子供は、小さいときからこんな笑いに接しているのか」としきりに感心していたことを思い出す。

でも、吉本新喜劇は、当時は伝承とか文化とかは全く考えていなかった。
稽古も読み合わせだけで、舞台稽古などやらない。
1週間で1本だから、そんなことやってられない。
新喜劇は残らなくてもいい、という考え方だったと聞く。

演目が変わった初日は、いろいろあったらしい。
テレビ撮りの日までに完成させる、というようなシステム。
きっと吉本にも、テレビ局にも、映像のアーカイブも残っていないのだと思う。

そのせいか、古い新喜劇のビデオ映像をYoutubeに上げている人がいる。
個人のコレクションを共有してくれているのだ。
画像はビデオの3倍速あたりで録っているので、かなり荒いが小さなタブレットやパソコンで見るのには十分。
やはり、桑原和男、池乃めだかあたりのビデオが普及してからのものが多いが、時折岡八郎、花紀京、船場太郎なんかも見られる。

こんな時代が来るとは思わなかった。

吉本新喜劇は最盛期は年に150本以上作っていたはず。
それが40年続いたとすると、6000本になる。
まだまだ始まったところ、という感じ。

それが草の根でできたとしたら、これこそ関西の文化だと思う。


| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |