考えたこと2

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臓器移植
臓器の移植が進んでいるらしい。、

法律が改正され、「2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となる。これにより15歳未満の者から脳死下での臓器提供も可能になる」ということになったからだ。

アメリカの病院のドラマをみると、最新鋭の病院はすごいIT化だ。
カンファレンスルームに大きなボードがあって、コンピューターでの検査結果やカルテが、画面に指でジェスチャーすることによって出てくる。

移植のネットワークも整っている。
リストの優先順位も指定され、見つかるとすぐに連絡がある。
コーディネーターがいて、移植についての会議もある。
移植専門の連絡員もいる。
どの行政単位でやっているのかわからないが、ヘリポートもあって、遠いところまででも飛んでいく。

もちろん、国民皆保険の国ではないので、加入している保険によって、移植の条件も違うのだろう。

そういう意味では日本よりもややこしい。
それをコンピューターで管理している。

テレビドラマだから、誇張や作ったところもあるかもしれないが、しかし移植大国アメリカの現状の一端はそんなものだろうと思う。

移植というのは、そのシステムを維持するのにお金がかかるのだ。
ネットワークの構築、移植のための倫理コードの作成、優先順位のつけ方、専門家の養成…。
この専門家は医者ではない。
移植に関しては、医者以外の人をどう育て、どんなシステムを作るのか、ということが肝心だろう。

臓器の移植自体は技術の問題であり、 技術が進めば解決可能だろう。

しかし、移植の条件や順位の決め方、運用のしかた、ネットワークの構築については人の問題だ。

人間の臓器を取り出すということは、殺人と紙一重の行為。
完全に死んでから、取り出せるものはよい。
完全な死とは、どういう状態か、という点がすでに問題になるが…。

生きている間に取り出さないと意味がないものもあるだろう。

そういうものが、日本人にハンドリングできるのだろうか。

これは医学の問題ではなく、倫理学や哲学の問題になる。
宗教も絡むだろう。
死とは何か、というところで国民の合意を得なければならない。

また、移植医療が進むと、患者が他人の死を望むようになる、という問題もある。
あと数日でもう死ぬというときに、移植用の臓器が見つかるだろうか…、それが見つかってほしいと思うのは人情だ。
それはいいことだろうか。

移植に関わる人たちには高い倫理観が必要だ。
特に順位をきめる診断を下す医師はそうだろう。

今の医師にそのような教育ができるのだろうか。

移植のドラマを見ていて、そう思う。
これは難しい問題だ。


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