考えたこと2

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UNOS
UNOSというのは、アメリカの臓器分配ネットワーク。
United Network for Organ Sharingを略している。

この臓器分配ネットワークというのは全米の組織で、病院で登録された臓器を見つけるという役割を果たす。
アメリカの病院のドラマでは、このUNOSで臓器を探す場面が出てくる。
人工肺を入れて、2〜3週間しかもたない、という患者のために肺を探してくれ、という場面。
必死で探すのだが、患者の既往症が多く、探すのはムリだということになる。
結局はドナーをつのることになった。

このようなネットワークがなければ、移植医療は成り立たないと思う。

しかし、移植医療が一般的になれば、いろいろと苦しむことも増えるだろう。

どれほど悪くなっていて、もうダメだという状況でも、臓器を取り替えてしまうのだから、治ってしまう。
それほど単純ではないと思うが、とにかくドラスティックな変化がある。

だから、ドナーを待つことになる。
ドナーを待つということは、臓器によっては誰かの死を待つということにもなる。

自分のプライオリティ(優先順位)は、病状や年齢や家族構成などに応じて決まるのだろう。
たぶん、厳格な基準が作られているはず。
医師だけの判断で決まるのではないだろう。

移植医療をやっていくためには、UNOSのような組織をつくり、コーディネーターを育て、その基準に対してみんなのコンセンサスを得ていくことが必要だ。

そのハードルは高いと思う。

日本人は命に優先順位をつけるということに違和感があるだろう。
ハイジャックされた飛行機に、人質が亡くなっても、突入するということができず、超法規的措置をとる国民性だ。

AさんとBさんを比べて、どちらに優先権を与えるか、という問題に答えを出さないといけない。
恣意的に決めるのではなく、ある一定の基準を作り、作ったなら厳格に運用することが必要だ。

果たして、そんなことができるのか。
ぼくらがそれを真剣に考えないと、移植医療は進まないだろう。

医療ではなく、倫理、宗教、哲学の問題である。




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