考えたこと2

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技術軽視の文科省
日経の記事で、高校生の息子が数学に興味が持てず困っているという「行列すら教えない高校数学に日本の技術軽視の一端を見た」という記事があった。
自分は息子の勉強をほとんど見てこなかった記者は責任を感じ、息子が興味を持っている動画の仕組みから数学を教えようとしてブルーバックスを買ったりする。
そこで、高校の数学課程を調べてみると、自分が高校時代に習った「行列」がなくなっていることに気が付き、それが2012年に起こったことだとわかる。

ちょっと長くなるが、記事を引用する。

「本当に信じられなかった。教育業界では、これからはITだプログラミングだと騒いでいる。それなら、高校のカリキュラムから行列がなくなるのはおかしい。
 例えばコンピュータグラフィックスでは、2次元3次元を問わず行列演算が基本中の基本である。人工知能(AI)としてもてはやされている機械学習にしても、具体的な処理は行列演算だ。せめて行列という概念が存在することだけでも高校のうちに知っておくべきではないか。
 インターネットで調べていくと、大学で数学を教えている先生の中には、このことを問題視している人が多いこともわかった。「それなら、次の学習指導要領の改訂でまた行列が復活するかもしれない」と淡い希望を持った。
 しかし、現実は逆だった。学習指導要領の2022年度の改訂では、高校の文系数学の範囲からさらにベクトルが消えるという。ベクトルも線形代数に必須の重要な概念である。高校の数学から重要な概念がどんどん削られていく方向なのだ。」

こんなことが起こっている。

ぼくは2004年に大学に転職して、その年に大学事務の研修に行った。
もう47歳だったから、ちょっとなあとは思ったが、たしかその年は静岡あたりのホテルで缶詰で行われ、その当時一緒に仕事をしていた人が「一度は行っておいたほうがいいですよ」と言われ、いやいや行くことにした。
2泊3日だったと思う。
幸い、別の大学にも同じような40代の人がいて、その人と2人部屋になって助かった。

その人は、学校法人の高校で数学を教えていた人で、大学の事務部門に転属になったから来たと言っておられた。
主に、大学の事務のIT化をやるということだったと思う。

その人から、高校の数学のことを聞いた。
当時の状況も、あまりいいとは言えなかった。
一度書いたかと思うが、複素数を教えるのに、複素平面は教えないというワケのわからないことが起こっていると言っていた。

ぼくは高校の数学で複素平面を習ったが、その時に一つの数が平面座標を表すことができる、ということを「これはきっとスゴイことだ」と思った。
基本的に、ぼくは数学が苦手だったので、それ以上はわからなかったが、そういう数学の壮大さを感じることはできた。

それは理系の数学(数3)だったが、どんどん高校の数学が縮小されているのはその当時からのことだ。
その延長で、2012年に行列がなくなったということになる。
記事の中にも書いてあるが、元文部科学事務次官の前川喜平氏は「高校中退をなくすには数学の必修を廃止するのがいい」と主張しているらしい。
数学が落ちこぼれを作る元凶だからだ。
この記者が書いているように、「生徒が知らなければならないことを教えるのが教育だ。生徒が理解できないなら、理解できるように工夫するのが筋である。「理解できない人がいるから教えないようにすればいい」というのはもはや教育ではない。単なる教育の放棄だ。」と思う。

2004年当時の高校の数学教師の人の言うことには、文科省は「落ちこぼれ」の問題を解決するために、それまでの「習得主義」から「履修主義」に方針を変えたという。
これは衝撃的だった。

それまでは、その科目で身につけるべきことを、ちゃんと身につけたかどうかで単位を出していた。
それが「習得主義」。アタリマエのことだ。
それを「履修主義」に変えたという。
つまり、どれだけの時間、その科目の授業を受けたかということだ。
だから、わかっても、わからなくても、時間数その授業を受けたらいい、ということになった。

そのせいで、ぼくが大学にいた当時、夏の大学の教室を使って補修が行われた。
系列校の生徒が当時は来ていた(今は高校に冷房が入り、あまり来ないと思う)。
その科目で赤点を取ったら、何時間かの補習授業を受けるということだ。
わかっても、わからなくてもかまわない。
座って聞いていれば(最悪の場合は寝ていても)いいのだ。

まさに、前川氏の言ったことが実践されている。
きっと当時から彼らがこの変更を進めたのだろう。
その考えがあるから、落ちこぼれを防ぐには、必修をやめたらいい、という発想になる。

彼らが、教育行政を歪めたのだと思う。
おそらく、文科省の役人はみんな文系なのだろう。

少なくとも、2004年には高校で数学を教えている教師の中には、そういう問題意識を持った人がいた。
その声を聞かず、文科省はどんどん数学を減らしている。
記事中にも、「そもそも「数学は理系の教科」という考え方が現実にそぐわなくなってきている。文系とされている経済学、社会学、心理学といった分野でも、統計をはじめとした数学の手法が多用されるようになっている。理系はもちろん文系でも、数学の重要性が増すことはあっても減ることはない。」と書いてある。

それはまことにその通り。

だから、中学入試の算数の問題が入社試験でも使われるのだ。
そして、それができない学生がたくさんいる。

いい加減にこの状態をなんとかしないと、日本はダメだと思う。

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