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2018.10.08 Monday
大学入試共通テスト
センター試験に変わって、新しくできる予定の試験が「大学入学共通テスト」。
それについて、調査した結果があった。 そもそもこの共通テストというのがなぜ採用されたのかというのが、「高校生新聞オンライン」というサイトに出ている。 「1990年に始まったセンター試験は、マークシート式でありながら、「暗記だけでは解けない、考えさせる設問がある」と高校の先生の間での評価が高かった。だが、国は「先行きが予想しづらいこれからの社会では、知識の量だけでなく、自ら問題を発見し、答えや新しい価値を生み出す力が重要になる」という考えから、こうした時代に役立つ力を測る新しいテストに衣替えする方針を決めた。2020年度から新テストを始める。」 これが、国が掲げる大学入試改革の目的と言っていいと思う。 当初は「高等学校基礎学力テスト」というものが入試の代わりに検討されたが、大学入試とは別立てになったようだ。 Between情報サイトによると、以前の高等学校基礎学力テストは、 「高校生に自分の学びの指針にしてもらうという趣旨を明確にするため、名称を「高校生のための学びの基礎診断」に変更。当面、入試での活用は想定せず、本来の目的の下での安定的な運用をめざすことになった。」 と書いてある。 ぼくは大学に勤めていた頃、この「高等学校基礎学力テスト」の話を聞いて、これはいい、と思って「センター試験廃止」という記事を書いた。 文科省はこの10年ほど、一貫して「高等教育の質保障」を求めてきた。 各大学で導入を推奨された3つのポリシー(カリキュラムポリシー、アドミッションポリシー、ディプロマポリシー)など、その最たるものだ。 国公立大はともかく、推薦入試やAO入試を多用し、一般入試で5教科の試験をしないほとんどの私学は、入試の段階で質のチェックはできていない。 質の保障など、論外だ。 そもそも、入試が機能していない学校もある。 大体の私学は2〜3教科の入試。それで高校教育の質がわかるわけがない。 文科省の建前は、「大学で学ぶに足るものを選抜して入学させている」ということだと思う。 しかし、実態はそうではない。 勇気ある日本橋大学が「バカ田大学」と呼ばれながらも、「Be動詞の使い方」「整数の計算」などを正規のカリキュラムに入れていたのが、実態だ。 7割の大学が、高校以下の学び直しが必要だ、と言っているのだ。 だからこそ、入社試験の内容の一部が中学入試の算数になっている。 なんで大学に質保障を求める文科省が、高校の質保障、ひいては義務教育の質保障をやりたがらないのかはよくわかる。 自分たちのクビを締めることになるからだろう。 少中高大というステップを踏んで教育しているのに、なぜ最後の段階だけで質保障を言うのか? 最初から質保障をしたほうがいいに決まっているのに。 それは義務教育が国の責任だ、ということだと思う。 文部科学省はその責任を負っている。 もしも初等教育の質の保障をチェックしたら、どうなるかわかっているのだ。 それを棚に上げて、最後の段階で質の保障を言うのはちゃんちゃらおかしいと思う。 もちろん、大学教育を学ぶに足らない学生を、推薦やAO、機能していない一般入試などで、自らの経営のために入れている学校法人も悪い。 自分たちの経営資金と補助金目当てで、学生を確保している状況は責められるべきだ。 しかし、それらの根源は初等・中等教育にあると思う。 話が大きくそれたが、新しい「大学入学共通テスト」についての調査結果で、複数の大学が問題にしているのが、「難しすぎる」ということ。 自学の学生の選抜に適さない、ということだ。 朝日新聞と河合塾の調査結果によると、「国語で完全正答率が0・7%にとどまる問題があり、数学も全3問の正答率が1割未満になるなど、難易度が課題となっている」とのこと。 どんな問題かはわからないが、入試の担当が問題を見て、これでは選抜できないと判断しているのだろう。 ぼくは共通テストをやるのなら、学習指導要領に基づいた高校卒業資格試験のようなものをやるべきだと思う。 入試は各大学に作らせればいいのだ。 ちゃんと、高校卒業時に、それなりの成績であれば大学入試はもっと大学のカラーを出してもいいと思う。 それが、国主導でやるべきテストだと思う。 まずやるべきは、初等教育の質保証だ。 それなしに、英語の導入やプログラミングの導入などやっても仕方ない。 |
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