考えたこと2

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パソコン遍歴 1
ぼくのパソコンの使用歴を書いておく。

最初に買ったのはシャープのMZ-80というやつ。
まだ、パソコンという言葉がなく、ホビーコンピューターと書いてあった。
もちろん、今のWindowsとは大違いで、白黒(緑の文字だったか)の10インチディスプレイと記憶装置としてカセットテープが一体になったものだった。
まだマウスというようなものは、お目にかかったことがなかった。
BASICというプログラム言語でプログラムができる。
当時シャープに友達がいて、社内販売で入手してもらったような気がする。
買った時期は80年代初頭。
結局、これでBASICの基礎を覚えただけで、ホビーに使うというようなことはできなかった。
使わなくなって、長いこと置いてあったが、いつ大ゴミに出したかなあ。

その次が、ヤマハのミュージックコンピューターというもの。
MSXという規格のコンピューター。家電メーカーなどが合同で作った規格だ。
ソフトウェアはファミコンのようなカートリッジで供給されて、これはヤマハから音楽専用のハードとソフトがついていたと思う。
この当時のぼくの興味は、今で言うDTM(デスクトップミュージック)だった。
当時は音の強さ、長さ、実際に鳴っている時間、高さを数値化して打ち込んで、鳴らすというもの。
1小節の長さを数値で128にしていたと思う。
ディスプレイは家庭用テレビでもOK。さすが家電メーカーの規格だ。

これで「踊るポンポコリン」を打ち込んだ。
結局、打ち込みは面倒くさいということを知った。
高い授業料だった。
これが80年代の中盤だったと思う。
これも長いこと本体が置いてあったが、荒ゴミに消えた。
でも、音楽というものが、人間臭いものであることが逆にわかった。
数字で打ち込むの時に、ある程度ランダムにしないと、それらしく聞こえないのだ。
これは発見だった。

ここからはやっと今のコンピューターの流れになる。
続いて、初代のNECのノートPCを買った。
当時NECはPC9801シリーズというものを作っており、その流れでできたノートPC。
当然、白黒のディスプレイで、今でいうMS-DOSが動いていた。
このとき、初めてフロッピーディスクというのを使った。
これを使って、当時の日本のパソコン通信の出始めだった、ニフティサーブに入った。
これが1990年くらいだった。
電話回線にモデムをつないで、通信プロトコルを確立して、ニフティに入るというのが、わりとオタク的なことだったと思う。
まだ現代のパソコンのネットワークには程遠かったが、パソコンでネットワークに入るということを経験できたのは面白かった。
フォーラムというのが、ネット上の会議室みたいなもので、いろんなものがあったなあ。
ここまでは、完全に趣味の世界だった。

次はようやく仕事絡みになる。
当時は、日本中でコポレートアイデンティティ(CI)が流行った。
バブルでお金が余っていたのだろう。
ぼくもその活動に取り込まれて、それまでほとんど技術部だけの付き合いだったが、この時に他部署の人と知り合ったりした。
その中の一人が、アメリカのビジネススクールからの留学帰りで、事務所にマッキントッシュを持ち込んでいた。
マッキントッシュ(通称マック)はアップルのコンピューターで、当時としては先進的なものだった。
技術部にはWindows3.1のデスクトップコンピューターが数台ある、という時代。
まだまだ使いづらいコンピューターだった。
ディスプレイ一体のマックはとてもカッコよく、彼が自慢げに見せてくれた画面は「これしかない」と思わせるに十分だった。

1994年に迷ったあげく、アップルのPerforma575というパソコンを買った。
14インチのカラーディスプレイ、外部記憶がフロッピーディスク、ROMが1MB、RAMが4MB、HDDが320MBというスペック。
今なら動画ファイル一つでHDDが終わってしまう。
このマシンは漢字Talkという日本語OSで、よくできていた。
これで、ファイルの種類とか、フォルダの構造とか、テキスト検索とか、ソフトの関連付けとか、メモリの意味とか、どうやってファイルを小さくするかとか、いろんなことを知った。
今になっても、その知識は生きている。
毎月、マック関係のパソコン雑誌を何冊か買っていた。

これで初めてインターネットにもつないだ。
ニフティ経由だったのか、覚えていないが、ケンブリッジ大学のコーヒーサーバーを見ることができたときは感激した。
ついに、自宅ご世界がつながったのだ。
このパソコンは、後日イラストを書いていた親戚に譲った。

この続きは明日。

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