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2018.10.05 Friday
パソコン遍歴 1
ぼくのパソコンの使用歴を書いておく。
最初に買ったのはシャープのMZ-80というやつ。 まだ、パソコンという言葉がなく、ホビーコンピューターと書いてあった。 もちろん、今のWindowsとは大違いで、白黒(緑の文字だったか)の10インチディスプレイと記憶装置としてカセットテープが一体になったものだった。 まだマウスというようなものは、お目にかかったことがなかった。 BASICというプログラム言語でプログラムができる。 当時シャープに友達がいて、社内販売で入手してもらったような気がする。 買った時期は80年代初頭。 結局、これでBASICの基礎を覚えただけで、ホビーに使うというようなことはできなかった。 使わなくなって、長いこと置いてあったが、いつ大ゴミに出したかなあ。 その次が、ヤマハのミュージックコンピューターというもの。 MSXという規格のコンピューター。家電メーカーなどが合同で作った規格だ。 ソフトウェアはファミコンのようなカートリッジで供給されて、これはヤマハから音楽専用のハードとソフトがついていたと思う。 この当時のぼくの興味は、今で言うDTM(デスクトップミュージック)だった。 当時は音の強さ、長さ、実際に鳴っている時間、高さを数値化して打ち込んで、鳴らすというもの。 1小節の長さを数値で128にしていたと思う。 ディスプレイは家庭用テレビでもOK。さすが家電メーカーの規格だ。 これで「踊るポンポコリン」を打ち込んだ。 結局、打ち込みは面倒くさいということを知った。 高い授業料だった。 これが80年代の中盤だったと思う。 これも長いこと本体が置いてあったが、荒ゴミに消えた。 でも、音楽というものが、人間臭いものであることが逆にわかった。 数字で打ち込むの時に、ある程度ランダムにしないと、それらしく聞こえないのだ。 これは発見だった。 ここからはやっと今のコンピューターの流れになる。 続いて、初代のNECのノートPCを買った。 当時NECはPC9801シリーズというものを作っており、その流れでできたノートPC。 当然、白黒のディスプレイで、今でいうMS-DOSが動いていた。 このとき、初めてフロッピーディスクというのを使った。 これを使って、当時の日本のパソコン通信の出始めだった、ニフティサーブに入った。 これが1990年くらいだった。 電話回線にモデムをつないで、通信プロトコルを確立して、ニフティに入るというのが、わりとオタク的なことだったと思う。 まだ現代のパソコンのネットワークには程遠かったが、パソコンでネットワークに入るということを経験できたのは面白かった。 フォーラムというのが、ネット上の会議室みたいなもので、いろんなものがあったなあ。 ここまでは、完全に趣味の世界だった。 次はようやく仕事絡みになる。 当時は、日本中でコポレートアイデンティティ(CI)が流行った。 バブルでお金が余っていたのだろう。 ぼくもその活動に取り込まれて、それまでほとんど技術部だけの付き合いだったが、この時に他部署の人と知り合ったりした。 その中の一人が、アメリカのビジネススクールからの留学帰りで、事務所にマッキントッシュを持ち込んでいた。 マッキントッシュ(通称マック)はアップルのコンピューターで、当時としては先進的なものだった。 技術部にはWindows3.1のデスクトップコンピューターが数台ある、という時代。 まだまだ使いづらいコンピューターだった。 ディスプレイ一体のマックはとてもカッコよく、彼が自慢げに見せてくれた画面は「これしかない」と思わせるに十分だった。 1994年に迷ったあげく、アップルのPerforma575というパソコンを買った。 14インチのカラーディスプレイ、外部記憶がフロッピーディスク、ROMが1MB、RAMが4MB、HDDが320MBというスペック。 今なら動画ファイル一つでHDDが終わってしまう。 このマシンは漢字Talkという日本語OSで、よくできていた。 これで、ファイルの種類とか、フォルダの構造とか、テキスト検索とか、ソフトの関連付けとか、メモリの意味とか、どうやってファイルを小さくするかとか、いろんなことを知った。 今になっても、その知識は生きている。 毎月、マック関係のパソコン雑誌を何冊か買っていた。 これで初めてインターネットにもつないだ。 ニフティ経由だったのか、覚えていないが、ケンブリッジ大学のコーヒーサーバーを見ることができたときは感激した。 ついに、自宅ご世界がつながったのだ。 このパソコンは、後日イラストを書いていた親戚に譲った。 この続きは明日。 |
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