考えたこと2

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若い頃
最近、若い頃仕事をしていた時のことを思い出す。

新車用のタイヤを開発していた。
80年代から90年代にかけてのバブルの時代。
日本の自動車産業が世界を制覇した頃だ。

とにかく忙しかった。
レクサスやシーマといった高級車の開発が始まり、どのメーカーも競って車種を増やしていた。
だから、70年代に比べ、開発するサイズの数が倍増した。
まだパソコンが普及する前。
Faxの全盛期だった。

毎日夕方まで出先の技術営業から、開発資料を山のように送ってきた。
目標とする性能や諸元が書いてある。
今はもう何を考えて仕事をしていたのか、想像もつかない。

週に3日も4日も日帰り出張したり、土日も出勤して仕事をした。
毎日家に帰るのは夜の11時を過ぎていた。
バブルの絶頂期には終電がなくなり、毎日タクシーで帰っていた。
今のようにコンピューターが進んで、データーベースが当たり前の時代なら、もっと効率的に仕事ができただろう。
とにかく、電話とFaxに追われた。

工場と試作の打ち合わせをやり、テストコースに行き、ラボに依頼してデーターを取った。
自動車メーカーの部品コンペで承認を取るのは大変だ。
まだ出来てもいないクルマの部品を作るのだから。

自分でも何をやっているのか、よくわからなくなることもあった。
でも、そういう思いは忙しさが消してしまう。
80年代後半から、日米自動車摩擦を解決するために、日本メーカーは現地生産を増やした。

アメリカで主だったメーカーがクルマを作り始め、現地生産部品の比率を上げるために、日系メーカーに現地生産製のタイヤ開発の依頼を出した。
アメリカ人の技術者と交流が始まり、日本の夜中でも彼らと仕事ができた。

そういう歴史の一端を担ったのだ。
がむしゃらに働いたと思う。
睡眠時間は毎日5時間くらいだった。
あんな働き方はもうできないし、今はそういう時代ではない。
1日8時間でやるのが仕事。
法令遵守というヤツだ。

結果的には効率が悪い仕事をしていたと思う。
でも、ああやるしかなかったはず。
そんな風にして、80年代、90年代を過ごしてきた。

あれは日本の黄金期だった。
Japan as No.1と言われ、終身雇用、年功序列というシステムが素晴らしいと言われ、そしてバカみたいに忙しかった。

今からは想像できない。


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