考えたこと2

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1万人の第九 練習5回目
だんだんと第九のコーラスも佳境に入ってきた。
発声法の指導も、腑に落ちてきたように思う。

先生曰く、昭和の声楽の発声法の指導とは、現在は違うとのこと。
昔はお腹に力を入れて、という指導だったが、今は頭からお腹までをリラックスさせて「ゼロ」にするというもの。
足の指で床をつかむ、息を吸う時にお尻を意識する、横隔膜を張って吐く息で叩くイメージ、いつも肺に空気をいっぱいにして歌う、口はあくびの状態でアゴを緩める、口の中は常にドーム状で、鼻腔を意識して響かせる、頭の上で引っ張られる感じで、音程は頭の上で意識する、アゴの力を抜くと音域が広がるということ…など。
一つ一つ、できるとは言わないが、何となくわかってきたような気がする。
いつもはカラオケなどで高い声で歌うと、ノドがしんどくなるのだが、この練習の後は実際そんな感じはない。

今日の名言は、歌はため息で歌う、というもの。
息が身体から離れていく感じで歌うとよい、という。
積極的に息を吐くのではなく、自然と身体から出ていくように吐くということだろう。
歌うのではなく、おしゃべりするようにということも言っていた。
声を出そうとする邪悪な心をやめる、という表現もあった。
自然に声が出てくるのだ。
ポップスの歌い方とはまるで違うと思う。

今日の練習でややこしかったのは、595小節目からのゆっくりしたところ。
アンダンテ・マエストーソ「堂々と歩く速さ」と書いてある。
2分音符が1分間に72ビートだから、かなりゆっくりだ。
おまけに、2分の3拍子というややこしい拍子。
アプリで歌を聴いても、どう拍子をとっているのか、わからない。
まるで御詠歌という感じ。
最初は男声のユニゾンで、女声が途中から入ってきて、おまけに歌い出しが微妙にズレている。
ちゃんとパートが歌わないと成立しないところ。

練習の時、いきなり途中のメロディーから伴奏なしで始まるのはつらい。
出だしの音はもらわないと…。
みなさん、そんなに音感があるのだろうか。

また今回もテナーは一番下手だったと思う。
ぼくも含めてあまりメロディーを覚えて来ておらず、ちゃんと歌える人が極端に少ない。
おまけに、人数が一番少なく、下手さが際立つ。
何せ、パート練習で歌うとコーラスになるという状態。
オクターブ違いどころではない。
あまりのひどさに、先生もこの時間では指導はムリと諦めたというところ。
「上手です」という言葉が虚ろに響いた。
これで本当に12月にちゃんと歌えるようになるのだろうか。

コダマ先生はいい先生だと思うが、生徒がついていっていない。
もうちょっと練習しないと…。

ベテランによると、初めての人は今ごろが落ち込む時とのこと。
なるほど。
みんなまだ学習途上なのかもしれない。

来週は休みなので、ちゃんと歌詞とメロディを覚えていこうと思う。

| | 考えたこと | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
高卒採用は宝の山
高卒採用は宝の山」という本が日経から出ている。
書いたのはベンチャー企業の顧問として活躍している人。
銀行で22年働き、証券会社、小売業を経て眼鏡の会社を作り、広告会社の社長等を経験して、経営指導の仕事をしている。

成長している企業は、高卒社員を上手に使い、中には業務のほとんどを高卒社員が支えている企業もあるという。
紹介文によると「サッポロ、ライオン、西武鉄道、イーストボーイ、菓匠三全、東京鋪装工業、北日本石油、敷島製パン、ヤマト運輸など、成長企業21社の高校新卒者の採用実態、さらにそれぞれの企業で働く高卒社員に直接インタビュー、彼らの仕事に対する誇りや希望も収録しています」と書いてある。

こないだ書いた、教育困難大学の話の中で、大卒と高卒に一緒の採用試験をすると、高卒の方が成績がよく、「いったい4年間何をしているのか」という企業の声があった。
それを実績として出しているのがこの本だろう。

結局、4年間を大学で浪費した形で過ごすよりも、高校を出て働き、社会での教育を受けたほうがいい、ということの表れだと思う。
「学生時代に力を注いだこと」が「アルバイト」というような学生が、結局は高卒で働いた方がよかった、ということになることが多い。
特に、下位の文系の単科大学の多くはまさにそういうことになっている。

「成長企業には高卒社員を積極採用しているところが多く、業務のほとんどを高卒社員が支えている企業、実力次第で学歴に関係なく同様の業務を担当させている企業、若いうちから就業させることで風土になじませたいと考える企業など様々。学歴構成だけでなく、業種や人事戦略により、高卒社員の活躍する姿は多彩であることがわかったのです」

だんだんと、企業も気がついてきたということだ。

90年代から大学が増え、20年以上が経った。
それ以降にできた大学は、例外もあるが、だいたい92年以降の18歳人口減少局面からできた学校は、おしなべてシンドイ大学だと思う。
その覚悟をもって、入った学生をちゃんと教育する、という観点で入試をやり、ちゃんと教育できる学生を入れて、カリキュラムを作り指導している大学はまだいい。
2000年くらいから18歳人口がピークだった1992年(205万人)から50万人ほど減り、定員未充足の大学が増えた。
このあたりから、入試が成立しない大学が増え、私学では一般入試の入試科目が減り、推薦やAOで入る学生が増えた。
その流れのまま今に至っている。

最も苦しい大学では、入試の期間を決めて、その時期に来た学生は入試を受けられる、というようなところもある。
事実上、名前が書けたら入れるということだ。
推薦やAOでも志願者を集められず、定員はもちろん未充足。

一方で、大学教員になるルートは一向に変わらない。
大学の博士課程に行き、博士論文を書くというようなルートだ。
そこでは研究者になることが求められる。
教育の方法など、ほとんど教えない。

往々にして、いい研究者はいい教育者になるのは事実だと思う。
しかし、下位の大学に行く教員は、残念ながらいい研究者ではない。
学会での論文実績など、ほとんどない人が多い。
そういう人は上位の大学に取られてしまう。
だから、必然的に、下位の大学には研究も教育もできない教員が多くなる。

そういう状態だから、高卒採用は宝の山、ということになるんだろう。
実際、高校を出て就職の道を選ぶ若者はしっかりしているんだろう。
だからこそ、誇りと希望を持って働いているのだと思う。

文科省の高等教育局は読むべきだ。

| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |