考えたこと2

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学校はブラックか?
ぼくは学校はいわゆる「ブラック企業」ではないと思っている。

ブラックな職場は、上からのしめつけがあり、そうしないといけないように仕向けられる。
でも学校はそういうものではないと思う。
学校には会社でいうような上下関係はないと言っていい。
教員をやっている同級生の結婚式に出た後輩が、その職場の雰囲気に驚いていたくらいだ。
年が違っても、「同僚」なのだ。

中沢良平という人が小学校教員をやっていて、今は辞めている。
その人が自分の体験でブログを書いているが、ぼくはこれがだいたいの正しい考え方だと思う。

長くなるが、引用すると、

「東洋経済の特集「学校が壊れる」の記事は教員に好意的でありがたかったが、あまり共感をしなかった。「過労死ライン」を超えているのは決して教員だけではないし、業務量が多いのも教員だけではないからだ。むしろ給与は悪くないし、仕事がなくなる心配もないし、同業他社との熾烈な価格競争もないし、50代になっても役職定年のように干される心配も、ない。

つまり、学校のブラック化は「ぜいたくな悩み」なのである。

だいたいは現場でコントロールできることなのである。

職場の状況を変える気もなければ、転職できるような職能を形成してこなかったツケなのだ。一般の企業に入れなかった不適格な人物が、選考の手ちがいで、新卒時に教職に就く。10年が経つ。ぜんぜん向いていませんでした。ほかに行くところがない。ここに残るしかない。ふつうの仕事なら10年もやれば多少不向きでも一人前になるだろう。しかし、教職は向いている人は一年目から実力を発揮するし、向かない人は50代になっても一向に進歩がないのである(これは生まれもった資質の問題ではあるが、教員の教育体制の不備もかなり大きい)。しかも居心地がいい。より長くいるだけでなぜか評価される。

これは教員自身のキャリア形成の失敗である。子供の時分から学校しか知らない。挫折を知らない。変革を知らない。

このような人たちが集まれば、それはムラ的なブラック企業になってしまうだろう。部活動などに力を入れている声が大きい人の意見がマジョリティになってしまう。学級崩壊を2年も続けて担任を外されるような学級経営能力がないのに声だけが大きい年配者がのさばってしまうのだ。そんな人間がいちいち小さなミスをあげつらって若手を委縮させ、業務を滞らせ、仕事量を増大させるのである。」

実際に先生をやっていた人が言うのだから、真実味がある。
個別のケースはいろいろあるだろうが、ぼくは学校に「先生」しかいないのが問題だろうと思う。
もちろん先生自身の教育システムができていない(なんでやねん)ことも、問題だとは思うが…。

ぼくは、まともな民間企業出身者を、事務で学校に入れて変革をすべきだと思う。
生徒を教えることと、キャリアを形成することや組織を運営することは全く違う。
そこが文科省にも、先生にもわかっていない。

先生に任せている限り、何も変わらないだろう。



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