考えたこと2

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国語のテキスト
高校の国語で習ったテキストは、どんなものがあったか…。
漱石、鴎外、芥川の3名のテキストはあったように思う。
なかでも漱石は70年代当時、「三四郎」「それから」「門」という前期の3つの作品や、「行人」「彼岸過迄」「こころ」という後期の3部作など、入試に出ると言われていた。
ぼくがまともに読んだのは「三四郎」だけだったが…。
芥川龍之介の「鼻」や「トロッコ」「羅生門」は載っていたし、森鴎外の「高瀬舟」もあったと思う。
あれらの作品は、教科書に載っていなかったら、間違いなく読んでいない。

そういう意味で、国語のテキストは大事だ。
今から思えば、文語体の文章はそういうもので親しんだから読めるのだろう。
でも、そういう文章は「文学作品」だから、大体の意味は決まっているものの、最終的には読む人に依存する。

ぼくらの時代、評論家の小林秀雄の文章もよく入試に出た。
小林本人が「それは違う」という答えもあったと聞く。
でも、入試の解答は明示されないから、あくまでも推測だ。

そういうことがあるからか、今回の入試改革でセンター試験に記述式の問題が採用されることになったが、そこから文学作品が消えるという記事があった。
実際に大学入試センターのモデル問題のページを見てみると、平成29年5月16日公表として記述問題の例が出ている。
それが「景観保護ガイドライン」やそれを読んだ父と姉の会話文の問題だ。

選択式の問題は文学作品なのだが、記述式は「景観保護ガイドライン」とは、ビックリした。
それが1番で、2番は駐車場の使用契約書を読んで答えるというもの。
こちらはもっとビックリ。
大学入試の問題に、こういうものが出る時代になったのかと驚いた。

そういう文章を読んで判断する能力が必要なのはわかるが、それは果たして「国語」なんだろうか。

日本人に生まれてよかった、と思えるような言葉の使い方を覚えるのが「国語」の役目だと思う。
そういうテキストに一度は触れる、という役割だ。

こういうことは全く報道されないが、これはみんなが議論すべきことだと思う。

受験生だけの問題ではないぞ。


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