考えたこと2

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呼びかけ
呼びかけ、わかりますか?

卒業式の割りゼリフのことです。
これは平成の新語だと思っていたら、昭和の末期でも使われたらしい。
ぼくは今日初めて知った。

卒業生がみんな並んで、ちょっとずつセリフを割って話す、あれです。
一人が、「がんばった〜」と言ったあと、全員で「うんどうかい〜」とかいうヤツ。

ぼくは実際には見たことがないけど、あれは何となくオカシイ。
何で、みんなでやるんだろうか。

ぼくらの頃は、卒業生の総代が一人で答辞を読んで、それを折りたたんで校長に渡していた。
そういうものだと思っていたら、いつからか変わっていた。

なぜだろう?

卒業生総代を決めて、一人だけ前に出て話すのを嫌ったのではないだろうか。
成績を絶対値でつけるというのと連動しているのかもしれない。
みんなにさせてやらなければ、かわいそうだ…ということか。

泣かせる言葉で、親も先生も卒業生も在校生も感動するものになっているらしい。
ネットで調べたら、指導方法とか、文例集ばかり出てきた。

今ごろはたくさんの人が泣くらしい。
男も女もだ。
無理やりに感動させられる。

昔と比べてばかりで申し訳ないが、ぼくらの頃はほとんど泣く人はいなかったと思う。
感動しなかったワケではないが、人前で泣くのは恥ずかしいという思いもあっただろう。
昭和ヒトケタの親たちは、静かに見守っていた。

ぼくも泣きたい時はあるが、無理やり感動させられるのはイヤだ。
何度も練習して、声を揃えて、やらせているのだ。
そんなことを何度も練習するのか…。

別に悪いと言っているわけではない。
何となく、うさんくさいと思う。

小学生でも、本当にお世話になったとか、この学校は楽しかったとか、あの先生はよくしてくれたとか、もし思えば卒業式の日に別れるのは悲しいだろう。
ぼくは、「仰げば尊し」を歌った時、「ああ、この歌はいい歌だ」と感動した。
小学校でも、中学校でも、高校でも、やっぱり「仰げば尊し」を歌った。

今は歌わないという。
先生が、自分は尊くないから、歌うのはやめようと言ったのだろうか。
君が代とセットだからやめたのだろうか。

ぼくはそれぞれの人が、それぞれの気持ちを持って、式を執り行えばイイと思う。

呼びかけもやったらいい。
でも、無理やり感動させるためにやるのは、やっぱりオカシイと思う。
だから、あまのじゃくかもしれないが、うさんくさいのだ。

ちなみに、ネットで検索すると、こんなのが出てきました。
オソマツ。

読み方のこつ
・どこに感情を入れて読むのか、文章のサビを見抜く。
・劇のようにメリハリをつけて読む。
・口形を大きくし、一つ一つの言葉をはっきりと読む。

指導方法
・読み方のこつを、まず教える。
・文章のサビはどこか、どこを劇のように読むのか、考えさせノートに書かせる。
・個別練習、個別評価を徹底しておこなう。個人練習ができた子からこさせ教師が個別評価&アドバイスをする。
・全体でやるときにはストップをかけない。時間の無駄、教師の怒鳴り声を聞いているうちに待っている子が嫌になる。
・自分の言葉がない子は、教師と同じように判定員をさせる。

教師側の押さえなど
・文章の作成前に、子どもからアンケートをとって光る言葉を探す。
・その年の社会事象を入れるとよい。
・倒置法や体言止めが、耳に残る。読んでいい文章と耳に残る言葉は違う。
・ようす(行動)が目に浮かぶ文章が、心に残る。
・呼びかけの一番の子は、声に張りがある子がよい。
・オーディションをおこない声に張りのある子を探す。
・本番では緊張して早くなるので、練習ではゆっくり目に言うようにする。


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