考えたこと2

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上方落語
ぼくが落研に入ったのは、中学の時に笑福亭仁鶴を聞いたからだ。
仁鶴はあの当時めちゃくちゃ面白かった。
七度狐、池田の猪買い、湯屋番、代脈などぼくが落研時代にやったネタも多かった。

その後、桂小米が桂枝雀を襲名し、こちらは本格的に面白かった。
ぼくは仁鶴派だったが、そのうち枝雀に負けた。

彼らが出てこられたのも、上方落語を復興した4人の落語家がいたからだ。
松鶴、米朝、文枝、春団治の4人。
その4人が全て亡くなった。
最後まで存命だった三代目の春団治が1月13日に他界した。

米朝は持ちネタがたくさんあったが、春団治は少ない。
自分で納得した噺しかやらなかった。
十八番は野崎参り、高尾、代書屋、皿屋敷など。
踊りや歌もうまかった。

いつも羽織姿で高座に出てきて、羽織を脱ぐ姿もかっこよかった。
いい着物だから、指で袖を引っ張ったらストンと脱げる。
安物のウールの着物では、ああいうふうにはならない。

上方には粋な噺家が少ないが、三代目春団治は例外だった。

これで、上方落語の四天王が全部いなくなった。

若手と呼ばれていた落語家たちも、もう還暦を過ぎた。
三枝改め文枝が72歳になる。

上方落語も仁鶴が出てきて、枝雀が頑張っていた頃の勢いがなくなって久しい。
昭和50年代から60年代の上方落語の黄金期に生きられたぼくらは、ラッキーだった思う。

合掌。

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