考えたこと2

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小椋佳
小椋佳を初めて聞いたのは中学校の時だった。
FMで「この汽車は」が流れて、すごく新鮮だったのを覚えている。

その後、「潮騒の詩」というアルバムを誰かに借りて聞いた。
「さらば青春」はわりと流行ったし、よく聞いたなあ。

この人はいろんな名曲を作っているが、やっぱり最初に聞いたものが心に残る。
鳥が生まれて始めてみたものを親だと思うようなものだ。
今でも小椋佳といえば、「この汽車は」が出てくる。

この汽車は機関手がいない 終着駅まで止まらない 終着駅はないかもしれない それは明日かもしれない

「〜ない」、という韻を踏んだ歌詞と朴訥とした声がよく合っていて、忘れられない。
70年代の初めだったなあ。

最近、日経の最終面の「私の履歴書」という欄を書いていた。
別に読んでいたわけではないが、今日が最終回で、歌を紹介していた。
年をとると、理屈っぽくなる。
韻文というより、散文になってしまう。

生きていれば 誰にだって 闇に包まれたり

こんな風になる。
小椋自身も、歌を作ることが「発想力も枯渇して苦しい作業」という。
それでも、そうしないではいられない。

あまり知らなかったが、この連載で大きな病気をしているんだとわかった。
57歳で胃がんが見つかり、胃の3/4を切除。
その後食欲がわかなくなり、体重が30キロ減って糖尿病も治ってしまった。
63歳で曲った脊椎を人工骨に入れ替え、68歳で劇症肝炎に近い状況で入院。
死んでもおかしくなかった、ということらしい。

笑ったのは禁煙入院をしたことがあり、1週間で追い出されたとのこと。
自分に禁煙する気がなかった、という。
今でも一日セブンスター40本という喫煙家だったとは。

そういうことがあって、70歳で生前葬コンサートをやったのだろう。
東大の大学院哲学科に入りなおしただけのことはある。
普段は「死に装束」ということで、白い作務衣を着て過ごしているらしい。
今朝の日経にはカラーで柴犬(らしい犬)を連れた作務衣姿の写真が載っていた。
小椋佳には柴犬がよく似合う。

「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「愛燦燦」など、提供した楽曲にもいいものが多い。

もう「死」がいつ訪れても構わないと思っている、と書いてあった。
72歳で年間数十本のコンサートをこなす。

スゴイ人だと思う。



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