考えたこと2

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左寄り
ぼくらの中学、高校の頃は冷戦の華やかなりし頃で、安全保障条約の改訂があり、ベトナム戦争があり、マスコミは総じて左寄りだった。

左寄り、という言葉も死後になったかもしれない。

左=左翼=共産主義、社会主義ということだ。
つまり、左寄りということは、反保守であり、資本主義は敵だという考え方になる。
そういう対立軸があった。

戦後の知識人はだいたい左寄りだった。
右翼が戦争に導いたという苦い過去を考えれば、それも仕方ないかもしれない。
今でも朝日新聞は左寄りだと思う。

ぼくの中学校の歴史の先生は、アメリカが爆弾をバカスカ落として日本はえらい目にあった、と授業で言った。しかし、その責任は日本にもある、ということは言わなかった。
高校の地理の先生は、ソ連は素晴らしい国だ、と言った。そうでないことは歴史が証明した。
結局、市場主義経済が世界を制し、1989年にベルリンの壁は崩れた。
100%社会主義が悪かったとは思わない。
人間が社会主義に対応できるほど賢くなかったとは思う。

しかし、まだ学校の先生などかわいらしいものだ。
朝日新聞などは中国の手先のような報道をしていた。
まあ、みんながそういう記事を望んだから、朝日は読者におもねっただけなのだが…。
ただ、朝日はその時からぼけてしまって、いまだにおもねっている。

毛沢東の文化大革命も賛美された。
これは、後にワイルドスワンという小説を読んで、そのひどさに驚愕した。
こんなものを賛美していたのか、と驚いた。
おそらく、香港や台湾の人たちは何をやっているか、気づいていたのではないか。
しかし、そのころ高校生だったぼくらは脳天気な日本の新聞に騙されていた。

かくいうぼくもずっと左翼シンパだった。
中学、高校を通じてそういう教育を受け、石川達三の人間の壁に感激し、大杉栄の本を借りた。
太宰治や坂口安吾のニヒリズムもそれに拍車をかけた。
父も祖父を戦争で亡くし、陸軍には批判的だった(年をとって、ちょっと変わったが)。それで当時の習いに従って、反保守になった。

その頃はエデンの東のジェームス・ディーンに代表される、反抗するの若者という気分もあり、多くの若者が左寄りだった。
学生運動もそういう気分で盛り上がっていたのだろう。
フォークソングもアメリカから入ってきたときは、反戦歌が多かった。
ベトナム戦争のころだ。

しかし、就職して何年か経って、吉村昭や阿川弘之、山本七平などの戦争関連の本を読み、日本人をたくさん殺したのは軍の愚行が大きな原因だと知った。
戦後の日本の左翼は教条的なことばかり言って、なんら実際の役に立つことは言っていないと思う。
夢みたいなことばかり言っていた。
「何でも反対」が社会党だった。それをいまだに引きずっているのが福島瑞穂だ。

サラリーマンも、一時サラリーマン新党ができて、みんなそちらに行くかと思ったら、行かず、情けない結果になった。
父も残念がっていた。

徴税の方法を変えれば、政治は劇的に変わると思う。
源泉徴収というやり方で税金を収めていたら、税金の使い道などあまり気にならない。
サラリーマンが税金の使い道に敏感になっていれば、役人が年金を無駄遣いしたり、年度末に工事をしたり、わけのわからない箱物を作ったりはできず、今よりはマシになっていたと思う。
一票の格差にももっと敏感になっていただろう。
徴税に苦労する政府は、税金の使い道にも慎重になるはずだ。
年金や保険のシステムももうちょっと何とかなっていただろう。
これは今でも思う。

というわけで、ぼくは就職してしばらくして左寄りではなくなった。

自分ではいい選択だったと思っている。


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