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2012.02.27 Monday
中国雑感
ぼくは1988年に上海に行った。
調査の仕事で行ったのだが、正直言って、生きて中華人民共和国の土が踏めるとは思っていなかったから、ある種の感激があった。 行く前には何冊かの中国関係のビジネス書を読み、同じ漢字を使う国だが、意味が違う場合があるから注意せよとか、当時はまだ突然の停電があるとか、そんなことを覚えている。 中国というと、ぼくらの年代は毛沢東を思い出す。 冷戦の時代の中国の主役だ。 1988年にはもう亡くなっていたが、今の中華人民共和国を作った人。圧倒的な権力で晩年はひどい事をたくさんしたが、そんな批判は今でもできないだろう。彼の取り巻きが悪かったということになっている。本当のことはぼくはわからない。 しかし、70年代に学生時代を過ごしたものにとって、中華人民共和国に行くというのは、それなりに複雑な思いがあった。 往きの飛行機の中で、同行のぼくより5年ほど若い人に、「生きて中華人民共和国の土が踏めるとは思わなかった」と言うと、驚かれた。 それくらい、中国は閉鎖的な共産党の国だった。 ぼくは当時はもう左翼シンパではなかったが、それでも何となく、「生きて土を踏める」という感動があったのだ。 それくらい複雑な気持ちで行った上海だった。 上海にはたくさんのホームレスの人がいた。 赤ちゃんを抱いた女性もいた。 ワイタンリバーの河川敷にはたくさんの人が集まっており、今日は花火大会でもあるのかと思ったら、毎日ホームレスが集まっているとのことだった。 2004年に上海に行ってきた人に聞いたら、もうそんなホームレスはいないとのこと。 ぼくは中国の国民はみんな共産党だと思っていて、通訳の人にそう聞いたら、「そんなことはない。私たちは共産党などではない」と答えたのが印象的だった。 「共産党など」という言葉に、何となく敵意が感じられたからだ。 そんなに無邪気に、共産党政権が成り立っているわけではなかった。 今はもうGDPで日本も抜き、世界2位になった中国。 大したものだ。 孔子、老子、荘氏、孟子、韓非子、荀子、孫氏など、日本の文化に大きな影響を与えた国。 中国の文化がなければ、日本の文化はなかっただろう。 つい江戸時代の中頃まではまともな本といえば、漢文だったのだから。 中国共産党になって、孔子や老子は捨て去られていたから、ひょっとしたら、今の中国の若い人よりもぼくらの方が知っているかもしれない。 前の会社にいた時、中国人の大卒社員を研修したが、その真面目さと能力にはびっくりした。 日本語の研修は上海で受けたとのことだったが、半年の研修でカタコトで話すことができるようになっていたし、英語は話せるし、もちろん中国語も話せるし、大したものだ。 おまけに、2ヶ月ほどたったら、メールを日本語で書いてくる。 もちろん、細かいミスはあるが、充分意味は通じるし、すごいハングリーさだ。 あの若い人達をみたら、日本人は勝てないなあ、と思ってしまった。 もちろん、何人かのグループとはいえ、日本という異国で働くというプレッシャーのおかげという面もあるだろうし、日本人から吸収しようという意気がある。 しかし、そのことを差し引いても、すごい熱意だ。 当時、日本人の新入社員はのんびりしていた。 ぼく自身、22歳で海外の企業に就職して、異国で社会人の第一歩を踏みだすなどという勇気はない。 中国人として、という部分はあるかどうかわからない。彼らがどの程度国(共産党)を信じているか、本当のところは不明だ。 しかし、彼らは故郷を離れて異国に来たという思いはあったと思う。 ちょうど、日本の集団就職のような感じではなかったか。 彼らがその後どうなったのかはわからない。 ぼくが会社をやめてしまったからだ。 でも、あの中国への出張の時の複雑な気分と、負けたなあという思いは忘れられない。 それがどんどん真実になっていく。 それでいいのか。 さらに複雑な気持ちは続く。 |
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