考えたこと2

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ニューミュージック
この言葉も、死語になってしまった感がある。

これまでも何度か書いたが、「ニューミュージック」はぼくらの時代を象徴する言葉だと思う。

ニューミュージックと対になるはずの、オールドミュージックが何なのかよくわからないが、それまでのフォークとも歌謡曲とも違う、何となく「新しい」音楽というイメージを表したものだろう。
大げさに言うと、70年代のティーンエージャーが持っていた、夢と希望を表した言葉かもしれない。

Wikipediaによると、ニューミュージックとは、「都会的な情景を織り交ぜたポップ調のサウンドを基調とするシンガーソングライターによる作品群である。主として、1970年代から1980年代にかけての日本のポピュラー音楽の一部に対して使われた名称。」
ということで、具体的には吉田拓郎の「結婚しようよ」、井上陽水の「傘がない」、荒井由実の「返事はいらない」、かぐや姫の「神田川」あたりを始まりとすることが多いと書いてある。

上にあげた4曲の中では、荒井由実の「返事はいらない」が圧倒的にニューミュージックだ。
この曲は他の3曲に比べて、流行らなかったが、新しさが群を抜いていた。
それまでの曲は、以前フォークと呼んでいたものの延長線上にあって、そのメッセージ性が薄まり、より誰もが共感するような曲であったのだが、荒井由実は違う。
突然出てきたデビュー曲が「返事はいらない」:だった。
演奏も当時の日本のロックの最前線にいた、はっぴいえんどのメンバーが加わっていて、1972年当時としてはすごいレベルだったと思う。
でも、このデビュー曲をリアルタイムで聞いた人は少ないだろう。
シングルが300枚しか売れなかったらしい。
ぼくもアルバム「ひこうき雲」で知った。
当時、ギターの月刊誌GUTSに「返事はいらない」のスコアが出ていたが、あのコード進行は今までの日本ではなかったものだ。

他の3人との年代の比較で言えば、吉田拓郎、井上陽水、南こうせつが1946,48,49年生まれ。
それに対して、荒井由実が1954年生まれだから、少し若い。
この差が感性の違いに影響していると思う。

荒井由実の感性は、歌詞のするどさだけではなく、曲もウエスト・コースト風だったと思う。
「返事はいらない」はすごく新しさを意識した曲だが、売れた後も荒井由実の曲は、さりげなく転調が入っていたり、はっとするコードが入っていたりした。

いつ頃からニューミュージックという言葉が使われたかは知らないが、荒井由実は間違いなくその初期を築いたミュージシャンだと思う。

とにかく、新しかった。
「ひこうき雲:」「ミスリム」「コバルトアワー」「The 14th Moon」の4枚のアルバムはこれぞニューミュージックという出来栄えだと思う。

1970年代の前半、荒井由実を筆頭とする日本のニューミュージックが生まれ、それまでの洋楽がだんだんと流行らなくなった。
そういう意味では、ニューミュージックは、歌謡曲もフォークも物足りなくて、洋楽を聞いていた若者を取り込むきっかけになった音楽だったのかもしれない。

そのニューミュージックはいつなくなったか、ということになると、いろいろと説があるらしいが、90年代には間違いなく終わっていただろう。
ちなみに、1990年の邦楽アルバムの売り上げをみると、1位 松任谷由実:『LOVE WARS』、2位 サザンオールスターズ&オールスターズ:『稲村ジェーン』、3位 プリンセス・プリンセス:『LOVERS』、4位 渡辺美里:『tokyo』、5位 杏里:『MIND CRUISIN'』、6位 サザンオールスターズ:『Southern All Stars』、7位 今井美樹:『Ivory』、8位 久保田利伸:『BONGA WANGA』、9位 今井美樹:『retour』、10位 岡村孝子:『Kiss 〜‎à côté de la mer〜‎』となっている。

もうこの時点で従来の「歌謡曲」の歌手はいない。
これだけメジャーになったものを「ニュー」ミュージックとは言わないだろう。

今のJ-POP(この言葉もよくわからないが)の元を作った人たちだ。

それまでの「オールドミュージック」の形を変え、自分たちの曲は自分たちで作る、というビジネスの形を作り、70年代の若者の心を捉え、そして今のJ-POPの基礎を作った音楽…、それがニューミュージックと呼ばれた音楽だろう。

そのトップランナーが荒井由実だった、と後世の音楽評論家が書くかどうか…。


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