考えたこと2

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プログラミング教育3
ぼくが大学で使ったプログラミング言語はFORTRAN(フォートラン)。
もともとのコンピューターの役割は数値計算だった。
その数値計算用の言語がFORTRANだった。

会社に入ってから、アナログ電圧の信号をデジタル化した波形を、プロッタに描かせるというプログラムを作ったが、これもFORTRANだった。
テレタイプ(めちゃうるさかった)でFORTRANで書いた言語を紙テープにして、それをコンパイラを通して機械が読める機械語に変換して使った。
ミニコンというパソコンの前の時代のコンピューターだった。

今のように、パソコンでアプリを作って、みんなで使うという便利な時代ではなかった。
ちょうど、一つずつのプログラムを走らせる時代から、みんなでコンピューターをシェアして使うという時代に変わる手前の時期。
当時はTSS(タイムシェアリングシステム)室というのがあって、そこでメインのコンピューターを使った時間だけお金を払う、という仕組みも利用していた。
たしか、電通がサービスしていたはず。
緑の文字の端末があったなあ。

それから比べると、今のプログラミング言語は進んだと思う。

いろんな会社や団体がプログラミング言語を開発して、公開している。
各々の言語に得意分野があって、Webに強いものや言語処理に強いものなどいろいろある。
なかでも、AIの開発に向いているのがPythonという言語。
AI用のライブラリが揃っている。
特に機械学習(AI自身が学習する方式)関係のライブラリが豊富で、これがPythonが開発者に人気がある理由。
AIブームもあって、Python関係のセミナーは多いようだ。

今小学校でプログラミング教育、と言っているが、それは意味があるのだろうか。
どんなカリキュラムでやるのかわからないが、プログラミングの基礎をやるのだろう。
プログラミングの基礎というと、フローチャートを考えることになる。
そういう授業が、今の教員にできるのだろうか。
要は物事を論理的に考える、ということなのだが…。

やるのなら、中学以降でやったらいい。
ただでさえ、うまくいっていない小学校課程にそんなものを詰め込むのは無理だと思う。

どんどん新しい言語ができて、新しい流行ができる。
小学生に今のトレンドで教育しても、彼らが大人になるのは10年ほど先なのだ。

何だかやってることがちぐはぐだ。

| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
孔子はエライ
今までオレサマ化とか、キレる高齢男性とか、書いてきたが、高齢者が増え、寿命が伸びるに従って、こういう人が増えてくる。

実際、そういう人を街中でも見かけることがある。
怒っているオジサンを見ると、哀れな気分になる。

日経ビジネスに高齢の客のクレームの話が出ていた。
電話で説教をする高齢者が、最後は詫び状を持ってこさせて、それを額に入れていくつも飾っている、ということだ。
数十枚の詫び状が表彰状にように飾られていたとのこと。
謝りに行った人は「多分、他にやることがなく暇で、人を謝らせることが趣味になっているのではないか」と思ったとのこと。
本当にこういう老人がいるらしい。

第二の人生をうまくスタートできなかった高齢者が、こういう道を歩みやすいということだ。
再就職もうまくいかず、趣味を始めても疎外感があってやめる…というような状況。
もちろん、こういうことができるくらいだから、経済的にはそこそこ余裕がある。
現役時代に高い役職や地位にあった人に、その傾向が強いと思われる。
有り得る話だ。

中には若めのシニアで、ネットクレームのメールを出すのを趣味にする人もいるらしい。
これが生きがいになっているとのこと。
徹底的にマニュアルなどを読んで、理論武装して、問い合わせのメールを出すという作業が癖になる。
消費者の権利を行使している、ということで法的には問題ない。
しかし、そういう行為が世の中の無駄な仕事を増やして、ただでさえ低い生産性を下げて、経済的にマイナスだということをわかっていないのだろう。

高齢者の犯罪も、人口の高齢化率を上回って増えている。
原因は経済的なものもあるが、何もすることがないから犯罪を犯すということもある。
鉄道の駅で暴力行為をした加害者の25%が60代以上で、最も高かったらしい。

こうなると、人生が100年と言って喜んでいられない。
何もすることがないと、人間ロクなことをしないのだろう。
記事の中の医師の話によると、

「趣味を持たず、働きもせず、体や頭を使わずにいると、『相手の立場に立って人の話を正確に最後まで理解する力』を脳が失っていく。理解できないことがあると、人間の脳は血流を増やし、血圧を上げて無理やり働かせようとするため興奮状態に陥る。これが、『キレる』ということ」

ということらしい。

孔子の時代、70歳まで生きたら十分長生きだった。
彼が残した言葉によると、60歳では「六十にして耳順がう」(何を聞いても素直に受け入れることができるようになる)、70歳では、「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」(心の思うままに行動しても、人としての道理を外れない)とある。

エラい人は老境でも立派だということだ。
人生の終わりかけになって、クレーマーや犯罪者にはなりたくない。
孔子のようにエラくもない普通の人間が70歳を遥かに超える人生を、まともに生ききるにはどうしたらいいんだろうか。

まずは仕事を長く続けることだろう。
といっても、周りの足を引っ張るようになっては、働けない。
世の中の役に立てる間は仕事をしたいのだが…。
とにかく、健康に留意して、長く働くことは大事だ。

趣味も、そんなに長く続けられないような気がする。
歳を取ると、意欲も減退して、何かを続けるということ自体が難しくなる。
それを予防しようとすると、一人でやるのではなく、グループでやらないといけないと思う。

聞くところによると、人間の脳の機能の大部分は人間関係を維持する、ということのようだから、人間関係がなくなると、脳の大部分の機能は使われず、脳がダメになる。
だからこそ、人とつながっている、ということが大事になる。

そうなると、外に出ないといけない。
ぼくは寝るのが好きだから、ちょっと身体が動けなくなると、寝たきりになるような気がする。
困った話だ。

こんなことを考えていると気が滅入る。

散歩に行くことにする。


| | 考えたこと | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |